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僕が安住の地を手にするまで [13] 土地を手にして想うこと
僕は親から受け継ぐ財産など何一つなかったし、これまで金儲けとは無縁の世界に生きてきたので、土地を持つとか、自分の家を建てるとか、自分にはまったく関係のない世界の話だと思い込んでいた。そもそも不動産を所有するということ自体、ちゃんと考えたことがなかった。しかし周りを見れば、みんな親から受け継いだり、自ら購入したり、それで利益を生み出したりしている。今回は土地と人との関係について考えてみたいと思う。
僕が安住の地を手にするまで [10] 災害について深堀りしてみた
「私なら買わないかな」
これは、購入予定の土地が被災する可能性について、地域のハザードマップの作成にかかわっている先生(専門は地形学)に相談しに行ったときに言われた言葉だ。
なんというか、「やっぱりな」というのが正直なところだ。だって敷地内に建てば、目の前に切り立った山が見える。地震や大雨でこれが勢いよく崩れたら、まずいことになるだろうことは素人にだってわかる。
だったら、なぜ専門家に相談し
僕が安住の地を手にするまで [9] 測量結果がでた
測量の結果が出た。
法地の部分がレッドゾーン(土砂災害特別警戒区域)にかかっているものの、平地部分は大丈夫だということが明らかになった。つまり、かかっている部分を除いて宅地登記すれば家は建てられる。
しかし、家を建てられることと、敷地が土砂災害特別警戒区域に接していることをどう捉えるかは別問題だ。
さて、どう考えるか。
地形学の専門家の意見を仰ぐことにした。
つづく
僕が安住の地を手にするまで [8] 家を建てられないかもしれない大問題
今回購入予定の土地は、地目は「宅地」になっているものの、過去50年間人が住んでおらず、以前あった建物もなくなっている。そのため、家を建てるにはまず土地の開発許可を得なくてはならない。そこで許可申請のため、いくつもの図面や登記簿謄本など、必要な書類を揃えて市役所に提出しようとしたところ、なんと購入予定地は山形県によって土砂災害警戒区域に指定されていることが判明した。
想定される危険度に応じてイエロ
僕が安住の地を手にするまで [7] 僕らが家に合わせるんじゃなくて、家が僕らに合わせる
家を建てることを決心してからというもの、ここ数ヶ月は家づくりのことばかり考えている。暇さえあればAutoCADに向かって間取り図をいじったり、それをSketchUpで三次元にしてみたり、Pinterestでインテリアのアイデアを発掘したり。そんななか、(高木さんを紹介してくれた)モロッコに暮らす友人のマヤさんから「いまインテリア関連のお勉強をしているんだけど、聞き取り調査的な宿題に協力してくれない
もっとみる僕が安住の地を手にするまで [6] オワコンの我慢大会からは足を洗う
ゆうべ妻がこんなことを言った。
「あなたみたいに自分のすきなこと、やりたいことだけを形にしたくても、できる人ばかりじゃないよね。」
いつもは同じことばを厭味ったらしく言うのだが、ゆうべはちょっと違った。どちらかというと「みんなが真似しようったって難しいわよね、あなたは色々振り切れちゃってるからね」、という意味に聞こえた。まあ、僕もなんにもないところから努力して努力して、我慢して我慢して、50歳
僕が安住の地を手にするまで [2] 高木孝治さんとの出会い
人生最後の、25回目の引っ越し計画は、高木孝治さんという方との出会いがきっかけとなった。
高木さんは大工の棟梁で、古民家ライフという工務店(山形市新山)の社長さん。「発酵住宅」という、ちょっと変わった住宅ブランドの生みの親だ。発酵と住宅、一見関係なさそうだが、実は両者はとても深く結び付いている。たとえば「蔵付き酵母」なんて言うのを聞いたことないだろうか。小さいから目には見えないだけで、発酵を手伝
僕が安住の地を手にするまで [1] 人生最後の引っ越しを考えている
僕はこれまで日本・アメリカ・ペルーの三ヶ国を彷徨うようにして生きてきた。
26歳のときにサラリーマンをやめて、日本を飛び出し、大学院で人類学を勉強するためにアメリカに渡った。途中、三年間の休学を挟んで、その間に出来た家族とともに再渡米してからは長いことアメリカで暮らした。専門がペルー海岸地帯の考古学であるため、フィールドワークでアメリカとペルーを何度も往復する生活となった。大学院で二つの学位を修