周梨槃特

鎌倉時代や室町時代の日記に書いてある、怪奇現象や妖怪の話、スキャンダルや慣習など、ちょっとした雑学を紹介しています。 「はてなブログ」でも同様の記事を書いています。 https://syurihanndoku.hatenablog.com

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最近の記事

龍安寺石庭を歩くひと

    • 中世のキラキラネーム 〜女子の幼名はどう決まる?〜

        文安五年(1448)四月十五日条 (『康富記』2─274頁)  十五日庚午 晴、   (中略)  鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之                           (サイ)  處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ  小宿ヲ、令饗應山下予等了、不思寄嬖幸ニ遇者也、後聞、彼母者、細川野州被  官人吉良ト云者ノ妾也云々、   (後略)  「書き下し文」  鴨御蔭山祭なり、祭儀

      • ハゲの悩みは超歴史的か?

          文安元年(1444)八月十九日条 (『康富記』2─89頁)  十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、〈或ハ廣瀬トモ云、山崎ノ南  也、〉在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、  近年破壊、見路道、侵雨露之間、人不知之處、閏六月三日、俄有頓利之聞云々、  傳聞分、盲者忽繼離朱之明、瘖瘂俄若予賜之言、或者女之喎僻反而成倩盻之貌、  白禿變黒髪之粧、貧者遇福海、短折保壽山、其効験非一、近境遠路之道俗、善男  善女之参詣成群、是則闡提之利生歟、

        • 怪鳥来襲 〜バケモノの処理法〜

            応永二十三年(1416)四月二十五日条 (『看聞日記』1─29頁)  廿五日、晴、聞、北野社ニ今夜有怪鳥、鳴声大竹ヲヒシクカ如云々、社頭モ  鳴動ス、二またの杉ニ居テ鳴、参詣通夜人消肝云々、宮仕一人以弓射落了、其形  頭ハ猫、身ハ鶏也、尾ハ如蛇、眼大ニ光アリ、希代怪鳥也、室町殿ヘ注進申、  射之宮仕御感有、練貫一重・太刀一振被下、鳥ハ河ニ可流之由被仰云々、  「書き下し文」  廿五日、晴れ、聞く、北野社に今夜怪鳥有り、鳴き声大竹を拉ぐがごとしと云々、社頭も鳴動す、二股

          こんなところで産まなくても…

            嘉吉二年(1442)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、  十九日丙午 晴、   (中略)  是日管領被立両使〈飯尾肥前入道、松田対馬入道、〉於石清水、是自社家有注進  云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令産子令触穢、件石破裂云々、爲検知、且又有社家  例哉之由爲被尋也云々、後日承分、如此事社家有先例云々、   (後略)  「書き下し文」  十九日丙午 晴る、   (中略)  是の日管領両使〈飯尾肥前入道、松田対馬入道、〉を石清水に立てらる、是れ社家より注進

          こんなところで産まなくても…

          ムショに神輿がやってきた 〜「罪穢」は存在するか?〜

            応永八年(1401)五月九日条(『康富記』1─1頁)  九日丁酉 雨降、今日紫野今宮祭也、近衛西洞院獄門内構旅所、侍所所司代、又所司代長松奉行也、此所新儀也、先々神行之時、獄門外ニテ糟神供進之也、⬜︎獄門邊御旅所之由、申之歟之間如此、獄内構之條、更無先規、隨而大判事章忠并明宣相尋之處、獄門内旅所事亦存之由、両人共返答之、尤も彼獄内者、囚人樓舎之間、穢所争可構之哉、不審々々、今年洛中地口ニテ神輿造替也、凡此神疫神也、仍一條院御宇長保年中、於洛外紫野祭之也、勅宣歟之間、年中

          ムショに神輿がやってきた 〜「罪穢」は存在するか?〜

          憧れのお伊勢参り 〜室町時代の官僚の場合〜

            応永二十九年(1422)四月十三日〜二十日条           (『康富記』1─167・168頁)  十三日己亥 晴、明日吉田祭必定云々、  自今夕勘解由小路猪熊式部亭面々行向夜宿、明日可参宮之故、爲精進屋者也、  李部講親也、面々取分銭一貫文許在之、但予借銭一貫文也、是ヲハ宗左衛門ニ                 (者ヵ)  一結借リテ返之畢、今日返之間利平不加之也、  十四日庚子 雨下、今朝人々奉同道令参詣神宮、於草津有晝飯、於水口有  夕飯、則夜宿、講衆面々

          憧れのお伊勢参り 〜室町時代の官僚の場合〜

          空飛ぶ障子! 〜未確認飛行物体 Part2〜

            寛正三年(1462)五月二日条         (『経覚私要鈔』5─288頁)   二日、丙申、天曇、    (中略)      (成身院)  一随身院経誉僧都来、語申云、相国寺内より障子ノ勢ホトノ物光テ西ヲ指飛、                     (×入)   此条可申入欤如何哉之由、面々談合之処、不申入者不可然之由面々申之間、         (栗田郡)(矢橋) (衍ヵ)   申入了、其剋又自江州矢ハせノ渡ノ海中ヨリ障子ノコトクノ物ヒカリ出テ西ヲ   指テ飛了

          空飛ぶ障子! 〜未確認飛行物体 Part2〜

          空飛ぶカワラケ! 〜未確認飛行物体 Part1〜

            文安四年(1447)三月十二日条 (『建内記』8─27)  十二日、癸卯、天霽、   (中略)  傳聞、先夜天有光物、其勢、如土器二十許連續飛天、入空中云々、  「書き下し文」  十二日、癸卯、天霽れ、   (中略)  伝え聞く、先夜天に光る物有り、其の勢い、土器二十ばかり連続飛天するがごとし、空中に入ると云々、  「解釈」  伝え聞いた。幾日か前の夜、天に光る物が見えた。まるで土器二十ほどが連続して空を飛んでいるかのようだった。そのまま空中に消え入ったそうだ。

          空飛ぶカワラケ! 〜未確認飛行物体 Part1〜

          火事と喧嘩は京の華?

            文安四年(1447)七月三日条 (『建内記』9─5)  三日、癸巳、   (中略)                 (教親)          (勝元)           一色事也、  今日上邊有火事、細川内前田宿所云々、侍所事也、」被官人在彼近所、不打消之  条奇恠之由、細川被官人語之、一色被官人聞付之、卽刃傷令殺害之間、自細川可  寄一色之由、有其沙汰、物忩云々、  「書き下し文」  今日上辺に火事有り、細川の内前田宿所と云々、侍所(傍注)「一色の事なり、」被官

          火事と喧嘩は京の華?

          イカれた女 Part2 〜器物損壊と放火〜

             文安四年(1447)二月十一日条(『経覚私要鈔』1─151頁)   十一日、癸卯、天曇、(中略)                  〔柏槇、下同ジ〕  一木阿語云、興福寺西金堂ノ前ナル白眞木、枝トモ烏食折、假令人ノヲリカヌル   ホトナルヲモ折云々、以外事欤、又春日社ノ金剛童子ノ辺ナル白眞ヲモ烏食折                               〔ノヵ〕   云々、尤奇異事欤、次女物狂、南円堂ノ前ニ三十三所巡礼ノ札ヲ木在之、此札   ヲ取集テ、南円堂ノ

          イカれた女 Part2 〜器物損壊と放火〜

          イカれた女 Part1 〜不法侵入とお告げ〜

            文安四年(1447)五月一日条 (『建内記』8─122)  一日、壬辰、晝雨、   (中略)  政所 (貞國)  伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、          (足利義教)  彼云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレハ、懐中ヨリ紙ニ  褁タル文ノ躰ナル物ヲ取出て、これコソ」普廣院殿御書ヨト云之、披見スレハ  紙ノ内ニ青キ草一アリ、不思議事也、仍可被始御祈祷之由有沙汰之由、伊勢入道  被官人称之云々、    観

          イカれた女 Part1 〜不法侵入とお告げ〜

          やっぱり地獄に堕ちたのか…

            嘉吉元年(1441)八月七日条 (『建内記』4─7)  七日、辛未、天晴、   (中略)  自今日於浄花院又被行如法念仏、御臺御願也、依御夢想之告有此事云々、  普廣院殿海中船中有血、血中御坐、御頸許在血上、御臺夢中被尋申子細之処、  非血爲火、依慳貪放逸之業所感也、此苦痛無間断、非念仏者、難免之由有仰、  啼泣給御夢覺了、因茲以来十三日「四十九日」也、爲結願、自今日思食立云々、  南無阿弥陀仏、予毎日阿弥陀経一巻・称名念仏若干反廻向、于今無懈者也、  「書き下し文」

          やっぱり地獄に堕ちたのか…

          ハーレム内の憂鬱 ④(完) 〜中世公家密通法〜

            永享二年(1430)五月十一日条         (『図書寮叢刊 看聞日記』3─201頁)  五月十一日、晴、仙洞女房一条局〈日野中納言盛光卿女、〉令懐妊云々、   (正親町三条)    (後小松上皇)(足利義教)   (実煕)   是三条中将実雅朝臣所犯也、自仙洞室町殿へ被訟仰之間、洞院中納言事有                      (季保ヵ)   傍例、以准拠之例可有御免之由被申、御使四辻中納言也、時宜猶不許之間以外                      

          ハーレム内の憂鬱 ④(完) 〜中世公家密通法〜

          ハーレム内の憂鬱 ③ 〜免罪の理由〜

          【史料1】   応永三十一年(1424)六月一日・四日・八日条           (『図書寮叢刊 看聞日記』3─38〜45頁)                      (田向) (兼宣)  六月一日、晴、毎事幸甚々々、祝着如例、抑長資朝臣自広橋可来之由申間出京、                  (称光天皇)   是仙洞女中事、此間被閣了、而再発、禁裏・仙洞外様小番衆并楽人等悉可書   告文云々、長資ハ禁裏小番衆也、依計会自去年不参、然而加人数可書告文     (西大路

          ハーレム内の憂鬱 ③ 〜免罪の理由〜

          ハーレム内の憂鬱 ② 〜家父長制の凶暴性〜

            応永三十一年(1424)五月十二日・十五日・十六日・二十日条           (『図書寮叢刊 看聞日記』3─36〜37頁)  十二日、晴、入夜大雨降、行豊朝臣参語世事、仙洞女房事御所中女房達皆   御糺明、随而卿相雲客十人許ツヽ結番被書告文、三ケ日殿上ニ被召置祗候   被守失云々、四辻宰相中将告文案持参之間、是失之由被仰、則被追籠、室町殿   被執申起請之告有九ケ條之法、此案文程の事ハ失念歟、不可為失之由被申宥、   有御免云々、男共起請了、女中ニ又可被書云々、但二

          ハーレム内の憂鬱 ② 〜家父長制の凶暴性〜