イカれた女 Part1 〜不法侵入とお告げ〜
文安四年(1447)五月一日条 (『建内記』8─122)
一日、壬辰、晝雨、
(中略)
政所 (貞國)
伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、
(足利義教)
彼云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレハ、懐中ヨリ紙ニ
褁タル文ノ躰ナル物ヲ取出て、これコソ」普廣院殿御書ヨト云之、披見スレハ
紙ノ内ニ青キ草一アリ、不思議事也、仍可被始御祈祷之由有沙汰之由、伊勢入道
被官人称之云々、
観智院殿へ(義教本妻、裏松宗子)
先日上御所へ普廣院殿御使とて参ける同人歟云々、
「書き下し文」
一日、壬辰、昼雨、
(中略)
政所伊勢入道眞蓮の許へ女房十六・七歳なるが庭に於いて徘徊す、老若畏怖を成す、又狂人かと之に尋ぬ、彼云く、物狂に非ざるなり、我は普廣院殿の御使なりと云ふ、其の證如何と問ひければ、懐中より紙に褁みたる文の躰なる物を取り出して、これこそ普廣院殿の御書よと之を云ふ、披見すれば紙の内に青き草一つあり、不思議の事なり、仍て御祈祷を始めらるべきの由沙汰有るの由、伊勢入道被官人之を称すと云々、先日上御所へ(観智院殿へ)普廣院殿御使とて参りける同人かと云々、
「解釈」
政所伊勢入道眞蓮貞国のもとへ、女房で十六、七歳であるものが現れ、庭で徘徊していた。老いも若きも恐れた。その後、「お前は狂っているのか」とこの女房に尋ねた。その女房が言うには、「発狂しているのではない。私は普廣院殿足利義教様のお使いである」と言った。その証拠はどうだと尋ねたところ、懐の中から紙に包んだ手紙のようなものを取り出して、「これこそが足利義教様の御手紙よ」と言った。開いて見ると紙の中に青い草が一つあった。不思議なことである。そこで、ご祈祷をお始めになるべきと処置したということを、伊勢貞国の被官人が口にしていたそうだ。先日、足利義教本妻の裏松宗子のもとへ、義教様のお使いとして参上した人物と同一人物であるか、と言う。
【コメント】
またしても、足利義教関連のミステリアスな話です。今回は、頭のおかしな若い女が、政所執事伊勢貞国亭の庭をうろついているという話でした。政所執事は将軍家家政機関の長ですから、邸宅のセキュリティーはもっと厳しいものかと思っていましたが、見知らぬ女が徘徊できるほどのゆるさだったようです。いや、この女、人間ではなかったから、自由自在に入り込めたのかもしれません…。
さて、この明らかに怪しげな女に対して、伊勢氏の家人は「お前は狂人か?」と尋ねています。現代人なら、「何をやっているんだ!」「お前は何者だ!」といった尋ね方をするのでしょうが、なんとも不思議な質問の仕方です。これが室町時代の対話なのでしょう。
やりとりはまだ終わりません。この女、信じられないことに、亡き将軍足利義教のお使いだ、と主張します。義教のお告げでもあったのでしょうが、間違いなく不審者です。
次に、証拠はあるのかと尋ねたところ、気の狂れた女はこれぞ証とばかりに、懐から手紙を差し出します。それを開いてみると、紙の中に「青い草が一つ」…。
おぉ〜、さっぱり意味がわかりません。青い草一つに、何らかのメッセージが込められているのでしょうか。それとも、あの世にいる足利義教の状況を、何か象徴しているのでしょうか。その後、祈祷することが決定されているので、いずれにせよ、義教の魂はあまりよい状態ではなかったと思われます。やはり、恐怖政治を敷いた報いを受けて、地獄に落ちたのでしょう。
2017年1月15日擱筆