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音楽史16『近代音楽の前夜』

サン=サーンス

 普仏戦争後でプロイセン(ドイツ)と戦争したフランスではカミーユ・サン=サーンスが当時、巨大な影響力を持っていたワーグナーなどのドイツ人の音楽に反発してフランス独自の音楽を育むための「国民音楽協会」をセザール・フランクやガブリエル・フォーレらと共に設立した。

 サン=サーンスは近代音楽への移行期の中でも比較的古い保守的な作風の代表的な人物で、『序奏とロンド・カプリチオーソ』や交響詩『死の舞踏』、オペラ『サムソンとデリラ』、交響曲『オルガン付き』、組曲『動物の謝肉祭』などの著名な多くの作品を残した。

ビゼー

 また、ジョルジュ・ビゼーも国民音楽協会の作曲家で現在では著名だが当時は古典的演目が好まれていたためオペラ『真珠採り』『アルルの女』『ジャミレ』などを発表するが名声は得られず30代で死去、しかし、最後の作品『カルメン』がウィーンで爆発的に受け、現在まで歴代最大の人気を持つオペラ、クラシックで最も著名な一曲となっている。

マスネ
ドリーブ
ポンキエッリ

 他にもフランスでは国民音楽協会の作曲家の一人であるジュール・マスネが『マノン』『ウェルテル』『タイス』などのオペラや他にも多くのジャンルを作曲、他にもレオ・ドリーブが『コッペリア』『シルヴィア』『ラクメ』などの著名なオペラ作品を作曲して華麗な「フランス・バレエ音楽の父」として位置付けられており、アミルカレ・ポンキエッリがオペラ『ラ・ジョコンダ』やバレエ、その他の多くのジャンルを手がけた。

サリヴァン
ボーイト

 オペラではイギリスでアーサー・サリヴァンが『ミカド』や『ペンザンスの海賊』などの著名なオペラを作曲していて、イタリアではアッリーゴ・ボーイトが『メフィストフェーレ』などを作曲、ヴェルディなどの台本作家としても活躍した。

スメタナ

 チェコでは同じスラブ圏のロシアの国民楽派の発展と共に「ボヘミア楽派」が誕生、ベドルジハ・スメタナはオーストリア領だったチェコ地方の独立願望や民族主義と関わった国民楽派の発展に大きな影響を与え、管弦楽曲の『わが祖国(モルダウ)』やオペラ『売られた花嫁』などの非常に著名な作品を作曲した。

ドヴォルザーク

 同じくボヘミア楽派のアントニン・ドヴォルザークは音楽史上最大の巨匠、ロマン派最大の作曲家の一人で、肉屋の修行中に音楽も習いその後にスメタナの指導を受け、ブラームスによって才能を見出されて国際的な名声を獲得、アメリカに一度行って帰国、交響曲では7番、8番「イギリス」、そして非常に著名な9番「新世界」など、その他、『スラヴ舞曲』『チェロ協奏曲』『アメリカ』などを残した。

ヴィエニャフスキ
ブルッフ

 他にもこの時期、ロシア領ポーランドではヴァイオリンのヘンリク・ヴィエニャフスキが華麗で民族的な作風で活躍、ハンガリーのカール・ゴルトマルクはドヴォルザークに師事、プロイセン(ドイツ)のマックス・ブルッフは国民楽派の流行から民俗音楽を取り入れており、『ヴァイオリン協奏曲第1番』『スコットランド幻想曲』などを作曲した。

サラサーテ
ラロ

 また、スペインのヴァイオリニストでスペイン民俗音楽の要素を入れた国民楽派的なパブロ・デ・サラサーテもこの頃の人物で、『ツィゴイネルワイゼン』などを作曲、サンサーンスから『序奏とロンド・カプリチオーソ』など、ブルッフから『スコットランド幻想曲』を提供され、『スペイン交響曲』や『イスの王様』などのエドゥアール・ラロもその演奏で有名になった。

グリーグ

 そして北欧のノルウェーでは非常に著名な作曲家エドヴァルド・グリーグが現地の民謡を取り入れて国民楽派的な作風を作り上げており、彼はまず先述したデンマークのニルス・ゲーゼに学び、オスロの楽団の指揮者に就任すると代表作の『ピアノ協奏曲』や、大巨匠劇作家イプセンに曲付け依頼された『ペール・ギュント("朝"含む)』などを作曲、その後、地方で民族音楽に傾倒し『ホルベアの時代から』しており、また、数十年をかけて『抒情小曲集』も完成させた。

フォーレ
ヴィドール

 後に近代音楽を始めることとなるフランスでは19世紀末期には、ドイツのワーグナーの革新の影響はありながらもフランス独自の音楽様式を確立していきサン=サーンスやマスネたちの他、『レクイエム』や『パヴァーヌ』などを作曲しやや調性やリズムが崩れた曲に美しいメロディを付ける作風でフランスやイギリスで名声を得たガブリエル・フォーレ、バッハの紹介を行ったオルガニストでフランクの後任として音楽院の教授となりアメリカやイギリスなどを回って教え多くの著名な弟子を輩出したシャルル=マリー・ヴィドール、フランクの弟子のヴァンサン・ダンディやエルネスト・ショーソンなどが活躍した。

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