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京極さんの熊野詣トレイル⑧ DAY2 井口王子と池田王子

寒さで震えながら平松王子で起きた京極さんこと藤原定家は、まだ夜も明けきらぬうちに松明を持って出発し、井口王子に先着し、一行を待っていた。すると上皇の叔父である坊門信清の息子、藤原忠信が足を怪我したようで輿に乗ってやってきた。20年後の承久の乱では上皇方の大将を務める忠信もまだ14歳。「やっちまいました」と、はにかむほど若い。御幸には信清と忠信のように、親子参加や兄弟の参加者が多かった。内大臣源通親にいたっては3男、4男、5男と3人の息子が参加する。割引でもあったのだろうか。

さて、こちらは現代。平松王子から井口(井ノ口)王子間の2.5キロほどを歩いている。その途中に伯太(はかた)町があるのだが、地名が気になり調べると、江戸期に13.500石の伯太藩があったそうだ。城主は「槍の半蔵」で知られる渡辺守綱を祖とする渡辺氏。歩きの出発地点である八軒家浜一帯を支配した渡辺家の流れを称した殿様だったので、故郷にも通じるこの地の領主はことのほか嬉しかったに違いない。さらに、伯太の町はコーヒー牛乳発祥の地でもある。伯太小学校の校長先生の実家が牧場だったこともあり大正時代に考案されたそうだ。

コーヒー牛乳はなかったが50円は魅力

ポカリスエットを飲みながら井口王子脇を流れる槇尾川を超え、川や鉄道に直進を阻止されながらも熊野街道を南へと進み、岸和田市へと入った。
箕土路町、下池田町あたりの熊野街道は細い路地が街道になる。古くからの大きな屋敷も多く、立派な門構えの家も多い。

ちょっと前から気になっていたが、どうしても気になったのが屋根の形。近辺に大きな寺も多く、それらの屋根が反りあがっていたからかもしれないが、日本家屋の屋根が膨らんでいるのが気になるのだ。この屋根の形は「むくり屋根」という伝統技術で、軒に近づくほど急こう配になるため雨水のキレが良いとのこと。ただ、少々お高くなるのが難点だそうだが、桂離宮もむくり屋根であるほど美しくもある。ここらの日本家屋のほとんどがむくり屋根を採用していることから、泉州が豊かな地域なのだと改めて思う。そんな住宅街のなかに、池田王子跡もあり、京極さんの時にはここで琵琶法師が演奏したとある。場所はJR久米田駅の裏側。しかし、当時の面影はない。

「むくり」屋根

池田王子から府道30号線に出て南へ下ると、積川神社を遥拝する鳥居があり、掛けられているの額は熊野御幸の白河上皇がへたくそだからという理由で自ら筆を執って書き直したものなのだそうだ。しかも、この額と、その額に「額(ぬか)づく」という意味から額町(がくちょう)という地名にもなった。後鳥羽上皇にとっても、10代前の第72代の天皇で、御幸の先輩である白河上皇を敬って、後鳥羽上皇もここから遙拝したと石碑が建てられていた。

白河上皇の書き直しを模写した額

時間は昼前だが、10月なのに夏が帰ってきたような暑さと、救世主のようにコメダ珈琲が現れたことによって迷いなく店に入ることにした。がぶ飲みアイスコーヒーとサンドウィッチをいただき、豆をボリボリ食べながら、この先どこまで行くか考え、結局、1時間以上涼んでしまった。

救いのコメダ珈琲 岸和田店


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