〈わたしという誰かの演劇〉も、ほんとうは改行したいんですよね。そのほうが読みやすいし、流れも伝わりやすいのはわかっているんですが、いかんせんブラウザはサイズが可変、それぞれの環境によって半端な折り返しができてしまうのがどうしても気持ち悪く思えて、無改行のスタイルをつづけています。
映画や美術展を見に行ったあとの気持ちを、感想や批評やレポートとは違うかたちで表現したいとずっと思っていました。ある作品を前にしたとき、作品と自分とのあいだに生まれた関係それ自体を言葉に置き換えたい。〈わたしという誰かの演劇〉には、そうした試みも徐々に含まれてきたように思います。
「人生って意外とシンプルなんだ」と「なにもかも混沌の中…」を行き来する、その往復の一部を切り取った〈ゆらぎの断片〉を僕は書こうとしているんだと思います。連帯できず無力で、ポピュラリティも得られないかもしれない。しかし、そういう愚図なりの創作を、いまはひとまずつづけていきます。
〈わたしという誰かの演劇〉はいまのところどうにか10回続けられていますが、そんな短いあいだでもやはり変化を感じています。007からギアが入れ替わった気がする。1000字を終えるころには、書きはじめたときには思いもしなかった場所に辿り着く。入り組んだ路地をひとりで散策するみたいに。
〈わたしという誰かの演劇〉を実際に俳優が演じるとしたら、どうなるだろう。 ・ひとりの〈わたし〉をひとりで ・ひとりの〈わたし〉を複数で ・複数の〈わたし〉をひとりで ・複数の〈わたし〉を複数で このいずれもを連続的に行き来しながら、ひとつの舞台を構成できたらおもしろいですね。
「わたしという誰かの演劇_013」に登場する作品は、いま東京・六本木の国立新美術館で見ることができます。 https://note.mu/kunotakashi/n/na8b32f063c0b https://boltanski2019.exhibit.jp/