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加藤楸邨の一句

牛に煮る古馬鈴薯は人も食ふ 助詞の見事な句です 牛に煮る古馬鈴薯“を”人も食ふ この馬鈴薯は牛も人も食べるものとして煮てあります 本来は牛のために煮ているのですが、習慣として人も食べている もしかしたら、小昼のような形で食べているものかもしれません 牛に煮る古馬鈴薯“を”人“が”食ふ 牛に煮るものである古馬鈴薯を人が食べるという意味になります 牛に煮るは現在の様子ではなく、本来はそうであるものという意味です そこからこれはアクシデントではなく、違うと思いつつそうせざるを

    • 「ぼくのお日さま」ネタバレ感想

      作品に賛否あるようなのですが(詳しくは知りません)、私は賛とまでは言わないけれど、否ではないです 映画はフルスクリーンではなく、映像は粗く、音楽は作品世界の空気の中に流れています それはノスタルジーというだけでなく、少し離れて観てくださいと言っているように感じました 時代は今より20年ほど前のこと 昔のことだから、今の感覚で判断しないでということではなく、彼らにとって過ぎ去ったひとときであると受け取ってほしいのではないかと思いました エンディング曲を聴いたときは、こんなに説

      • 赤尾兜子の数句 三

        ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう ゆめのひらがな表記が気になりました 夜に見る夢だとすると、「二つ」が「全く違う」ということから、記憶も鮮やかな夢とも思えるのですが、それならば漢字で夢と書くでしょう 細部は薄れても、夢の中で生きた実感が心と体を離れない、そういうゆめではないかと思いました 目覚めて尚、時折立ち上がる体にまとわりつくような余韻を感じます 胸に抱く夢だとすると、その夢がまだ不確かなものと思えるのですが、そうすると二つを並べて「全く違う」と断言することは難しいです ゆめ

        • 赤尾兜子の数句 二

          雲の上に雲流れゐむ残り菊 眼前にあるものは、空に雲、地に菊です 「ゐ」は動作の継続、状態・結果の存続を表します 雲は自らの意志で流れているものではないので、動作や結果ではなく、状態の存続だと思いますが、それ以上にこの雲の流れには状態の存続、永遠性を感じます 「む」は推量です 流れむではなく、流れゐむであることから、推量は「ゐ」に対して使われているのだと考えられます 流れ続けるのだろうと、その永遠性に対して使われているのです 流れむであれば空は曇天、その上を流れる雲は見えませ

        加藤楸邨の一句

          赤尾兜子の数句

          以前から読んでみたいと思っていた赤尾兜子 「鑑賞赤尾兜子百句」(渦俳句会編)を読んでみました とても難しい 句もですが、鑑賞を理解することから難しくてできませんでした 「赤尾兜子の百句」(藤原龍一郎著)、「赤尾兜子の世界」(和田悟朗編著)と読み進め、三冊を繰り返し読んでみて、やはり難しいとは思ったのですが、その中でも心に残った句を書き留めておこうと思います 会うほどしずかに一匹の魚いる秋 破調ですが、調べの美しい句です 「しずかに」で一呼吸あります ここで切れがあるとすれ

          赤尾兜子の数句

          篠原梵の一句

          千野千佳さんのnoteで紹介されていた『篠原梵の百句』を読みました 岡田一実さんのお名前に、以前セクト・ポクリットに寄稿されていた方ではないかな?と思ったことも読みたいという動機の一つです こちらの特別寄稿ですが、とても面白かったのです 作品はどれも、この景を確かに私は見たと思える写生句であり、さらにその記憶を視覚以上の身体感覚で呼び戻す、読み手の内側に入ってくるような、句に肉体の見えるような句でした 解説で挙げられている梵の特徴としての下五の字余りが、触れて終わるはずだっ

          篠原梵の一句

          波多野爽波の一句

          セクト・ポクリットのこの記事を読んで、「波多野爽波の百句」(山口昭男著)を読みました 解説には豊かなエピソードと、波多野爽波自身の言葉、句会・吟行を共にした方々の言葉が多く引いてあり、臨場感をもってその教えを知ることができます 百句の中から、特に惹かれた句を読んでみようと思います 向うから来る人ばかり息白く 「ばかり」で切るか、切らないかで読み方が変わります 切らないとすると、向こうから来る人の息が白いという景になります 向こうから来る人は顔が見えるので、その白い息が見

          波多野爽波の一句

          山田耕司句集「不純」の鑑賞

          俳句同人誌「円錐」編集人、山田耕司さんの第二句集「不純」を読みました 私は詩心がなく、幻想的な、飛躍の大きな句はよくわからないのです 詠めないし、読めません 山田さんの代表作の一つ 焚き火より手が出てをりぬ火に戻す も、これまでよくわかりませんでした けれど、この句集の句はなぜかどれも面白く、そうして目にしたこの句はどうしてだかとてもよく伝わってきたのです それは、句に実景が見えたからだと思います 実景から把握、そして表現という段階を解釈、鑑賞の手がかりにできたのだと思う

          山田耕司句集「不純」の鑑賞

          山田耕司句集「不純」

          俳句同人誌「円錐」編集人、山田耕司さんの第二句集「不純」を読みました まず、目次に倣って気になる句を挙げていきたいと思います 一 ボタンA 煩悩やあやとりは蝶そして塔 跳び箱よ虹は橋ではなかつたよ 濡らさるるこの奥ゆきをところてん 肩に乗るだれかの顎や豊の秋 エビフライずれてをるなり紅葉山 梳くや髪小春日の人かたむけて 鱈子焼くどちらの岸も隅田川 古池や押すに茶の出るボタンA 二 身から出たサービス うぐいすや順番が来て巴投げ にんげんに名札をくばり蛍

          山田耕司句集「不純」

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 3

          ネタバレしています 本著「カササギ殺人事件」内小説「カササギ殺人事件」は、1955年を舞台にしながら現代の倫理観を持つ人物を配することで、アガサ・クリスティの時代の差別と偏見を否定してみせました その一方で、当時の差別の残滓、形を変えた現代の偏見を顕にしました 「それは差別・偏見だと知っている」ということに安住することが、また別の偏見を生むことも描かれていました 最終章では、さらにもう一つ問題が提起されています メアリの日記で明らかになったロバートの狂気ですが、ロバート

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 3

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 2

          ネタバレしています 1で書いたアガサ・クリスティの時代の差別と偏見が「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」では現代の倫理観を持ってクリアされているという話です では、現代の倫理観は差別と偏見を完全にクリアできているのか?というと、できていないということを「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」が語っています メアリの日記を発見したチャブ警部補は、ジョイにダウン症の弟がいることを知り、日記の中の「血筋を汚す」「忌まわしき病」という記述から、メアリが

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 2

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 1

          感想なのでネタバレしています 小説内小説である「カササギ殺人事件」は、面白かったです どっぷりアガサ・クリスティを読んでいる気持ちで読める上に、クリスティを読む時に感じる苦痛がなく、その時代の景色、人間像、ストーリーを十分に楽しめました クリスティ作品には現代とかけ離れた階級意識による倫理観が見えます 例えば、貴族によって虐げられた下層階級の犯罪者が悲惨な末路を辿るとき、クリスティは彼らの動機を「逆恨み」と言い、彼らの最後を「自業自得」と書くことがあります 病気や障害に対

          「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 1

          お散歩吟行

          まず、工場直営パン屋さんに向かう いつもは水筒に飲み物を用意して行くのを、今日はコーヒーを買いにコンビニに寄ったため、土手ではなく遊歩道を歩く かつての工場用水路が暗渠になり整備された遊歩道なので、工場の機械や部品をモチーフにしたオブジェとそれに実用性を持たせたもの、ベンチやテーブル、遊具が道なりに並んでいる 野放図に茂った植栽と雑草、空き缶や吸い殻と相まって、ポップでサイバーパンクな終末感があるのだけれど、ここは春には桜、秋には紅葉が美しいのだ パンを買って、丘陵に広がる

          お散歩吟行

          関谷恭子句集「落人」感想 4

          人日(2022〜2023) 花は葉に橋くぐるとき舟しづか 中七下五の措辞そのものが静謐です 橋をくぐる時の舟に橋の影が落ちるひととき、その少しの時間の静寂を見逃さない感覚の冴えと、それをこれほどシンプルに詠む技量、季語の斡旋が見事です 時間は移ろうもの、そして豊かなもの、その両方を伝えてくれる句です ががんぼの沈みがちなるひとつがひ 沈むという表現がいいです ががんぼの動きだけでなく、その重さが感じられます 番であればこそのリアリティだと思います 風筋の黒く立ちたる

          関谷恭子句集「落人」感想 4

          関谷恭子句集「落人」感想 3

          初雪(2020〜2021) 落し文だいじに燐寸箱の中 だいじにという言葉がいいです 俳句は具体的な描写で「大事にしていること」を伝えるというのがセオリーですが、この句では「だいじに」がそのまま心に届くように感じます 燐寸箱の中という描写が漢字表記と相まって、だいじにを生かしているのだと思います 古池ふつと八月の息を吐く 八月の季語が生きている句だと思います お盆があり、終戦の日(敗戦の日)がある八月 古池は切れているのではなく、主語として読みました 八月の息なので、古

          関谷恭子句集「落人」感想 3

          関谷恭子句集「落人」感想 2

          驟雨(2014〜2017) 春雨や身ほとりのものみな無音 身ほとりという言葉のゆかしさに惹かれました 春雨は音のないものですが、無音ということで春雨の気配が際立ちます その気配に耳を澄ませているように感じました 幕間の騒めきの中豆の飯 騒めきと豆の飯を「の中」の描写で繋いでいます そこに「いただく」の省略があります 取り合わせにしないことで、観劇の幕間も楽しむ人の姿が見えます 根のものをあまた俎板始かな こちらも、根のものをと目的語として詠むことで、調理をする人の

          関谷恭子句集「落人」感想 2