関谷恭子句集「落人」感想 2
驟雨(2014〜2017)
春雨や身ほとりのものみな無音
身ほとりという言葉のゆかしさに惹かれました
春雨は音のないものですが、無音ということで春雨の気配が際立ちます
その気配に耳を澄ませているように感じました
幕間の騒めきの中豆の飯
騒めきと豆の飯を「の中」の描写で繋いでいます
そこに「いただく」の省略があります
取り合わせにしないことで、観劇の幕間も楽しむ人の姿が見えます
根のものをあまた俎板始かな
こちらも、根のものをと目的語として詠むことで、調理をする人の姿を見せています
どこかで見学する行事ではなく、自分の生活の中に「俎板始」を謹んで、かつ楽しんでいるように思えます
無月(2018〜2019)
石置きの屋根の連なる佐渡のどか
石置きの屋根という言葉、それが連なるという叙景、どちらも確かな描写で緩みがありません
この近景の確かさが、のどかの季語をいっそうおおらかに感じさせます
これよりは一村もなし朴の花
はの格助詞となしの終止形がかっこよいです
平仮名と画数の少ない漢字の並びもすっきりしています
朴の花と句の形から、寂しさではなく、凛とした涼やかさ、清らかさを感じました
放らるる朝刊の束霧の駅
霧の湿り気が朝刊の束をわずかに湿らせています
床に落ちる音にも湿りが感じられます
その音を受け止めるものも、霧なのでしょう
甲斐犬の甘えてをりぬ春隣
猟犬なのでしょう
誰もがわかる甘え方ではないのではないかと思います
飼い主だから、あるいは甲斐犬を知っている人にはわかる、だからこそかわいい仕草や表情があるのではないかと思いました
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