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京極さんの熊野詣トレイル⑦ DAY2 篠田王子 平松王子

鎌倉時代のロングトレイルは2日目。思ったよりも筋肉痛はないが、11時間も寝てしまった。高校生か。

さて、昨日、大鳥大社まで歩いたので堺駅にある喫茶店でホットドッグモーニングをいただいた後、鳳駅を8時過ぎにスタート。朝は元気なので、ずんずんずんずん、ずんずんずん進んでいると道を間違えた。
旧熊野街道に戻るために西の方へ戻っていると南側に小さな丘がある。これが和泉黄金塚古墳だそうで、出土品の多くが国の重要文化財に指定されている。出土した画文帯四神四獣鏡は、景初三年(239年)の銘があり、邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を派遣した年と一致する。仁徳天皇陵よりも200年ほど前のことであり、ひょっとしてここが邪馬台国!?と、考えたくもなる。
目の前には黄金色の稲穂が風になびき、ここで収穫されるお米もありがたいものに思えてくる。

このあたりから熊野街道と並び「小栗街道」という名前が重なりはじめる。
名前の由来はスーパー歌舞伎の題材にもなった小栗判官。常陸の国、いまの茨城県筑西市付近の領主であった小栗判官が騙されて毒を飲まされ瀕死に至る。ところが、熊野に詣でれば助かると閻魔大王に言われ遊行上人と照手姫が熊野まで小栗判官を運び九死に一生を得る。その後、無事に復讐も果たすという語。フィクションを街道の名前にするとは昔の人もやるなと思ったが、コナン空港や鬼太郎空港と同じような感覚だったのかもしれない。ちなみに以前、筑西市のトマト「照手姫」をもらったがじつに美味かった。

さてさて、そうこうしていると信太王子跡に着く。信太の地は安倍晴明の母である白狐(葛の葉)の出身地として知られ、地名が信田巻きとか志の田うどんとか漢字は違えど「しのだ」は狐の好きな油揚げを意味するまでになっている。油揚げの聖地とも思えるが、実は、今もわざわざ化かされに来る人が絶えない場所であるらしい。そんな魅惑的なところでもあるのだ。一方で、近くの八阪神社には江戸時代の連絡版である高札場があったようでこの地域が天領であり、幕末には一橋慶喜の領地だったとある。
茨城と和泉の縁は意外と深い。

油あげ感のまったくない信太の街

ここからさらに丘陵の方に上っていくとあっという間に平松王子に至る。近くには後鳥羽上皇がこの御幸で詠んだという歌碑もあり、この日、一行は平松王子を行宮(仮の宮)とした。
丘からの眺めも良かっただろう。定家も月が明るかったと書いており、舞いも行われた。ただ、月の明るさと風の冷たさで眠れなかったとも書いてあり、あてがわれた部屋の小ささと板敷もないことへの愚痴が、担当である九条家、八条院(暲子内親王)関係者への不満とともに書かれている。風流が現実に負けている京極さんのリアルな感想がこの旅を物語っていておもしろい。

かつては目の前に海が広がっていたはず

「あー、やっぱり断ればよかったかなぁ」京極さんのそんな声が聞こえそうだが、まだ旅ははじまったばかりなのである。


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