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noteがアウシュビッツにならぬよう

昔、クリスマスが近くなるとアウシュビッツは
「我々は救われるかもしれない」の噂で
人々の生気が熱を帯び

生きる希望は明日を待つ

クリスマスが過ぎて、噂は噂だったと分かり
途端に気力を失くした人が亡くなっていったという

話の著者は、ナチス強制収容所で囚われの身だった
精神科医のヴィクトール・フランクル

希望を捨てちゃならない
同時に他人の希望を折ってはならない
自由があるなら、自由を謳歌し
個性で、楽しいや面白いを感じてほしい

ところで、noteは基本的に多種多様な人がいて
本職じゃなくても、クリエイター性質の人もいる

何らかの芸術家肌は
自分に興味や関心がないものへは
たとえ人付き合いでも、無関心で冷淡だったりする

人から好かれてナンボより
自分の思想や思考、気分の揺れを
大事にしているからだと思う

人間なので、気が合う人には
社交があって、交流には濃淡が発生する
それ以外には、関心がないのだから
交流重視の人から見ると冷たい対応だと思う

批判されるべきでもないし、こういった人もいる

noteへは、目的や目標を持つ人がいて
自己研鑽を積んで、作品を発表している
その中には、人見知りもいる
交流重視だけがnoteの利用者じゃない

人間関係は、活気なるが
失望は、夢や明日への気力まで殺す
noteがアウシュビッツになりませんように

一般的にコミニュケーションが下手だと生きづらい
病気なり、死を選ぶ人がいる
変えられない事実で
コミニュケーションを強いる風潮は
多様性の世情に逆行している

noteにいるクリエイター性質や人見知りユーザーへ

どのような状況になろうとも
人間にはひとつだけ自由が残されている
それはどう行動するかだ

ヴィクトール・フランクル