ずべー

心理学、家庭学がちょっと得意です。 民間カウンセラー資格があります。

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最近の記事

随分と気味の悪い世の中になった【真実を見るために】

SNS等でフェイクニュースが蔓延る現代で、もはや我々庶民各々が真実を判別することは極めて難しくなってしまった。陰謀論もそれを揶揄する人も、反ワクチンも推進派もどれだけそれらしい証拠たるものを述べられ信仰したとしても、きっとこの世の中で真実を知ること程難しいことは無い。 だから私達は今、より正しい情報を見極める力を身に付ける必要がある。 私が特に情報を注視し始めたのは、記憶が確かであれば2022年頃Twitterにて、「mRNAワクチンを打った人の血管からホワイトクロット(血

    • 随分と気味の悪い世の中になった 【私達の戦争観】

      近年のこの世界の気味の悪さに耐えられずここにぶつけてみる。 始めに、私の住む地域は人口5万人の地方市町村である。眼前に広がる自然と貧困に喘ぐ声もそうそう聞こえることの無い、この上無い程平和な町にいる。 1994年私はこの町の平凡な家庭に産まれ、どこかに移り住むこともなく30年を過ごした。産まれてから30年、外部から命を脅かされることなど無く身に余る程の平和を享受し生きてきた。 学生時代(小・中・高)、戦争について学ぶ時、かなり気持ちは沈んだが実際に起こった出来事を目を反ら

      • もはや恨みみたいなものすら無くなって ただただ自分の不運さを嘆くだけで 努力してきたつもりだったけど最初から何も与えられてはいなかった 最初から知らないうちに他人のいいようにだけ生きてきた その他は自暴自棄なだけ 終わりにするか逃げるのか 勇気も無いから終わりかな

        • 神はありません。 だけど自分も信じられません。 もう終わりにしたい。

        • 随分と気味の悪い世の中になった【真実を見るために】

        • 随分と気味の悪い世の中になった 【私達の戦争観】

        • もはや恨みみたいなものすら無くなって ただただ自分の不運さを嘆くだけで 努力してきたつもりだったけど最初から何も与えられてはいなかった 最初から知らないうちに他人のいいようにだけ生きてきた その他は自暴自棄なだけ 終わりにするか逃げるのか 勇気も無いから終わりかな

        • 神はありません。 だけど自分も信じられません。 もう終わりにしたい。

          もう疲れた。散々ぱら傷ついた。 たくさん傷ついた道の先に待ってたのは不幸への下り坂だった。 立って進んでもその先はきっと転がり落ちるだけだよ。 打ちのめされて力ももう残ってない。 最初からこんな運命だったんだから悲しいよ。 それを知りながらも努力してきたのに。

          もう疲れた。散々ぱら傷ついた。 たくさん傷ついた道の先に待ってたのは不幸への下り坂だった。 立って進んでもその先はきっと転がり落ちるだけだよ。 打ちのめされて力ももう残ってない。 最初からこんな運命だったんだから悲しいよ。 それを知りながらも努力してきたのに。

          毒親育ちって

          辛いなー 。。。 恨むよね 憎むよね 鬱にもなるよね 無気力になっちゃったよね でもどうしようも無く現実は進むよね 私たちを置いてけぼりにして 今私は布団の中で過ごすような毎日だけど それでも死ねなかったんだから 悲しいけど前向くことしか私たちの前には無いんだね 騙されたと思って1時間くらい散歩しよう 少しだけ気持ちだけでも楽になるよ まずは前向くことから始めてみよう 生きてくしか無いんだからさ

          毒親育ちって

          10歳 両親の離婚

          そうした幼少期の生活環境は、知らないうちに自分に対する無価値感を徐々に刷り込んでいくのだった。 それを知るのは大抵大人になってからで、自分の中に様々なものが備わっていなかったと気付いた頃には物事はかなり進んでいるのではないだろうか。 カウンセリングを受けに行った際、10歳の頃の記憶や当時の気持ちをかなり細かく聞き取られた。 何故10歳頃なのかは聞かなかったが、その頃が人格の形成に大事な時期なのだろうか? カウンセリング内容は後に書きたいと思う。 両親の仲が良くなることは無

          10歳 両親の離婚

          8・9歳

          精神を病む人を理解しようとするならば、その生い立ちを知ることは有効だと思う。 小学校に入学したての時に少しいじめらしきものにあったが、それ以降は友達もでき学校では平穏に過ごしていた。 しかし家庭はと言うとそうでは無かった。 いつからか、父と母は中が悪いものだと認識していた。 週に1度しか父は帰って来ないのだが、顔を合わせれば2人は口喧嘩をしていたと思う。 そして私は2人の仲立ちをしようとおどけたり2人の手を取り無理くりくっつけたりなんかしていた。 父が居ない日、母と洗濯物

          きみはどうしよもないだろうね

          どうにもならないだろうね 黒いたまご/神聖かまってちゃん  より 神聖かまってちゃんが世に知れ渡り始めたのは高校1年の頃だった。 生きた屍のように雪降る通学路を歩きながら毎日のように聴いていた。 当時、上記の歌詞に対して、何の疑いもなくこれは私の事だとするりと飲み込めてしまった。 まるで誰かから宣告されたような絶望感、誰からも匙を投げられたような孤独感は、産まれる前からきみはどうにもならなかったんだと言われているようだ(実際そう言った意図の歌詞だと私は解釈している)。

          きみはどうしよもないだろうね

          息抜き文章 HSSを知る

          HSPと言う言葉を知ったのは約1年前だ。 当てはまる気がする!と思ってネットで簡単なチェックを受けてみたが、そこでは当てはまらずそのまま鬱期が開けたため、鬱期特有で私のやりがちなネットでの精神障害チェックサーフィンから1度離れた。 再度鬱期が訪れたのは約4ヶ月前の事だ。 またもアレではないか、コレではないかとサーフィンが始まりHSPチェックに辿り着いた。 そこで初めてHSPにも分類があることを知る。 様々な診断を試してみたところ、自分はどうやらHSS型傾向が高いらしい。

          息抜き文章 HSSを知る

          7歳 この頃のわたし

          幼少期の私は何の憂いも無く過ごしていた。 今の無口で人見知りな私と比べては、あの頃は誰にでも話かける人なつっこい子供だったのにねーと度々母は言う(余計なお世話だと思う)。 活発でひょうきんな子供だったことは、自分でも覚えている。 この頃から母に褒められたことをきっかけに、絵を描き始めるようになる。 祖父が亡くなり、母方の実家に居る祖母と曾祖母のみの2人暮らしになるため、1家でそこに移り住むことになった。 この頃からどうやら両親の仲に不穏さが漂い始める。 父は母に、「1人にな

          7歳 この頃のわたし

          入れ違いで死んだ叔父

          親族から私は叔父の生まれ変わりだと言われている。 母方の祖父より以前に、母の弟である叔父もまた28歳という若さで亡くなっている。 泥酔した状態で風邪薬を飲み床に着き(自傷等の意図はない)、気付いた時には不運にも手遅れだったと言う。 嫁を迎え子供も居たが、叔父が死んだ後は実家に戻ったようで、私は1度も会ったことがない。 かなりやんちゃをしてきた叔父だったようだが、同性にも異性にも非常に愛される人柄だったようだ。 叔父の生前より家によしみのある人は、後にも先にもあんなに良い奴は

          入れ違いで死んだ叔父

          6歳 1度目の転機・祖父編

          比較的ここまでの人生は記憶は無いなりに平和だったんだと思う。 6歳の時、母方の祖父が死んだ。 定期的に会ってはいたはずだがこれもまた記憶は無い。 死因はダムへの転落死だった。 村中で知らない人は居ないと言われていた祖父だった。 昔話でも何でも無く1kmは並んでいるだろうと思われる、自宅に面した道路に飾られた葬式の花輪の写真がアルバムに残っている。 祖父は自営業を営んでいた。 1度倒産し1億程の借金を抱えたそうだが、それをトラックの運転で数年で完済した。 また祖父は2枚目

          6歳 1度目の転機・祖父編

          0~5歳 記憶は乏しい

          「親にちゃんと構ってもらえなかった人って子供時代の記憶が少ないんですよ。」 と昨年カウンセリングを受けに行った際の心理カウンセラーに言われた。 和やかな家庭で育った私の旦那は幼少期の思い出を良く話す。 自分はどうだったっけ?と思い返すと、話に上げるほど大した記憶がまるで無い。 思い出せるのは瞬間的な記憶だけで、親にされて嫌だったこととか、姉達から嫌われていた感覚とかが残っている。 母から聞く話によれば9歳差の長女は私の面倒を見てくれたようだが、次女からは近づくことすら嫌悪され

          0~5歳 記憶は乏しい

          誕生

          1994年片田舎にて3姉妹の末っ子として誕生。 長女は9歳、次女とは7歳離れており当時父、母の5人家族で暮らしていた。 この頃の家族仲は一体感があり世間的にも仲の良い家族だったらしい。 父がカメラマンだったこともあり当時の家族のアルバムが何冊かしたためられていて、多くが旅行の写真、私達子供達の写真だった。 内1冊は私の誕生直後から、3歳頃までの父が撮影したであろう写真が収められている。 おそらく何も知らない人がアルバムを見ているだけでも分かる。 2、3歳であろう私は2本しか無

          初めまして。

          文を書きたい気がしたので、ぼちぼち初めてみます。 こちらはHSP毒親育ち発信です。 何卒m(_ _)m

          初めまして。