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幸福も不幸も自分で選択できる

人は生まれによって、環境によって、幸福・不幸が決まってしまう。
そう思う事は無理もありません。日本にいても、生まれながらに格差はあります。まして、自分がもしガザでパレスチナ人に生まれたとしたら、どんな運命が待っていたでしょう。 幸・不幸を選択する権利などありません。

このような極端な環境でなくとも、人生には、どうにもならないことがあります。

それでも幸福に生きるために何をしたらいいか、一人の人間として、私も常々、考えさせられます。

幸い、戦争のない自由な国家に生まれた私たちは、世界で不幸に見舞われている人々より、はるかに多くの選択肢を持っています。私たちは、「幸せを選択できる」国に生まれています。

にも関わらず、自分が不幸と感じている人は多い。


幸福も不幸も選択できる

私たちは、しばしば「幸せになりたい」と願いながらも、環境や運命によって幸福が左右されると悲観します。
しかし、哲学や心理学の観点から見れば、幸福も不幸も、最終的には私たち自身の選択にかかっているということは、例えばストア派の哲学者や現代心理学の研究が示しています。出来事そのものではなく、それをどう解釈し、どう行動するかが幸福を決定するからです。
これは単に心の持ちようの問題ではなく、学問的にも追求され、明らかになっている事です。

解釈の力:ストア派哲学の教え

すでに古代ギリシャの時代に、哲学者エピクテトスは、「私たちを悩ませるのは、出来事そのものではなく、それに対する私たちの考えである」と述べています。
同じ状況でも、考え方次第で幸福にも不幸にもなり得ることを意味しています。
例えば仕事でミスをしたとき、それを「自分は無能だ」と解釈するか、「学びの機会だ」と解釈するか、といった日常の小さな出来事でさえ、心の持ちようは大きく変ってきます。

同様に、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスも『自省録』の中で、「外の世界が私たちを傷つけるのではなく、それをどう受け止めるかが問題なのだ」と語っています。つまり、幸福は環境に左右されるものではなく、自分の内側から生まれるものなのです。

出来事をどう捉えるか、その結果は日々、積み重ねられます。
ポジティブに受け止めた場合、それを『資産』と呼びましょう。
逆に、ネガティブに受け止めた場合、それを『負債』、とします。
さて、日々、その収支はどうでしょうか?
毎日、負債を積み重ねていては、いずれ破綻してしまいます。しかし、その負債も資産を増やすことで挽回できます。
日々、どれだけ資産を増やせるか。それは日々の小さな出来事に、どのように反応するかの積み重ねで決まってきます。

心理学が示す「選べる幸福」

現代心理学も、幸福は選択できるという考えを支持しています。認知行動療法(CBT)は、人の感情や行動は「思考」によって形作られると考えます。このアプローチによれば、悲観的な考えを楽観的に変えることで、感じる幸福度も変化する。つまり、不幸な出来事が起こったとしても、それをどう解釈するかによって、幸福を維持することが可能になるのです。

また、ポジティブ心理学の提唱者であるマーティン・セリグマンは、幸福の40%は自分の思考や行動によって決まると述べています。これは、幸福は外部の状況に依存するものではなく、私たちが日々の中で何を考え、どのような行動を選択するかによって変えられることを示しています。

しかし、いくら「幸福だと捉える努力を惜しまない」と言っても、結局、自分の周りの環境が変化するわけではない。 外から客観視すれば、状況は何も変わらない。
不幸でもなんでもないのに、不幸だ、と感じることを止めることはできるかもしれません。 でも、不幸な事実、外的環境を変える役には立たない。

幸福が環境を変える力

興味深いのは、心理的幸福が外的環境にも影響を与えるという点です。自己充足的予言(Self-Fulfilling Prophecy)という心理学の概念によれば、「自分は幸福だ」と思うことで、実際にポジティブな行動を取りやすくなり、結果として周囲の環境も変化していくと言います。

簡単な話、笑顔で人と接する人は、周囲の人々からも好意的に扱われるため、人間関係が良好になりやすい。これは、幸福感が周囲に伝染し、結果として現実の状況もより良いものに変わるという現象を示しています。ポジティブに捉えられる人は、何度でもチャレンジする勇気が湧いてくるでしょう。
「夜と霧」を書いたヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所という極限状態にあっても「人生の意味を見出すことで人は生き延びられる」と述べました。収容所のある学者が「未完の論文」について考えることで希望を持ち、生き延びる力を得たというエピソードを語っています。
それ以外の彼の経験も、外的な状況が最悪であっても、幸福を感じることが環境をも変えうることを示しています。


選択できる「幸福」、そして不幸もまた選択できる

もちろん、すべての幸・不幸が個人の選択によるものではありません。病気や災害、予測不能な悲劇は厳然と存在します。しかし、それに対する「心の持ちよう」は選ぶことができる。そして、その選択が次の行動を決定し、やがて環境そのものを変える力となる。

幸せになることは、特定の状況を手に入れることではなく、今の状況をどう受け止め、どう行動するかの問題。
私たちは常に選択の自由を持っています。
「幸福になることを選ぶ」という決意が、より良い未来を形作ることを疑うべきではない。

幸福も不幸も、私たちの選択によって決まる部分が大きい。
哲学者エピクテトスやマルクス・アウレリウスの教え、心理学の研究が示す通り、外的要因が変わらなくても、解釈の仕方や行動次第で幸福は手に入る。
そして、その幸福感と、その結果による行動変容は、やがて外的環境にも影響を与え、変化を生み出す力となる。その逆に、あらゆる場面で不幸と捉える人も多くいるでしょう。しかし、結果として、外的環境をも悪くしてしまいます。

私たちには「選択する力」があります。

日々の出来事をポジティブに捉え、日々、「資産」を増やし続けることは、周いの環境にも良い影響を与えます。「幸福」になれるかどうか、選択するのは他の誰でもありません。

最後に、ジョージ・オーウェルの「1984」を紹介して締めたいと思います。


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