「滋賀の風土」すべては琵琶湖に宿る
滋賀県の中心は琵琶湖で、かつては「淡海」「近海」と呼ばれ、静岡県の浜松湖=「遠江」と対をなす巨大な湖=淡海として琵琶湖は古代の人々から認知されていたらしい。
なので今の滋賀県は、琵琶湖は静岡県にある浜名湖の「遠江」に対して「近江」、その近江の周辺地域、つまり今の滋賀県地域を近江国と呼んだのです(→旧浜松地域は遠江国と呼ばれていた)。
琵琶湖の呼び名は、江戸時代からだそうで、その形が和楽器の琵琶に似ていたから。したがって琵琶湖と呼ばれるまでは「近江」であり「淡海」だったのです。
さて滋賀県の地図をよく見ると、実は琵琶湖はデカいとはいえ、滋賀県全体の面積の16%を占めるに過ぎません。
また関東人の視点から滋賀県全体を俯瞰すると、いわゆる焼き物で有名な信楽や、忍者で有名な甲賀のある甲賀市あたりの地理感がよくわからない。
なぜならこのあたりは、琵琶湖に接した地域ではないから。ところが地質学的には、実はこの辺り(甲賀と接する伊賀)から琵琶湖が始まったらしい。
300万年前、北向きに沈み込んでいたフィリピン海プレートは、西に沈み込んでくる太平洋プレートに押し出されて沈み込む方向が変わり、約1億年前にできあがった地層の境界線=中央構造線が横ずれし始め、列島のシワができてそのシワがどんどん西南方向に傾き続けているのです(下図参照)。
上の図では琵琶湖は「不動プレート」上ではありますが、400万年前は甲賀市の南に隣接する三重県の伊賀あたりにあったのが、フィリピン海プレートの方向転換によって今の場所にはおおよそ40万年前に到達。今でも北方に押し出されていてこの10年で20cmの速度で移動中(10万年だと20km→100万年だとなんと200km)。
そんな琵琶湖ですが、上述のように実は世界でも有数の古い湖。一般的に湖は川から土砂が流れ込んでおおよそ1万年程度で消失してしまいますが、移動しつつも湖の体裁を40万年保ち続けています。このような湖を古代湖と呼び、世界では20湖しかない、しかも固有種がいる古代湖は琵琶湖のみという、実は世界的にも希少な湖なのです。
以上、琵琶湖の紹介をしたうえで、3週間かけて滋賀県を周遊中なので、追って滋賀県の風土について個別に展開したいと思います。
写真:湖北の琵琶湖