フリフリ73

23年働いた出版社を辞め、早4年目。いまだ人の話を聞いて暮らしています。仕事や旅行で地…

フリフリ73

23年働いた出版社を辞め、早4年目。いまだ人の話を聞いて暮らしています。仕事や旅行で地方に行くことも多く、いろんな街を歩きまわる生活を送っています。

最近の記事

京極さんの熊野詣トレイル⑨ DAY2 浅宇川王子から佐野王子

コメダ珈琲を出ると暑さがいっそう厳しい。それでも南へ歩いていくと「和泉式部歌碑」と、これ以上ないほど雑に書かれた看板がある。そういえば和泉式部の最初の旦那が和泉守だったため、一緒に赴任したときのだろうか。“和泉”の名もここから来ているが、別れた後は何と呼ばれていたのだろうか。そんなことを考えながら、和泉式部の実家が大江氏だったことを思い出す。 貴族といっても出世の望めない下級貴族の大江氏だが、京極さんのころには大江広元が鎌倉幕府の重鎮になっていた。後に、鎌倉武士の宇都宮頼綱

    • 京極さんの熊野詣トレイル⑧ DAY2 井口王子と池田王子

      寒さで震えながら平松王子で起きた京極さんこと藤原定家は、まだ夜も明けきらぬうちに松明を持って出発し、井口王子に先着し、一行を待っていた。すると上皇の叔父である坊門信清の息子、藤原忠信が足を怪我したようで輿に乗ってやってきた。20年後の承久の乱では上皇方の大将を務める忠信もまだ14歳。「やっちまいました」と、はにかむほど若い。御幸には信清と忠信のように、親子参加や兄弟の参加者が多かった。内大臣源通親にいたっては3男、4男、5男と3人の息子が参加する。割引でもあったのだろうか。

      • 京極さんの熊野詣トレイル⑦ DAY2 篠田王子 平松王子

        鎌倉時代のロングトレイルは2日目。思ったよりも筋肉痛はないが、11時間も寝てしまった。高校生か。 さて、昨日、大鳥大社まで歩いたので堺駅にある喫茶店でホットドッグモーニングをいただいた後、鳳駅を8時過ぎにスタート。朝は元気なので、ずんずんずんずん、ずんずんずん進んでいると道を間違えた。 旧熊野街道に戻るために西の方へ戻っていると南側に小さな丘がある。これが和泉黄金塚古墳だそうで、出土品の多くが国の重要文化財に指定されている。出土した画文帯四神四獣鏡は、景初三年(239年)の

        • 京極さんの熊野詣トレイル⑥ DAY1 仁徳天皇陵と境王子、そして大鳥居新王子

          大阪市をようやく脱出。初日の目的地である堺市に入る。Apple Watchも住吉大社あたりで電源切れになったので正確にはわからないがだいたい25キロくらいは歩いたようで、なんだか疲れてきた。 ところで、普段、神奈川に住んでいるため関西に来るといろいろと違いを感じるのだが、京極さんこと藤原定家がこの世に現れても、ビックリするに違いないのが、おばちゃんのチャリンコに装着されているあの「傘立て」だ。今日も日差しが強かったためか、4割のおばちゃん(私調べ)の自転車で花開いていた。

        京極さんの熊野詣トレイル⑨ DAY2 浅宇川王子から佐野王子

          京極さんの熊野詣トレイル⑤ DAY1 阿倍野王子から住吉大社へ

          勝手知ったる自分の領地でゆっくり休んだ京極さんは、早朝から阿倍野王子に参拝し、住吉大社に参り、歌を詠んだ後も境王子、大鳥居の新王寺、信太王子、平松王子と2日目も先達として駆け巡る。 一方、こちらはまだ初日。あべのハルカスから電車通りを歩きながら南へ向かう。阿倍野王子というくらいだから、すぐに着くかとかと思いきや1.7キロもあり、ここを阿倍野と呼んでいいのか迷っていると、こちらは阿倍野元町というのだそうだ。元祖でも本家でもなく元町。発祥の地のプライドと上品さを感じさせるいい地

          京極さんの熊野詣トレイル⑤ DAY1 阿倍野王子から住吉大社へ

          京極さんの熊野詣トレイル④ DAY1 四天王寺「天国の門」

          ターンオーバーの目玉焼きをトーストにのせ、トロピカルアイスティーをガブ飲み。ようやく身体も満足した。大阪駅前から歩き始め、気づけばすでに8.9キロ。どうりでいやにのどが渇く。 ロイヤルホスト上本町店に、ごちそうさまと感謝を捧げ、ここから目と鼻の先である四天王寺に向かう。四天王寺は聖徳太子の創建といわれ仏教寺院としては最古とされる。 鳥羽から船に乗り、渡辺津から歩いた数百人の後鳥羽上皇一行の最初の宿泊地がここ四天王寺だった。目玉は四天王寺の西門で、この門が西方極楽浄土の東門に

          京極さんの熊野詣トレイル④ DAY1 四天王寺「天国の門」

          京極さんの熊野詣トレイル③ DAY1 郡戸王子と上野王子

          骨屋町筋から一本東寄りの御祓筋を南へ下ると現れる大木。樹齢650年の神木を祀る榎木大明神は、楠木正成が植えたと伝えられている。榎木(えのき)というものの、実は槐(えんじゅ)という中国原産の木らしく、しかもその木を楠木(くすのき)が植えるという、まぁややこしい神社だけど、立派な大木は熊野詣の人にとっては良い目印になったはず。ただ、定家こと京極さんの時代にはまだ影も形もない。 この榎木大明神の急坂を下り、長堀通を超えるとさらに少し坂を下る。前方を見れば今度は上り坂があり、その上

          京極さんの熊野詣トレイル③ DAY1 郡戸王子と上野王子

          京極さんの熊野詣トレイル② DAY1 坂口王子

          清々しい秋の朝を味わいながら坂口王子(跡)を目指して骨屋町筋を南へ向かう。ご存じのように大阪は南北の道が「筋」で、東西が「通り」。 で、なぜこの筋は「骨屋」なのか。検索すると「骨」とは傘の骨をつくっていたとか、牢屋があってそこから骨が出てきたとか、そんなことが由来らしい。おもろいなと思いながら上町台地をわずかに上り、熊野街道も台地のヘリを通っていたのだなぁと感慨深い。 梅田を出発してからまだ3キロほど歩いただけ。まだまだ元気でなんか楽しくなってきた。しかも、町名がコロコロと

          京極さんの熊野詣トレイル② DAY1 坂口王子

          京極さんの熊野詣トレイル① DAY1 窪津王子

          22時過ぎにバスタ新宿を発った高速バスは夜通し走り続け、次の停車地である梅田を目指している。バスの車窓は安眠のために厚いカーテンで覆われているが、カーテンと窓の間に潜り込めば、東の空がほのかに明るくなっていく様を眺められる。外の光を漏らさぬように窓に張り付いていると、いつしか淀川を渡っていた。ということは、まもなく大阪だ。 いまから823年前の同じ月。平安末期から鎌倉初期に活躍した”歌聖”藤原定家もまた、後鳥羽上皇の熊野御幸に随従していた。こちらは少し早いとらの刻、早朝4時

          京極さんの熊野詣トレイル① DAY1 窪津王子

          ナニモノかになりたい。。。

          「何者かになりたい……」「ひとかどの人物になりたいな!」そんなことを言うのって、若者だけだとばかり思っていたけれど、50を超えたおっさんも思うんだって、我ながら、ちょっと驚いている。 とはいえ、書籍の編集という仕事をしていた30代の頃は、自分のポンコツ具合をせめて人並みくらいには上げたいと本の企画を立てていたので、目標が「人並」から「ひとかど」になったことを考えると、大きな進歩なんじゃないかなとも思うわけです。しかし、いまだ、小学生の頃と何ら変わらず、しょーもないことを考え

          ナニモノかになりたい。。。