随分と気味の悪い世の中になった 【私達の戦争観】
近年のこの世界の気味の悪さに耐えられずここにぶつけてみる。
始めに、私の住む地域は人口5万人の地方市町村である。眼前に広がる自然と貧困に喘ぐ声もそうそう聞こえることの無い、この上無い程平和な町にいる。
1994年私はこの町の平凡な家庭に産まれ、どこかに移り住むこともなく30年を過ごした。産まれてから30年、外部から命を脅かされることなど無く身に余る程の平和を享受し生きてきた。
学生時代(小・中・高)、戦争について学ぶ時、かなり気持ちは沈んだが実際に起こった出来事を目を反らすべきではないという信念を持ち学んだ。
中年2年の時、社会の授業で「ヒロシマ・ナガサキ(だったと思う)」というタイトルのDVDを試聴する機会があった。当時の白黒の映像のまま、被爆した人達をそのままに映し出した映像が流れた。
私は直視することが出来ずその授業の間ほとんど目を伏せていた。それでも隙間隙間に見た映像を思い出しては、その日から2日程ろくに眠ることができなかったりした。
高校時代は上手く友達が作れず病んでいたこともあったのだが、原爆のことが頭から離れない期間がありご飯が喉を通らない日もあった。
中年時代の友達から考えすぎだと馬鹿にもされた。
原爆については半トラウマ的になりながらも、高校時代に読んだ小説「永遠の0」に感銘を受け戦争について学ぶことに意欲的になる。
修学旅行で訪ねた沖縄では戦争体験者の話を聞き、防空壕に入り皆で持っていた明かりを消した。
平和な町に産まれながらにして、時々私は戦争におびえていた。再び核などが落とされることの無いようにと願うばかりであった。
私の時代、話題に上がることも無かったのでどれ程同世代の人達が意欲的に戦争について考えていたかは分からない。
だが意欲的でなくとも、いかに戦争が悪で絶対的に起こしてはならないものだと教育側が教えんとしていたことは分かるだろう。
ここ最近こうした教育が米国の元行われてきた教育だという考察かはたまた事実かが再び注目されている場面を見ることもある。調べていないので私は実際のところは未だ判断しようが無いのだが。
端から仕組まれていた教育だったのかどうかはさておき、こういった教育が結果的に私達に何を植え付けたのか、、、。
結果としては、我々日本人からあまりにも戦争を遠ざけた。戦争の恐怖だけを植え付け、忌み嫌い議論させることを避けた。それは裏を返せばまるで戦争に触れることをタブーとし、諸外国に触れない、否怖くて触れられない、米国という依存先の元現実を見ず、失敗も成功も無く日本に籠っていれば良いとでも言うようなメッセージにすらなり得たのではないだろうか。まるで何もかもが怖くて部屋から出ることの出来ない、不特定多数の今の日本国民そのものみたいに。
第二次世界対戦を経た先人達が守り通したルールに基づき、70年と言う長い平和の中私達は生かされた。2度と起こることの無いようにと、先人達は私達にその戦争の悲惨さを語り継いだ。
しかし教育とはいつでも、教育者側が望んだ形で受け取り手が成長していくとは限らないものだ。
続く
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