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京極さんの熊野詣トレイル③ DAY1 郡戸王子と上野王子

骨屋町筋から一本東寄りの御祓筋を南へ下ると現れる大木。樹齢650年の神木を祀る榎木大明神は、楠木正成が植えたと伝えられている。榎木(えのき)というものの、実は槐(えんじゅ)という中国原産の木らしく、しかもその木を楠木(くすのき)が植えるという、まぁややこしい神社だけど、立派な大木は熊野詣の人にとっては良い目印になったはず。ただ、定家こと京極さんの時代にはまだ影も形もない。

榎木大明神

この榎木大明神の急坂を下り、長堀通を超えるとさらに少し坂を下る。前方を見れば今度は上り坂があり、その上が空堀商店街。つまり、このくぼみが大坂城の空堀なのねと思いきや、そうではないらしい。
そもそも大坂城の空堀は商店街の南側にあったらしく、その上、大坂冬の陣の後に埋められている。と、いうわけで窪地の謎を真ん中にある桃園公園で検索すると、ここらは土壌が良かったため、豊臣政権時代から瓦を焼いていて、家康が大阪城を再建する際もここで屋根瓦がつくられたのだそうだ。それで荒涼とした窪地の風景から「ノバク(野漠)のくぼ地」と呼ばれていると書かれていた。なるほど。熊野街道には荒野があったのか。


万城目学さんの「プリンセス・トヨトミ」の舞台になった空堀商店街をちょっとフラフラした後、南へ向かって坂を下り、寺町を抜けて郡戸(コウト)王子の推定地である高津宮に到着する。高津宮は仁徳天皇を祀っているが、もとは旧難波宮があった場所にあったという。それを秀吉が大坂城築城の際に遷座した。そんな由来を読んでいると、どこからともなくトラネコが登場し、ひとまわりした後、北へと去っていった。時計をみるともう8時。そういえばなんだか腹が減ってきた。

郡戸王子があったとされる高津宮

次の上野王子跡地は、谷町筋を超えて東にある。谷町九丁目で何か食べようかと思い、「谷九ふる里」の存在を思い出した。24時間営業のうどん屋で、ショーケースに入った寿司をついつい食べてしまう。
とはいえ、でかいバックパックを背負って入ったら邪魔でしょうがない。落ち着けそうにないので、先に上野王子を見つけることにする。
ところが、ちょうど中学生や高校生の通学時間で、おっさんがキョロキョロしながら何かを探し求める姿が怪しげ。そんななかマンション敷地内にある「上宮址碑」を発見する。ほんとうにここが上野王子跡なのか、ちょっと疑問だが、もはやどうでもいい。気持ちは朝ごはんだ。坂を下るとロイヤルホストがあり小走りに向かう。

上皇一行も次の四天王寺が宿泊場所だったので、きっとご飯のことを考えていたんじゃないだろうか。あちらは夕ご飯だけど。
まぁ、とにかくこちらは朝飯だ!

マンションの中にある碑


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