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ニカモトハンナ
2019年7月31日 02:27
この部屋のお風呂の扉が閉まっているのを、私は見たことがない。きーっと音のする分厚い玄関を開けると、やっぱりそこには、古い木造の味と日本の夏の匂いが入り混じっていて、私がこの家を空けていた時間の分だけずっしりと重たい空気が詰め込まれていた。毎年、7月になると仕事で京都に行く。3年目になった今年はそれもすっかり恒例行事になってしまって、出かける前は、1か月近く家を開けるのかあ、
2019年1月4日 23:23
今年のお正月は、寝てばかりだった。やりたいこと、あれもこれもあったはずなのにパソコンを開くのは悪だ、そんな言葉に従って過ごしていたら気づけば眠ってしまっていた。できたことといえば、せいぜい洗濯とか三ヶ日が有効期限のクーポンを使って買い物とか1日1つ、何かできたらもうお腹いっぱい。そんな日々だった。受験生の頃、そう呼べる時期が私には3年もあったわけだけどしばらく何もしたく
2018年3月13日 02:27
休み明けの月曜日、終電に揺られて帰る。疲れてしぼんだ身体を補うように、カバンから出した一粒のチョコを口に運ぶ。バレンタインのお返しに、ともらったチョコだった。たまたまその日は私が家に行く日だった。世間はチョコレートまみれで、駅前のデパ地下も賑わっていた。たまにする少しの贅沢が好きで、ときどきいいものを買いたくなる。普段からお世話になっているしね、そう頭の中でつぶやいて、GODIVAで
2018年3月8日 03:31
久しぶりの代休をとって、平日の真っ只中で華金気分を味わう水曜日。ゆったりとお風呂に浸かって、思いっきり夜中まで起きちゃって、リセットした体にボディバターでマッサージ。ふと足元に目をやると足の指の爪が伸びていることに気づいて、やると決めたらとことん念入りに手入れをしたくなる性分のA型の私だけど、ぬるっとまだクリームが残る手の指先に切ったはずの爪のかけらがついて順序の間違いに
2016年9月30日 20:35
日が暮れるともう外には涼しい風が吹いていて七分袖にサンダルのアンバランスがしっくりくる一段ずつ階段を降りるたびもわっと重たい空気が足元に絡みついて地下鉄のホームにはまだ嫌な夏の匂いが残っているあんなにさわやかな風が吹いていた地上はどこかにいってしまって眉間にしわをつくりながらなんでもない顔をするついこの間まで空の広い国道を車で走っていたのが遠い昔のように恋しくなる人が多く
2016年9月12日 06:21
久々の夜明け。珍しく気付いたら寝てしまっていて、変な時間に目が覚めた。あたりはまだ暗い。とりあえず顔でも洗って、歯を磨く。しばらくするとカーテンの向こうがわが白んできて、朝がやってくる。窓を開けると、まだ青白い空の下で誰の気配もない中学校のグラウンドがどこか少し怖い。ひんやりした風が肌をかすめて、そろそろ夏が帰ろうとしている。人の姿は見えず、車の音も聞こえない。ただ虫の鳴く
2016年9月3日 01:12
久々に東京に帰った。新宿に到着するバスから見えるのは、高層ビルと人、人。しばらく自然に囲まれた人の少ない場所で暮らしていたから少し疲れてしまうかなと思っていたけれど、不思議とそんなことはなかった。山々の連なりが空の形をつくる風景があったように、ここにはまたこういう風景がある。それはどちらがいいとか悪いとかではなくて、それぞれの土地の生き方なのだということが、こうして行き来を繰り返すうちに私の
2016年5月16日 00:57
幼いころ、実家の屋上には温室があって、祖父が胡蝶蘭を育てていた。両親や祖母はめったに上がってこなかったけれど、私は屋上に出る重い扉をこっそり開けて、よく温室を覗きに行った。外から見るとただの透明な部屋なのに、中に入ると、むわっと暑い湿気に襲われる。肌にはすぐに水滴がこびりついてきて、自分の体がこの小さな空間に飲み込まれて溶けていくような気がした。庭とも家の中とも違う温室の匂いは、それま
2016年5月16日 00:53
京大近くの吉田山をくだって、森を抜ける。猫の抜け道みたいな隙間を抜けると、急に視界が広がる坂道。坂の途中からのぞむその屋上には、少し傾いた屋根がひょこっと顔を出していて、洗濯物が干してあった。柱と屋根のシンプルな構造物が、風の抜けるひとつの部屋をつくっている。まわりにフェンスが設置されているわけではないけれど、多分、屋上の下の屋根の部分が少し盛り上がって低い塀をつくっていて、絶妙な高さ
2016年5月2日 01:42
ベッドは、ひとつの世界。見えないうすーい膜が、この身体ひとつ分のまわりをぐるっと囲んで、外の空気をすり抜けさせながら、ちょうどいいひとりぼっちにさせてくれる。部屋は、外から見ればただの箱。何もない空間に内と外を作り出す装置。でもそれは内と外をそれぞれ遮断する役割なのではなくて、自分のこの身体を地面に立たせるための、ちょうどいい距離をはかる、ものさしみたいなものなのだと思う。誰かの肌に触れ
2016年4月16日 22:12
バイト先で、先週もらったお祝いの花を処分するように言われた。あまりに大きくて、解体しないと捨てられない。一本一本花を抜きながら、ゴミ袋に入れていく。それまで「お花」という塊だと思っていたものが、それぞれに顔を持っていたことを知る。お前こんなところにいたのか、もうそろそろ寿命なのかなあ。そんなこと思いながらひとつひとつ覗いていると、まだもう少し元気のありそうな花もいくつかいた。「これ
2016年4月11日 01:05
静かな夜の住宅街。前を通り過ぎた家から、水の音がする。きっとこのあたりにお風呂があって、誰かがシャワーを浴びている。閉じていればただの箱のように見えるそれが、ひとつの家族を覆う「家」なのだということを思い出させる。あの家も、その家も。以前住んでいたアパートは1階にあったので、2階に住む人が洗い物をしたりシャワーを浴びていると、壁を伝って水の音がした。はじめはこの水はどこを流れている
2016年4月5日 22:50
その日はいつもより少しはやく家に帰って、夕飯をつくろうと決めていた。にんじんが3本くらい余っていたから、きんぴらで消費しようと細切りに。にんじんって固くて切りづらいし、単体だとボリュームはないし。主役にするには微妙だなと思いながらも、もうこれからスーパーに行く気分でもなくて、とりあえず切る。切る。切る。切る。あ。 まな板がぐらついて、左手の親指に当たった。つー..と
2016年2月29日 20:13
荷物のなくなった部屋は、がらんどう。引っ越しの日まではまだ数日あるけれど、同居人が少し物を運んで、つい昨日の朝まで見えていなかった壁が顔を出した。暖房器具がなくてただでさえ寒い部屋に、冷たい空気が充満していくのがわかる。台所からベッドを行ったりきたりする度に、少し建てつけの悪いとびらがカタカタと立てる音を初めて聞いた。今までこちらばかり向いていたテレビの声が、がらんと空いた後ろの空間に