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赤尾兜子の数句 二

雲の上に雲流れゐむ残り菊

眼前にあるものは、空に雲、地に菊です
「ゐ」は動作の継続、状態・結果の存続を表します
雲は自らの意志で流れているものではないので、動作や結果ではなく、状態の存続だと思いますが、それ以上にこの雲の流れには状態の存続、永遠性を感じます
「む」は推量です
流れむではなく、流れゐむであることから、推量は「ゐ」に対して使われているのだと考えられます
流れ続けるのだろうと、その永遠性に対して使われているのです
流れむであれば空は曇天、その上を流れる雲は見えませんが、流れゐむでは流れる雲も見えている可能性があります
残菊は、晩秋の季語です
菊は三秋ですが、残菊が晩秋であるのは、重陽の節句を過ぎた菊という意味があるからのようです
単に時期なのか、機を逸したという意味が含まれているのかは句によるようです
この残り菊がどちらの意味を持つのかを考えると、残る菊ではなく残り菊であることが気になりました
菊に直接かかる連体形ではなく、連用形なのです
残りと菊の間にぽっかりと隙間があると捉えると、残りとした理由は残菊を軽くすること、読みから力を抜き、意味を深追いさせないことになるのかと思います
用言が隠れていると考えると、それは「ゐ」だと思います
こちらのゐには永遠性はありません
秋という限られた時間の中で、たまたま今、咲き残っている菊なのだと思います

菊は、ただ咲いているのでしょう
流れる雲は見えているのでしょう
雲も菊も人の附す意味とは無関係に存在し、それは永遠でもあり、片時でもあるのだと思います

この句は、「赤尾兜子全句集」に遺句集「玄玄」の一句として収められています

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