今回は愚痴めいた内容を一つ。 「京都って歩きづらくない?」 これが最近(ここ数年の間ずっとかもしれません)私の思っていることです。 交通手段に着目した利便性の話ではなく、人が多すぎて歩道や道が単純に歩きづらいという話です。 「オーバーツーリズム」が問題であると叫ばれて久しい今日この頃ですが、実際に観光客が多過ぎてその姿を見ない日はありません。 以前は四条通とか河原町通とか主要な通りで主に見かけた観光客の姿も、民泊が解禁されたお陰で繁華街や駅から離れた地域の細い路地で
故あってここ一年ほどの間、心療内科に通院している。 これまで滅多に病院のご厄介になることがなかったため、かかりつけ医など当然おらず、飛び込みで受診したクリニックだった。 診察券と健康保険証を受付で渡し、診察の順番と概ねの時間を聞いて、それまで待合室で時間を潰す。随分と慣れたものである。 日によって診察まで一時間半とか二時間とか待ち時間が見込まれることもあり、そんな時は「後ほど連絡しますので外出されますか?」と聞かれるのだが、私は外出したり待合室で過ごしたりとまちまちだ。
noteを始めて約二ヶ月。 ゆるゆるとつらつらと書いてきました。 思っていること。 日々の中で感じたこと。 などなど…… 「人目に触れる場所に何かを書き続ける」 これが当初の、そして今の目的・目標です。 なので、どちらかと言えば「ビュー」「スキ」という要素は二の次三の次でした。(今もそうですね。) でも蓋を開けてみれば、特に次の記事については、想定外な程に多くの方から「スキ」を頂きました。 本当に深く考えずに、ふらっと書いてポイッと投稿した内容でしたので、こ
どうも私には喜怒哀楽の「怒」が他の感情に比べて乏しいきらいがあります。 勿論、日々の中で多少イライラしたり落ち着かなかったりすることはあります。でも、それが「怒」の感情まで燃え上がることはまずありません。 ゆえに何かに誰かに気持ちよく怒れる人を見ると「すごいなぁ」と小学生のような感想を抱くのですが、皆さんはどうでしょうか。何かに、誰かに怒ることはありますか? ここでは怒ること自体の是非を論じる気は全くありません。怒りに限らずその対象が何であれ、立場や環境に応じて要不要の
皆さんは、「好きな食べ物って何?」と聞かれたら即答できますか? この「好きな〇〇」系の質問、私はずっと苦手でした。 一見すると日常における何ら変哲のない質問です。相手との共通点を探したり、食事する場所を調べる際の糸口にしたりと様々使われる場面も多いでしょう。 私も別におかしなことを聞かれているとは思いません。ただ咄嗟に「好きなもの」が出てこないのです。おそらく、聞かれるたびに違う回答を返しているような気がします。 食べ物で言えば、「お寿司」「鶏肉」「ラーメン」「刺身」
今年もお盆の季節が巡ってきた。 灼けるような空の下、蠟燭に線香、仏花を手に墓に参る。折畳式の雨傘を日傘代わりに、茹だるような熱風を全身に纏いながら墓までの道のりを歩く。年々厳しさを増す酷暑の傍らで、お盆の時期が帯びるどこか厳かな雰囲気は変わらない気がする。 自分はお盆の時期が好きだ。 墓前の花立てに水を湛え、仏花を挿す。蠟燭と線香に火を灯してくゆらせる。ゆるりと線香が香りだす。家族一同が手を合わせる。この風景が、この香りが、自分にとっての「お盆」だ。 一分にも満たない
素直になれないのです。 世間で流行っているものに乗れないのです。 私はアニメをよく観ます。 いわゆる、深夜アニメを。 たまに深夜アニメの視聴者という枠を超えて世間一般で盛り上がりを見せるアニメ作品があったりします。 近年の代表的なところでいえば「鬼滅の刃」、「呪術廻戦」、「葬送のフリーレン」あたりでしょうか。 勿論、いずれも原作が既に人気作であるが故のことなのは百も承知です。 まぁ、既に大衆受けしている作品がアニメ化するのか、深夜枠のアニメが後々大衆受けするよう
連日、日中の気温が37度や39度を記録している京都。 高止まりする気温がTVやスマホの画面上で踊る毎日に、自分はとうとう天気予報を見ることをやめてしまった。 (1)最早、見ずとも気温が想像できてしまう (2)精神衛生上、見ない方が心穏やかに過ごせる このあたりが理由だ。 関西で比較しても、大阪や神戸に比べて京都は2、3度程いつも高い気がする。 京都は盆地に都市が形成されているため、お茶碗の底に住んでいるようなものだと考えれば、連日の気温も頷けるのだが。 他の盆地都
知らなかったんだ。 気付いてあげられなかったんだ。 でも、あのとき最低な言葉を吐いてしまったのは…… 確かに、自分だった。 ……… …… … 過去の話を一つ、書き遺そうと思う。 それは、最低な自分の話。 それは、決して取り返しのつかない話。 はじめに今からする話を書き遺そうと思ったのには、あるきっかけがある。 それは最近、ボカロ曲の「from y to y」を久しぶりに聴いたことだった。 (確か、原曲はニコニコ動画にあったはずだが、肝心のニコニコ動画自体
今日も今日とて京都は暑い グーグル先生曰く、37度とのこと 明日も明日とて京都は暑いが、まぁ頑張ろう
noteを始めて三週間程が経ったので、大して投稿もしていないものの、始めてみた感想等をとりとめなく書き留めていこうと思う。 雑感まだ、これを除いて二つしか投稿していない。 noteの「ビュー数」がどのような基準で計上されているのか未だ理解していないが、それでも自分にとっては決して少なくない方々に、すれ違ってもらえたり、立ち寄ってもらえたりしたことには、正直に言えば驚いた。 自分の思ったことや感じたことを言葉にしたくて、吐き出したくて始めたので、特に誰かに読んでもらおう、
内容は表題のとおりである。このようなことを書き残すつもりは当初なかったのだが、どうにも晴れぬ霧のような情が引いてくれないため、整理の一環として記していきたいと思う。 いじめっ子が死んだ。 先頃の話だ。 自分のことを過去に虐めていた奴が死んだそうだ。 作話でも空想でもなく事実だ。 とある新聞のお悔やみ欄にそいつの名前と年齢が並んでいたのだという。 伝聞調なのは、母親から電話中の世間話の一つとして出てきたからだ。(そんな話をライトでポップな世間話に混ぜ込んでくるのは、笑顔で
機会があり、太宰治「人間失格」(以下「本書」という)を初めて読んだのでその感想を書いていきたい。 読後感としては「複雑」という一言に尽きる。 抑々、この話は太宰治の自叙伝的位置付けなのだろうか。というのも、行きずりの女と入水自殺を図る場面は、どうにも太宰本人の最期と重なって仕方がない。玉川上水での入水自殺が本書脱稿の一ヶ月後だったようなので尚更そのように見えてしまう。 上述のとおり本書を「複雑」と評したのは、主人公たる大庭葉蔵の内面(人間性とでもいうべきか)に対して同情