音楽史4『中世西洋音楽』
かつて古代ローマの首都が置かれその発祥の地でもあったローマに居るローマ教皇を中心とするカトリック教会が、当時、旧ローマ領のガリアやゲルマニアを征服し力を持っていたカロリング朝フランク王国のカール大帝を正式な皇帝として承認して抱き込んだ事で、中央ヨーロッパから西ヨーロッパで広く信じられるキリスト教宗派となった。
カトリック圏ではグレゴリオ聖歌というローマとフランクの聖歌が混ざった様式に音楽が統一されていき、このグレゴリオ聖歌の誕生以降に発展していった西欧の音楽が中世西洋音楽である。
初期の中世西洋音楽は基本的に皆で一つの音程を歌ういわゆる「モノフォニー」の歌であり、グレゴリオ聖歌などキリスト教の聖歌など古代から続く音楽は基本的にこれであった。そして、9世紀頃、スイスの「ザングト・ガレン修道院」にて皆がそれぞれ別の旋律を歌う合唱的な音楽が誕生した。
(↑モノフォニー聖歌)
12世紀以降には多声音楽が「オルガヌム」と呼ばれる主となる旋律に上の旋律が組み合わされた形の技法や歌詞に並行・挿入した歌われる部分である「トロープス」として確立し、これが三つ以上の旋律になったり、単純に音が上というだけでなく非常に複雑な作りになるなどされ始め、「ポリフォニー」という複数のパートに分かれて歌う音楽が誕生した。
フランスのリモージュの修道院で「サン・マルシャル学派」と呼ばれる集団がオルガヌムを多く作り大きく発展させ、以降、フランスはポリフォニー(合唱)の中心地となり、同時期にはドイツのラインラントの修道院長で神学者・宗教劇作家・詩人・言語学者・作曲家であった世界史を代表する天才ヒルデガルト・フォン・ビンゲンも多くの宗教歌を残した。
ちなみに「フランス」は先ほどローマ教皇に抱き込まれた中央ヨーロッパ・西ヨーロッパを支配したフランク王国が広くなりすぎた事を原因に分割された際の西側の国で、その東側が「ドイツ」である。
また、スイスで複数の旋律を使った音楽が生まれた時期と同じ9世紀にはグレゴリオ聖歌が「ネウマ」と呼ばれる記号を用いた楽譜で楽曲の記録が残されるようになり、このネウマは当時、東方のギリシア人のビザンツ帝国で開発されたもので、ネウマもギリシア語で合図を意味する。
ビザンツではグレゴリオ聖歌の歌われるローマ教皇を頂点とするカトリック教会ではなく正教会が信じられており、ビザンツは古代ローマが東西に分裂した際に西は自然消滅したが、東は生き残った、その東の国で、古代ローマの後継者であり、住んでいるのはギリシア人である事から古代ギリシア文化の後継者でもある。
(↑レオニヌス作)
そして13世紀頃、フランスで発展したポリフォニーは「アルス・アンティクア」の時代となり、特にノートルダム学派と呼ばれるパリのノートルダム大聖堂のレオニヌスやペロティヌスなどの作曲家達によって開拓され、音の長さを音符の形で表す方法もこの時期に生まれた。
また、中世には民衆の文化や伝承を弦楽器とともに歌う芸人である吟遊詩人がおり、初期の12世紀頃には貴族階級の出身が多く、まず上流階級の事が書かれたオック(南フランス)詩を歌うアルナウト・ダニエルやラインバウト・デ・ヴァケイラス、ジャウフレ・リュデル、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン、 アキテーヌ公ギヨーム9世などの「トルバドゥール」が西欧各地で活躍した。
そこから北フランスで巨匠クレティアン・ド・トロワなどの「トルヴェール」、ドイツでヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ、ハルトマン・フォン・アウエ、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク、ナイトハルト・フォン・ロイエンタールなどの「ミンネゼンガー」に発展した。
カスティーリャ(スペイン)の王アルフォンソ10世はスペイン散文の父とされる一方でトルヴァドゥールや西ゴート時代の典礼歌や民謡、東方の讃歌、中世の舞踊から影響を受けて『聖母マリアのカンティガ集』を完成させ、ポルトガルでも影響されて「カンティガ」が生まれ王のディニス1世も活躍した、アダン・ド・ラ・アルはトルヴェールとアルス・アンティクアの両方を作り、外交官・作曲家・詩人のオスヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタインなどもいた。
(吟遊詩人風"朝日のあたる家"カバー)
当初、吟遊詩人は強い文化的影響を持ち、当時を代表する文学作品「アーサー王物語」や「ローランの歌」なども生み出したが、その代表作品が全て騎士、つまり上流軍人を主人公としたものである事からもわかるように吟遊詩人文化は騎士の活躍する世界だからこそ存在できたもので、1400年頃から各地から傭兵が騎士の代わりに軍事を行い始め、騎士が盗賊に成り下がると吟遊詩人も消えた。
ちなみにこの中世西洋音楽で使われ始めた楽器としては弦楽器ではフィドル、リュート、リラ、ハープ、ハーディガーディ、チェンバロ、ギターなど、管楽器ではショーム、リコーダー、オルガンなど、打楽器ではタンバリンなどがあった。
(↑マショー作)
14世紀のフランスでは一定のリズムを繰り返して曲を作る「イソリズム」技法や「シンコペーション」技法などを用いリズムを重視する「アルス・ノーヴァ」という音楽様式が生まれ、記譜法が改良されていき、『ノートルダム・ミサ曲』などの作者の中世最大の巨匠ギヨーム・ド・マショーやフィリップ・デ・ヴィトリなどが活躍、それ以前の技法は古技法「アルス・アンティクア」と呼ばれた。
(↑ランディーニ作)
14世紀のイタリアではトルバドゥールなどの吟遊詩人、特にアルナウト・ダニエルなどの人物の影響を受けた民衆の様子を書いた精密な歌詞で旋律を重視した「トレチェント音楽」が誕生、フランチェスコ・ランディーニやヨハンネス・チコーニアなどが活躍した。
(↑Johannes Ciconia作)
ローマ教皇が内紛や皇帝との権力争いを行ってローマとフランスのアヴィニョンに教皇が並立した状態となった14世紀末にはフランスから北イタリアでアルス・ノーヴァが非常に複雑になった「アルス・スブティリオル」という様式が誕生、このアルス・スブティリオルのリズムの複雑さは西洋音楽の中でも特別で、中でバラードやヴィルレー、ロンドーというジャンルが生まれた。