僕が安住の地を手にするまで [2] 高木孝治さんとの出会い
人生最後の、25回目の引っ越し計画は、高木孝治さんという方との出会いがきっかけとなった。
高木さんは大工の棟梁で、古民家ライフという工務店(山形市新山)の社長さん。「発酵住宅」という、ちょっと変わった住宅ブランドの生みの親だ。発酵と住宅、一見関係なさそうだが、実は両者はとても深く結び付いている。たとえば「蔵付き酵母」なんて言うのを聞いたことないだろうか。小さいから目には見えないだけで、発酵を手伝う微生物はそこらじゅうにいて、僕らと一緒に生きている。食品が発酵すると腐敗しないように、家も自然由来の素材で作り「発酵」させれば、「風味」や「旨味」を増し、きっともちもよくなるという考えだ。
・古民家ライフ株式会社 http://kominkalife.jp/
・発酵住宅 http://hakkojutaku.jp/
高木さんは、日本人が昔から大切にしてきた考えや知恵を盛り込んで、身体にとっても心にとっても優しい家を作ることをご自身の使命としている。家を建てるだけでなく、暮らし全体をプロデュースしようとしている。この考えに深く共鳴し、いつか自分の家を建てることがあれば、ぜひ高木さんにお願いしたいなと思っていた。
高木さんのことをはじめて知ったのは、大学で「発酵人類学」という授業を教えていたときに、モロッコに住む友人から「山形に住宅を発酵させている人がいますよ」と教えてもらったのが最初だ。すぐにウェブで調べた。ホームページから、大学での授業に役立てたいのでお仕事の現場を取材させて欲しいとメッセージを送った。残念ながら、学期中の取材は叶わなかったが、高木さんのご活動については授業で取り扱い、履修生たちからも大きな反響を得た。
発酵住宅のコンセプトに共鳴したのは、それまで常々「暮らし全体を発酵させたい」と思っていたからだと思う。発酵食品を通じて微生物に興味を持ち、この世界での微生物たちの働きについて色々知るようになると、彼らを含めた多様なこの世界はものすごく絶妙なバランスの上に成り立っていることを痛感させられた。自然と彼らに対して感謝の気持ちが沸いてきた。また同時に、すべてにおいて見えない彼らの存在を意識するようになった。菌は排除する対象ではなく、共生の友となった。だから、除菌ジェルもスプレーも全部捨てた。こうした見えない存在について人類学の立場から論じようと試みたのが、「発酵人類学」の授業だった。
微生物を敵対視するのではなく仲良くなることを前提に、生命の循環を意識しながら暮らすようになると、色々な疑問が湧いてきた。これまで当たり前で意識することもなかったようなことが気になるようになってきた。まず最初に、食べ物や飲み物など、身体のなかに入れるものに対してちょっといい加減になっていたと気づいた。その結果起きていた身体の異変などにも気づけずにいた。うんちの色や形なんてほとんど気にしたこともなかった。体調が悪いときも薬で誤魔化して治ったつもりになっていた。
自分の身体だけじゃない。思えば、身の回りもおかしなことだらけだ。なんでもかんでも、お金さえ払えば顔の見えない誰かがどこかで知らないうちに処理してくれる世の中。僕たちの暮らしはつねにベールのようなものに包まれていて、自分の命がどういう仕組みのなかで保たれているのかさえ分からずに生きている。自分自身の生から疎外されることに甘んじてしまっている。仕事ばかり優先して、自分や自分が住む世界のことを疎かにしている。これはそもそも生きていると言えるのか。
それでも、アメリカは「なんでも自分やる」というDIY精神が旺盛だから、向こうにいる間はたいていなんでも自分たちでやった。というか、やらざるを得なかった。森の外れのコテージのような家に暮らしていたときは、野菜を自分たちで育てたし、魚は川や湖で釣った。冬に暖炉にくべる薪の準備も、森で木を切り出すところからやった。そういう下地があったことも影響したのかもしれないが、ちゃんと生き物らしく生きたいと思うようになった。微生物を含めたすべての生き物との共生を軸に、何かのためではなく、まず生きるために生きたいと思った。その結果、そのためには生活全体を見直し、生き方そのものを変えないといけないという結論にたどり着いたのだ。
その第一歩が、自分たちの住処を手にするということだった。誰に何の遠慮も気兼ねもなく、自分たちらしく生きるためには、それ相応の場所が必要なのだ。高木さんの助けを借りながら、そういう場所を探し、家を建てることになった。
つづく