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京極さんの熊野詣トレイル⑤ DAY1 阿倍野王子から住吉大社へ

勝手知ったる自分の領地でゆっくり休んだ京極さんは、早朝から阿倍野王子に参拝し、住吉大社に参り、歌を詠んだ後も境王子、大鳥居の新王寺、信太王子、平松王子と2日目も先達として駆け巡る。

一方、こちらはまだ初日。あべのハルカスから電車通りを歩きながら南へ向かう。阿倍野王子というくらいだから、すぐに着くかとかと思いきや1.7キロもあり、ここを阿倍野と呼んでいいのか迷っていると、こちらは阿倍野元町というのだそうだ。元祖でも本家でもなく元町。発祥の地のプライドと上品さを感じさせるいい地名だ。近くには、陰陽師のスターの生誕地である安倍晴明神社もある。安倍晴明も熊野には縁が深い。そもそも御幸に陰陽師は欠かせず、1201年の旅にも安倍晴光が随伴している。

いまも人が絶えない阿倍王子神社

また、ここらは土地の歴史を感じさせる地名が多い。例えば「松虫」という地名は、後鳥羽上皇がかわいがった松虫と鈴虫という女御がいて、彼女らが上皇の熊野御幸の最中(1206年とされる)に、勝手に出家したため上皇が激怒し、出家に直接関わった法然の弟子は処刑され、法然自身も土佐に流罪になった。彼女たちといえば、その後の消息は諸説あるが、そのひとつがここに庵を結んだとされている。ただ、上皇は熊野詣を28回も行っているので、よく通るこんな場所に住むわけなどない。おそらく松虫の音色が印象的な場所だったことと、彼女たちの名前とを結びつけただけなのだろう。
他にも、「北畠」という地名は、時が下って南北朝時代に南朝方の北畠顕家のお墓があることがその由来。さらに「姫松」などと風流な名前も残るなど、かつての痕跡や風景を今によみがえらせるいい地名ばかり。そんなことを考えながら、高級住宅街の帝塚山を歩き、寄席小屋「無学」の場所を確認して、住吉大社にたどり着いた。

阪堺電車の北畠停留所

住吉大社は航海の神様であるとともに、和歌の神様でもある。京極さんもここで朗詠役の務めを果たし、次の境王子へと向かうのだが、この住吉社にも津守王子が摂社としてあった。
ところで、住吉や宗像、志賀海などの海の神様は男か女かに関係なく三人と相場が決まっているが、住吉には第一本宮から第四本宮まで四柱あった。4人目は誰なのかと調べると神功皇后。ここに住吉神をまつるように命じた本人が祀られていた。なるほど、なるほど。その手があったか。

住吉大社の夫婦楠 樹齢800年 残念!

住吉大社を出て、さらに南下し大和川を渡ると堺市に入る。大和川は、かつては上町台地の北側に流れ氾濫の原因になっていたそうだが、江戸中期の1704年に台地の終わるこの南側に付け替えたのだそうだ。ただ、この工事によって川の土砂が堺の河口にたまるようになってしまい、港湾都市としての堺の位置づけが低下したという。
しかし、京極殿にとっては、それはまだ500年後の出来事であり知る由もない。

定家の時代にはここを通っていなかった大和川

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