見出し画像

わたしという誰かの演劇_013

 わたしのいるところで、演劇がはじまる。

わたし  中学校に入るとき、父に腕時計を買ってもらいました、わたしその時計をまだつけています、ガラスに引っかいたような傷がついているのは中学生のころにはもうそうだったから慣れてしまったし、それなりに雑に扱ってもいいやって思えているのはそれもひとつの理由で、だからこそずっとつけていられるのかもしれない、シルバーのシンプルな腕時計、これから中学生になる自分のセンスで買ってもらっていたら、きっとこんなに長くは使えていなかったと思います、当時はだってもっとゴツゴツしたG-SHOCKみたいなのがほしかったし、このあいだまで小学生だったんだからそりゃそうですよね、ちょっと不服に思ってたくらいなんですが、結果的には悪くはなかったかも、って、えっと、そうだな、ガラスの傷、あの傷がいつついたのかって全然憶えてないんですよね、買ってもらってかなり早い段階でついた傷だと思うんですけど、どうなんだろう、たまに考えることがあるんです、中学生だからまだ小学生みたいな遊び方をしていてそれでついたのかもしれませんし、でもそういうときに腕時計なんてしていってたかな、いってないんじゃないかって、そうするとこれはあんまり考えたくないんですけど、友達がつけたんじゃないかなとか、嫉妬心だかなんだかわからないですけどね、いい時計つけてんじゃんって、安全ピンかなにかでガラスを引っかいた、そうだったらいやだな、謎です、傷がなかったらいいのにっていまも思います、全然思います、直せるなら直したいなとも思うんですけど、そうすると時計そのものよりずっと修理代のほうが高くなっちゃうからそんなことはしません、パタゴニアではクジラは時間の起源を知る動物だと信じられている、らしいです、それをテーマにした作品を美術館で見ました、時間のはじまりの物語をクジラは語ってくれるんでしょうか、それともクジラは時間がいままさに湧いて出ている、そんな場所を知っていて、わたしたちを連れていってくれる、どうなんでしょう、傷がなかったころの腕時計のことをわたしは思い出せません、いや、思い出さないようにしているだけかも、傷は最初からあった、そう思い込もうとまではしていないにしたってね、傷を見た父は言いました、これどうしたの、って、わたしはほんとうに知らなかったから、知らないって答えた、知らないうちに傷ついてた、時間の起源をクジラが知っているってどうしてパタゴニアのひとは知ったんでしょうか、海を見てたらそう思ったのかな、パタゴニアのひとに訊ねたら彼らはなんて言うんだろう、知らないうちに知っていた、知るまえのことは思い出せない、わかるよ、わたしも、

 また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?