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音楽史17『近代音楽の誕生』

 「近代音楽」とはクラシックの流れを汲む20世紀初頭の音楽の事で、音楽理論が一気に制約から解き放たれることとなり、また、この時代には当然、リヒャルト・シュトラウスやマーラーなどといった後期ロマン派の巨匠作曲家達も活動を続けていた。

ドビュッシー

 19世紀後期のフランスの作曲家クロード・ドビュッシーは西洋とは全く異なる体系のインドネシアの「ガムラン音楽」に影響を受け、その後にワグネリアンに限界を覚え、大詩人マラルメのサロンの下で様々な技法を試み、管弦楽曲の『海』『夜想曲』『牧神の午後への前奏曲』『遊戯』、ピアノの『ベルガマスク組曲("月の光"を含む)』や『子供の領分』『2つのアラベスク』、ピアノ曲集『ピアノのために』、オペラ『ペレアスとメリザンド』などを作曲した。

 ドビュッシーは発展してきた機能和声を放棄した自由な和声を用い、長音階・短音階のどちかなのかをぼかして、不協和音も使用して「全音音階」を始めて本格的に導入、「印象主義音楽」と呼ばれる作風を作り上げ、従来の音楽理論はここで崩れ、多くの作曲家がこれを模倣して行くことで音楽史は大転換を始め、ここから近代音楽は開始することとなった。

ラヴェル

 また、モーリス・ラヴェルもドビュッシーと同じく「印象主義音楽」とされ、ロマン派の技法に基づいてはいたが母家のスペイン方面(バスク)の音楽や当時最先端のジャズ、ジプシー音楽、ガムランなどアジア各地の音楽も取り入れ、さらに優れた管弦楽技法を持っていたことから「管弦楽の魔術師」と呼ばれた。

 ラヴェルはバレエの管弦楽でクラシック音楽を代表する曲の一つ『ボレロ』や『ダフニスとクロエ』『ラ・ヴァルス』など、その他の管弦楽では『スペイン狂詩曲』やピアノ曲からの編曲作品、そしてロシアのムソルグスキーの『展覧会の絵』やシューマンの『謝肉祭』などの管弦楽アレンジをおこなった。

 ラヴェルはピアノでは『夜のガスパール』『亡き王女のためのパヴァーヌ』『水の戯れ』『鏡』『マ・メール・ロワ』『クープランの墓』、協奏曲では『ピアノ協奏曲』『左手のためのピアノ協奏曲』など、室内楽曲の『ツィガーヌ』など、オペラでは『スペインの時』『子供と魔法』を作曲した。

サティ

 同世代のエリック・サティも「音楽界の異端児」として知られ、教会旋法を取り入れて調性やコード進行を捨て対位法の違反進行も行うなどし調号や拍記号を廃止、旋法を用いる技法はラヴェルとドビュッシーにも大きな影響を与え彼らと共に近代音楽の開始に大きな役割を果たし、初期には『ジムノペディ』や『グノシエンヌ』を作った。

 また、サティはその後には無限に繰り返すミニマル・ミュージックの先駆けとなった『ヴェクサシオン』などの作品たち、生活に溶け込むことを意図しアンビエント・ミュージックの始祖的存在となった『家具の音楽』などの作品も作曲し、現代音楽の発展に巨大な影響を残している

デュカス

 その他にもこの世代のフランスではオペラ『アリアーヌと青ひげ』や管弦楽の『魔法使いの弟子』などを作曲し多くの著名な弟子を輩出したポール・デュカス、オペラ作曲家のギュスターヴ・シャルパンティエ、ドビュッシーの死後にラヴェルと共にフランス楽壇のリーダーとなったアルベール・ルーセル、エマニュエル・シャブリエなどがいた。

シェーンベルク

 また、オーストリアのアルノルト・シェーンベルクに始まる特に和声を離脱し多調を用いた作曲家達の「新ウィーン楽派」と呼ばれる一派が20世紀の最初期にあり、シェーンベルクは初期にはロマン派的な『浄められた夜』『ペレアスとメリザンド』『グレの歌』などを作曲、『月に憑かれたピエロ』などで無調技法を生み出し当初は小さい規模での発表であったが徐々に認められ、その弟子のアントン・ヴェールベルン、アルバン・ベルクらと共に特定の調のない無調音楽を作るための「十二音技法」というオクターヴ内の12音を均等に使用する技法を確立した。

ベルク
ヴェーベルン

 ベルクは『ヴァイオリン協奏曲』やオペラ『ヴォツェック』『ルル』などを作曲、ヴェーベルンは生前はあまり有名でなかったが死後に大きな影響力を持つこととなり、彼らはナチス・ドイツによって退廃的な音楽として禁止されシェーンベルクはアメリカに渡った。

ツェムリンスキー
アイスラー

 他に「新ウィーン楽派」に近い人物としてはシェーンベルクの師匠で友人でありやや前衛的な傾向があったアレキサンダー・ツェムリンスキーや、シェーンベルクの弟子であるが対立しその後にナチスから逃げてアメリカに渡り映画音楽などを手がけ東ドイツに戻って国歌『廃墟からの復活』などを書いたハンス・アイスラー、様々な実験をおこなったオペラ作曲家のフランツ・シュレーカー、新ウィーン派以外の人物としてはロマン派音楽と前衛的な無調音楽などを行き来したエルンスト・クルシェネクなどがいた。

ブゾーニ

 また、イタリア出身でドイツで活躍したフェルッチョ・ブゾーニは感情的なロマン派を否定して形式的な古典派を理想として「新古典主義」を提唱、さらに電子音楽や半音よりさらに細かい高さの変化のある微分音など現代音楽の概念の多くを提唱した。

レーガー
ヴォルフ
レハール

 また、ドイツやオーストリアではそれらの前衛的な作曲家達だけでなくマーラーやリヒャルト・シュトラウスなどそのままロマン派音楽をおこなった者も多く、数多くのオルガン曲、歌曲、合唱曲、ピアノ曲、室内楽曲を作ったマックス・レーガー、ライトモチーフやドイツ語のアクセントに着眼しドイツ歌曲の頂点とされるフーゴ・ヴォルフ、『メリー・ウィドウ』『微笑みの国』などのオペレッタを作曲したウィーンのフランツ・レハールなどは特に著名である。

フンパーディンク

 他にもオペラ『ヘンゼルとグレーテル』の作者であるエンゲルベルト・フンパーディンク、新ウィーン楽派を否定してロマン派の作風を保とうとしたハンス・プフィッツナー、ロマン派の作風を保ちながら複雑なリズムや和声を研究したフランツ・シュミットなどもいた。

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