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地理・歴史学

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人の価値観は、外的環境に大きく影響されます。地球全体に関して時間軸・空間軸双方から、どのような環境のもとで我々が今ここにいるのか?解明していきたいと思っています。
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「モロッコの風土」モロッコのイスラーム事情

モロッコの3つのタブー「アッラー」「マタン」「マリク」のうち今回は「アッラー」つまりイスラーム教について、旅行して感じたモロッコのイスラーム事情を紹介。 モロッコ人は、もともとベルベル人という先住民が半分、7世紀末から移民してきたアラブ人が半分という人口構成。ベルベル人・アラブ人に関わらず、大半がイスラーム教徒スンニ派で、国王のムハンマド六世はイスラームの守護者という意味で信徒たちの長「アミール・アル=ムーミニーン」という称号も持っています。 歴史的にはユダヤ教徒(ユダヤ

「モロッコの風土」モロッコの3つのタブーとは

モロッコには3つのタブーがあるといわれています。それは「アッラー(イスラーム教)」「ワタン(祖国→西サハラ領)」「マリク(国王)」。 最初のモロッコのタブー「アッラー(イスラーム教)」の事情については別途項目を立てる予定なので、今回は残りの二つのタブー「ワタン=西サハラ領問題」「マリク=国王独裁」について、以下紹介したいと思います。 ⒈ワタン:西サハラ領問題私が小学校の時(1970年代)の地図には、確かアフリカ大陸の西北部分に独立していないエリアがあって「スペイン領西サハ

「モロッコの風土」アフリカNo.1の経済

⒈アフリカ ナンバーワンの経済モロッコ経済は、実質アフリカナンバーワンとも思われ、優秀な王様による安定した先制政治体制と治安によって順調に経済発展してきたともいえます。 実際に今回旅行してみると、私のアフリカ経験上(コートジボワール、南アフリカ、ボツワナ、エジプトなど)からしても、南アフリカ(南ア)と同等か、それ以上の近代的国家という印象。 団体ツアーなのでスラム街周辺には行けませんでしたが、カサブランカのスラム街といわれるモウレイ・ラシッド地区のGoogleマップみる

「モロッコの風土」マグリブはアトラスの賜物

北西アフリカのモロッコに10日間のツアーで行ってきました。 モロッコはムハンマド六世による強力な独裁王国のゆえか、外国人女性も夜1人で歩けるほどの治安の安定したイスラーム国家。 多様な気候に多様な文化が育まれた非常に魅力的な国でした(食事はイマイチでしたが)。 モロッコを象徴する言葉として『モロッコを知るための65章』の第1章に との言葉があります。マグリブとは北西アフリカのチュニジア・アルジェリア・モロッコの三カ国のこと。 実際にツアーでモロッコ全体を周遊した結果

「滋賀の風土」近江商人は、楽市楽座から

三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし」で有名な近江商人は、日本の三大商人の一つ(他は大坂商人、伊勢商人)。 今の企業でば、伊藤忠商事・丸紅(豊郷町)、西武鉄道(東近江市)、髙島屋(高島市)、西川産業・たねや(近江八幡市)などが現代に生きる近江商人。 近江=滋賀県は、東海道や中山道・東山道、若狭街道など、列島の日本海側・東側と関西方面とが交差する交通の要衝だから、各地に物を売りに行って儲けるには最適な場所。したがって商業が発達するのは当然ともいえます。 ⒈楽市楽座

「滋賀の風土」甲賀流忍者の実像

自治の強い滋賀県の風土として、前回は天台宗の二つの寺(比叡山延暦寺vs三井寺=園城寺)の抗争を紹介しましたが、今回はその一つとしての甲賀忍者、というか甲賀武士(侍衆?)を紹介。 参考図書はいつもの『滋賀県の歴史』に加え、藤田和敏著『甲賀忍者の実像』『忍者の里を旅する』、甲賀武士の末裔、藤田俊経による『甲賀忍者の真実』など。 ⒈忍者とは?「忍者」という言葉が、一般的に使われるようになったのは昭和30年代。当時司馬遼太郎や山田風太郎などの時代小説が流行り、そのブームの一環とし

「滋賀の風土」比叡山延暦寺と三井寺の抗争

滋賀県の風土は、ときの権力からは独立した、さまざまな自治勢力が展開している地域であることに気づきます。 一番有名なのはなんと言っても天台宗の勢力で、日吉大社と神仏習合した比叡山延暦寺=山門。 そしてその対抗勢力としての三井寺(園城寺)=寺門。特に山門は全国有数の寺領を持つ宗教団体で自治勢力という枠組みをも越えた強大な存在だったらしい。 さらに滋賀の南方には侍衆(さむらいしゅう)と呼ばれた甲賀忍者や一向宗(浄土真宗)の近江門徒、そして。さらに歴史が下ると近江商人、というよ

「滋賀の風土」すべては琵琶湖に宿る

滋賀県の中心は琵琶湖で、かつては「淡海」「近海」と呼ばれ、静岡県の浜松湖=「遠江」と対をなす巨大な湖=淡海として琵琶湖は古代の人々から認知されていたらしい。 なので今の滋賀県は、琵琶湖は静岡県にある浜名湖の「遠江」に対して「近江」、その近江の周辺地域、つまり今の滋賀県地域を近江国と呼んだのです(→旧浜松地域は遠江国と呼ばれていた)。 琵琶湖の呼び名は、江戸時代からだそうで、その形が和楽器の琵琶に似ていたから。したがって琵琶湖と呼ばれるまでは「近江」であり「淡海」だったので

「栃木の風土」修験の山としての「日光」改訂版

宗教民俗学者、五来重著「修験道入門」によれば、日光も日本各地の霊山の一つとして取り上げられています。 日光といえば「東照宮があって江戸幕府の創始者徳川家康=東照大権現を祀る土地」という印象ですが、江戸幕府がやってくる前の日光は、山伏の跋扈する修験信仰の山=霊山だったのです。 著者は、 とし、宗教は政治や経済などの俗に染まると、宗教本来の価値が失われてしまうとの考え。政治とは権力であり、経済とは金儲け。 したがって神道のように国教化されたり、勧進やお布施によって宗教法人

「栃木の風土」食文化編

海なし県の栃木県ですが、実は意外にも豊潤な食文化を持つ地域。それも地方ごとに様々な名産がある、というのも面白い。ということで主に『大学的栃木ガイド』に基づき以下紹介。 ⒈市職員の気づきから生まれたご当地グルメ「宇都宮餃子」宇都宮市が、宇都宮市に抱くイメージを全国調査したところ、圧倒的だったのが「餃子のまち」だということ。 宇都宮という街は、戊辰戦争・太平洋戦争の大空襲、と2度に渡り、街が全焼する悲劇を味わった街で歴史的建造物などはほとんど残っていない新しい街(篠原家旧宅と

「栃木の風土」概要編:栃木県は斜めにくだる

⒈栃木県は「下野軸」と二つの水系で形成栃木県を周遊すると、実感するのが「西北から東南に斜めに下る軸」です。下の図的には、左(西)から右(東)に向かって標高が下がっていく地形。ここではわかりやすくこの軸を「下野軸」と呼んでみます。 更に宇都宮を中心とする南部(下毛野=利根川水系)と、那須を中心とする北部(那須=那珂川水系)に自然環境的にも文化圏的にも大きく分かれているのが特徴。 下野軸は、日光や白根山山系から斜めに西に向かって標高が下がっていく地形なので、各種河川もすべて南

「栃木の風土」首都直下型地震の疎開先は栃木県

首都直下型地震の際の疎開候補先として私は栃木県に注目しています。そこで、ここ1ヶ月で複数回栃木県にお邪魔し、那須から小山まで、各地の栃木県を自転車等で実際に周遊してみました(残すは栃木市と佐野市のみ)。 栃木県は、津波の恐れのない「海なし県」でありプレートからも距離のあるエリア(=地震の揺れが小さい)で、首都圏の近隣に中では自然災害が圧倒的に少ないエリアなのです。 ⒈恐ろしい首都直下型地震のリスク私たち首都圏に住む住民(3,500万人)にとって最も大きなリスクは今後30年

「兵庫の風土」歴史軸としての兵庫⇔神戸。階級軸としての沿線格差?

神戸市含む、神戸ー大阪のいわゆる阪神間のエリアに関しては、関東と違って明確な地域軸があるのではと思われます。 *横軸の神戸に関しては神戸なのか、兵庫なのか。 *縦軸の阪神間に関しては阪神間の三つの鉄道沿線「阪急・JR・阪神」の格差? アースダイバー的に名付ければ、神戸の横軸は「歴史軸」、阪神間の縦軸は「階級軸」と名付けてもいいかもしれない(大阪については以下参照)。 それではまず横軸の兵庫と神戸の区分について。 ⒈歴史軸としての「兵庫⇔新開地⇔神戸」神戸市は、もともと

「兵庫の風土」日本一の日本酒生産地:灘五郷

⒈灘五郷とは「灘五郷」とは、灘にある酒造地区、東から「今津郷」「西宮郷」「魚崎郷」「御影郷」「西郷」の五つの酒造りの郷を指します。 私が実際に伺ったのは「白鹿」「菊正宗」「白鶴」の酒造。 利酒したいので三の宮の民泊先から尼崎経由で阪神電車を利用して伺いました。 それではなぜ灘五郷で日本酒生産が盛んになったのでしょう。『美食地質学入門』や現地の資料などに基づいて紹介したいともいます。 ⒉清酒の生産は伊丹の鴻池家がルーツまず初めに清酒は「伊丹」が発祥の地でのちに豪商・財