音楽史19『近代音楽-後編-』
イギリスの作曲家達
19世紀後半から20世紀のイギリスではロマン派の作風を受け継いでエドワード・エルガーが活躍、彼は父と働く一方で作曲や演奏活動を行い、結婚して首都に移ると『エニグマ変奏曲』が国際的に流行り名声を獲得、愛国歌『希望と栄光の国』として広まった『威風堂々』やチェロ協奏曲などを発表していった。
エルガーの後の世代では印象主義に影響された作曲家が多く輩出され、チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの教え子のレイフ・ヴォーン・ウィリアムズは19世紀末のイギリスで行っていた民謡復興運動に参加して民俗音楽を収集し、教会音楽も研究、イギリス人による音楽の復興の基礎を築いたとされ、同じ門下のグスターヴ・ホルストは音楽教師として活動する一方で、その影響を受けて民謡を取り入れて作曲を行い、徐々に名声を得てその中で非常に有名な『惑星』も発表した。
その他、19世紀末から活躍した世代ではフレデリック・ディーリアスという人物は印象主義音楽を本格的に行い、交響曲や交響詩を多く書いたアーノルド・バックス、オーケストラの改革者として知られるヘンリー・ウッドなどもいた。
東ヨーロッパの作曲家達
オーストリア領のハンガリーでは巨匠バルトーク・ベーラが活躍、彼はピアニストとして活動を始め、その頃から東欧の民俗音楽を中心に科学的な視点から他の研究者達と共に収集を行い民謡的な要素のある作品を評価を獲得、一時的に作曲から離れるが第一次大戦では民謡収集が行えず著名なオペラ『青ひげ公の城』などを発表、その後に『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽』をスイスの楽団に書き、第二次世界大戦後はアメリカに移り『管弦楽のための協奏曲』などを発表するがすぐに病死した。
ハンガリーからは他にもコダーイ・ゾルターンも輩出されており、彼も民謡研究の開拓者でバルトークに対して民謡の手解きを行い、その後には音楽研究についての研究も開始、これらは「コダーイ・メソッド」と呼ばれ、民族音楽に影響を受けた作品や教育用の曲を多く書き、最後までハンガリーでの活動を行ない、名声をえた。
オーストリア領のチェコでも多くの著名な作曲家が現れており、特にレオシュ・ヤナーチェクは著名で東部のモラヴィア地方の民族音楽を研究してその旋律の特徴を使って『イェヌーファ』などのオペラ、『シンフォニエッタ』などの管弦楽、室内楽、ピアノ、オルガン、『グラゴル・ミサ』などの合唱、など様々な曲を作り、20世紀後半から世界的に知られるようになった。
他にもチェコでは複雑なコードを用いたヴァイオリニストのヨセフ・スク、後期ロマン派の音楽を保ったヴィーチェスラフ・ノヴァーク、その後には新古典派になり多くのジャンルの作品を作ったボフスラフ・マルティヌーや半音をさらに細かくした微分音を用い始めたアロイス・ハーバなどが活躍した。
また、中欧と東欧の間にあるルーマニアではジョルジェ・エネスクが登場、ルーマニアの民族音楽に影響を受けた作風を持ち、フランスで先述したフォーレやマスネに師事、第二次大戦後にルーマニアがソビエトの支配下に入るとフランスに完全に移って活動した。
ポーランドではピアニストのイグナツィ・パデレフスキが国際的な成功を納めていたが作曲活動ではあまり振るわず第一次世界大戦後にはポーランドの首相を務めるなどし、その暫く後の世代ではカロル・シマノフスキが活躍、初期には後期ロマン派、中期には印象主義とオリエントや古代ギリシャや古代キリスト教的作風の融合、後期にはタトラ山地のグラルと呼ばれる古代スラブの末裔の民謡を研究し、その音楽は後のポーランドのクラシックの基礎となった。
スペインの作曲家達
スペインでは多くの作曲家が民族音楽と深く結びついていた一方で、多くがフランスのパリで学んだこともあり印象主義などの要素を受け、イサーク・アルベニスはフェリペ・ペドレルに勧められスペイン音楽の作曲を開始、19世紀最末に教会旋法や2度和音を活用したスペイン風味のピアノ音楽の様式を確立し『イベリア』や『アストゥリアス』などを作曲した。
マヌエル・デ・ファリャはペドレルに師事してフラメンコに興味を持ちパリでラヴェルやドビュッシーらと交流、第一次大戦後にスペインに戻ると交響詩『スペインの庭の夜』、バレエ『恋は魔術師』『三角帽子』などを作曲、その後には新古典主義の影響も受けた。
フランシスコ・タレガは失明しかけたためそれでも暮らしていけるギタリストの教育を受けギターの達人として活躍、『アルハンブラの思い出』などを作曲しギターに独奏楽器としての可能性を示した。
ロマン派の作風を保ったエンリケ・グラドナスもペドレルに師事してピアニスト、作曲家、教育者として活動し、第一次大戦中にアメリカに渡った所で魚雷攻撃で死去しており、他にもよりフランス的な様式で幅広いジャンルで活躍したホアキン・トゥリーナなどもいた。
その他の作曲家達
アメリカでもワシントン海兵隊楽団のバンドリーダーのジョン・フィリップ・スーザが『ワシントン・ポスト』や『星条旗よ永遠なれ』に代表される100以上の行進曲(マーチ)を作曲、「マーチ王」とも呼ばれる。
チャールズ・アイヴズはアメリカの民俗音楽の要素を取り入れてシェーンベルク、ストラヴィンスキー、バルトークよりも前に無調、ポリリズム、多調、微分音などを導入、非常に多くの作品を書き死後にはアメリカ音楽黎明期の巨匠と見做されるようになっている。
その他の国ではベルギーでヴァイオリニスト・作曲家のウジェーヌ・イザイが名声を獲得しており、オーストラリア出身のパーシー・グレインジャーは国際的に活動した。