「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 2
ネタバレしています
1で書いたアガサ・クリスティの時代の差別と偏見が「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」では現代の倫理観を持ってクリアされているという話です
では、現代の倫理観は差別と偏見を完全にクリアできているのか?というと、できていないということを「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」が語っています
メアリの日記を発見したチャブ警部補は、ジョイにダウン症の弟がいることを知り、日記の中の「血筋を汚す」「忌まわしき病」という記述から、メアリがロバートとジョイの結婚を反対している理由は、ダウン症に対するメアリの偏見だと判断し、憤ります
小説「カササギ殺人事件」の舞台は、1955年
当時ダウン症は「蒙古症」と呼ばれており、アジア人の遺伝子が混じっているために発症するという見方もあったようで、メアリの偏見はメアリの無知によるものではなく、その時代一般の通念だったのかもしれません
チャブ警部補のダウン症への正しい理解と、偏見に対する不快感、憤りは、読み手が現代にいるからこそのものだと思います
では、チャブ警部補と視点を共にする現在の読み手は、偏見を乗り越えられているのでしょうか
「否」と、小説「カササギ殺人事件」は答えます
メアリが案じていた「血筋を汚す」「忌まわしき病」は息子ロバートの狂気であり、ジョイの弟のダウン症ではありませんでした
チャブ警部補は「障害を持つ人は偏見を持たれているに違いない」という偏見のために日記を読み違えていたのです
小説「カササギ殺人事件」のチャブ警部補だけでなく、本「カササギ殺人事件」のスーザンとチャールズも読み違えていただろうと思います
読者もまた同じ、日記を読み違えた人は全てが同じ偏見を抱いていたと言っていいのでしょう
この偏見こそが、小説「カササギ殺人事件」最大のトリックでしたアンソニー・ホロビッツがこの作品を現代と過去、小説内小説という入れ子構造にし、アガサ・クリスティの時代の差別・偏見を解消して描いてみせた理由は、ここにあったのだと思います
クリスティものにつきものの不快感がなくていいなぁ
なんて思って読んでいた私は見事に陥穽にはまることになりました
が、落とし穴に落とされたわけではなく、最初から落とし穴にの中にいて、その視野狭窄に気づかずに生きていたのだなと思いました
続いては「ロバートの狂気」について書いていきたいと思います
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