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強くなりたいか弱い女たち

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承認欲求のその先に
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#エッセイ

追憶のコミュ障

追憶のコミュ障

記憶の隅のたっちくん高校の頃、クラスになじめない男の子がいた。たっちくん、眼鏡をかけたそれ以外特徴を思い出す子ができないくらい影の薄い男の子だった。

なじめないというのはあくまでもわたしの主観なのだが、彼はいつも一人で行動をし、誰も彼に話しかけることはなく、一人で昼ご飯を食べ、いつもただ席に座っていた。

目立つ男子グループがたっちくんに暴力をふるったという話を聞いたこともあった。それでもたっち

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さよならまさあきさん

さよならまさあきさん

最近ニュースでよく「優性保護法」という言葉を耳にしないだろうか。これは

「 優生保護法は、2つの目的をもった法律でした。一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」--病気や障害をもつ子どもが生まれてこないようにする、という意味。もう一つは「母性の生命健康を保護する」--女性の、妊娠・出産する機能を保護するという意味です。この2つの目的のために、不妊手術と人工妊娠中絶を行う条件と、避妊具

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否認する男、避妊する女

否認する男、避妊する女

昨今男性にコンドームをつけろという女性の声が増えている。

「着けるといったのに着けてくれなかった」「ゴムアレルギーだと言って着けてくれなかった」ただ不思議なのは

なぜ声をあげるのは能動的なのに、コンドームを着けるのは受動的なのだろうゴムを着けないならセックスしないと言ったのに無理やりセックスさせられるのか。それは警察に行ってその男を社会的に抹殺するべきである

だが事実は違う。コンドームをつけ

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詰め込みすぎて変わる幸せの形

詰め込みすぎて変わる幸せの形

「自分の外見を変えられるとしたらどこを変えたい?」以前はタブーとされてきた整形の話題も今ではメイクと同じようにオープンになった。目、鼻、歯などの顔だけに限らず胸、脚の部位、そして手術方法も簡単に情報を手に入れられるようになり、身近なものになったと思う。

長い間コンプレックスとして抱え誰かの目を気にしてうつむいて過ごすより、整形して笑えるようになれるのであればこれ以上のことはないだろう。

脚が太

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純情な自己否定、透明な自己肯定

純情な自己否定、透明な自己肯定

自分を愛せない人間は誰かに愛されるわけではない。簡単に言うが自己否定感の強い人間は簡単に自分を愛することができないのだ。

元々自己肯定のできない自己否定的な人間は幼いころから褒められた経験がない、もしくは人よりいい経験をしたことがない。

「愛されなくて当たり前」
「褒められないことが普通」

自虐はネタでもなんでもなく保険なのだ。その理由は

「傷つきたくないから」「誰だって傷つくのは嫌」なん

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コンプレックスは最大の味方

コンプレックスは最大の味方

人は容姿が全てではない個性的な顔(ブスじゃない)の女が何を上から目線で言ってるのかと思われるかもしれない。だが「人は見た目が9割」と言われる以上、どうしても自分の容姿で劣ると感じる部分を人は隠してしまう。

ただそれは必ずしも自分のためにはならない。見た目で判断するような人間を、自分がふるいにかけていると考えるものありではないだろうか。

自分の欠点と思う部分を隠せば隠すほど、後々その事実に相手は

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あなたの瞳に映るわたしが好き

あなたの瞳に映るわたしが好き

例えば「わたしのどこが好き?」と聞いた時に「全部」と答えてくれる人がいるとする。それは完全に相手の自己完結であって、ありがたい話だがあばたもえくぼすぎるのである。

「あばた」とは 皮膚の天然痘が治ったあと、皮膚に残る小さなくぼみのこと。「あばたもえくぼ」とは自分が好きになった相手であれば、あばたでさえひいき目で可愛らしいえくぼに見えるということ。

落ち着いてほしい。冷静に見てほしい。あば

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