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いじめっ子がくたばった。というお話

内容は表題のとおりである。このようなことを書き残すつもりは当初なかったのだが、どうにも晴れぬ霧のような情が引いてくれないため、整理の一環として記していきたいと思う。


いじめっ子が死んだ。


先頃の話だ。

自分のことを過去に虐めていた奴が死んだそうだ。
作話でも空想でもなく事実だ。
とある新聞のお悔やみ欄にそいつの名前と年齢が並んでいたのだという。

伝聞調なのは、母親から電話中の世間話の一つとして出てきたからだ。(そんな話をライトでポップな世間話に混ぜ込んでくるのは、笑顔で話している最中に唐突にビンタを噛ましてくるくらい邪悪な行いだと思う。)自分の母親には時に無神経さが見え隠れすることがある。人柄だと言ってしまえば、それはそれで仕方ないのだが……

話は戻って、その際の話の切り替わり方が、「〇〇君ていたじゃない?」だったため、つい眉を顰めてしまった。声も一段と低く強張ってしまっていたかもしれない。正直聞きたくない名前だったからだ。忘れようとしても頭の片隅から消えてくれない。だから忘れた振りをしていたのに。

どうせ「結婚したらしい」とか「今は、△△で働いているらしい」とか、目まぐるしく流動するこの情報社会においてこの上なくどうでもいい与太話だろうなと勝手に想像した。聞かされた自分だけが、再生産された行き場のない恨みや怒りを抱えて、地団駄を踏み踊ることになるものだと思っていた。

そしたら、「死んだらしい」ときた。


意外な情動

時間が数秒、止まったような気がした。

想定外の言葉に気後れしたのは確かだ。しかしそれだけではない。死んだのは、理不尽な死を、惨めな最後を、憐れな末路を迎えんことを願って止まない相手であったはずだった。確かに願っていたはずなのに、それなのに、何らの昂揚も快哉も一切湧き上がってきてくれないことに戸惑いを覚えたのだ。

唐突に訪れた事実を眼前にして、あまりにも無味乾燥な印象を受けてしまったのだ。

拍子抜けだ。勘弁してくれ。肩透かしを食らった気分だった。そしてその数秒後、自分の中に潜んでいた負の感情が木の枝のようにいくつも同時に分化して様々な情が湧いては消えてを繰り返し、内心は得も言われぬ状態だった。

再生産される恨みや怒り、(実行する度胸もついぞ生まれなかったのだが)復讐する機会を永遠に失ってしまったことへの無力感、自分一人が過去に囚われ勝手に苦しみ続けてきたことのバカバカしさなど挙げだしたら切りがないほどに様々な感情が綯交ぜになっていた。


くたばった奴と自分の過去

どうやら、お悔やみ欄に死因は載らないらしい。普段、新聞を購読していないため自分にはわからないが、そのようだ。病死なのか事故死なのか、はたまた自殺なのか他殺なのか……しかし、いずれにせよ自分はついボソッと口走ってしまった。

「ざまぁみろ」と。

「天誅だ」と。

どうか、お前のそのつまらない人生をつまらない最期で締めくくっていてくれと願ってしまった。「少しくらい邪な願いを抱いたっていいだろ?」と思ってしまった。

自分は、小学生のときと中学生のときの二度にわたってそいつに虐められた。とりわけ中学生のときは、こいつ一人が実行犯ではなかったものの頭目ツートップのうちの一人だった。

正直なところ、思い出したくなくて意図的に忘れてしまったこともあるため、小学生の頃の虐め被害については殆ど記憶が曖昧で、中学生の頃の虐めについても断片的にしか覚えていないが、されたことは意外と覚えていたりする。

中学時代の虐めの内容はよくあるもので、集団陰口、集団無視なんてものは標準仕様。頼んでもないオプション仕様の方で、鞄の中を漁られたり、手下にいたずら電話を寄越させたり、果ては通学用の自転車をパンクさせられたり、なんてこともあった。パンクさせられた自転車を一人で惨めに手で押して家まで帰った記憶はまだ残っている。

とりわけ小学生当時、自分以外にも嫌がらせや虐めを受けていた子は複数いたようで、そいつはいわゆる問題児であった。

有り体に言えば、そいつは「育ちが悪かった」。両親が共働きなのか、自分の子供に関心がなかったのかは今更知る由もないことだが、少なくとも子供に親の目が行き届いていないことは、当時の自分の幼心で見ても自明だった。そんなだから、非行についても問題についても子供はその事実を平気で隠すし、当然親の目には届かない。学校を経由して苦情が複数件飛んでも、軽くあしらい、知らぬ存ぜぬ、どこ吹く風だ。勿論、非行や問題がそれで止むわけがない。

「うちの子供がまさかそんなことをするはずがない」とでも思っていたのだろうか。であるすれば、馬鹿め。まさにこの親にしてこの子あり、この子にしてこの親あり、背景など見ずとも推して知るべし、である。同居する自分の祖母の財布から金を抜いて平然としている孫など、やはりまともではない。

そいつが引き起こす非行や問題が、家庭環境や家庭事情に起因するものであると知ったところで、許す気持ちなどさらさらなく恨み続けてやるつもりでいた。倫理も理性も法律も無ければ、この恨みを形にしてやりたいと、度胸もないのにそう思っていた。

なぜなら、小学生のときも中学生のときも、そいつを中心にして周りの人間関係が全て自分に対して敵対関係に変わってしまったのだから。勿論、中には見るからにいやいや従っているであろう者もいたが、それでも一夜にして、まるでオセロ盤上の駒が自分一人を残して全て白から黒に変わってしまったような光景に、流石に他人への恐怖を抱かずにはいられなかった。

吐き気を催すほどの悔しさ、虐めに全く抗えなかった無力な自分の不甲斐なさ、消えてしまいたい衝動とそれに対する恐怖の狭間で揺れる自分の惨めさ、そのような絶望を前に当時の自分は嗚咽していた。


高校からは進路が違ったため、高校以降はそいつの名前を聞くことも顔を見ることもなかったと思う。ただの一度を除いては。その一度というのは、とある私立高校のコースに進学したらしいとの話を誰かから聞いたときだった。そのコースというのが、要約すると私立高校の養分として優れた猛者たちが集まる掃き溜めのような場所だというのだ。正直に言えば、小気味よさを覚えたし、そいつの中学時代の成績が頗る悪いことも知っていたので、然もありなんと思った記憶はある。しかし、それだけだ。

結局、自分は一人今も過去に囚われ、過去を引き摺り散らかしている。

あれから年を重ねるごとに他人のことが見えなくなっていき、また自他の境界や距離感も狂ってしまったため、身内・他人にかかわらず、どのように人と接したらいいのか、てんでわからなくなってしまった。

漠然と他者を恐怖し、自分に対する前向きな言葉は全てお世辞、嫌味、打算のどれかにしか聞こえなくなった。内心では皆、自分のことを見下しているのだ、との猜疑心にすら支配されるようになってしまった。

また一方で、自分ができることは誰にでもできることで、誰にでもできることが自分にはできない、自分は「色」のない、没個性的な人間なのだという鬱屈したような、拗らせた情を抱くようにもなってしまった。

そんな「生き苦しさ」と昨日も今日も絶賛格闘中だ。そして明日も明後日もというように、吐き気を催しながら向き合う日々は続いていくのだろう。


最後に…

自分のことを過去に虐めていた奴が、いついかようにくたばったことを知ったところで、自分という存在は1ミリも変化しない。故に人生は理不尽であると思う。

仮に謝罪されたところで、仮に幾許かの金銭の支払いを受けたところで、過去の事実は揺らがないし、過去の延長線上に位置する現在も変わりはしない。なぜなら、もう全てが歪んでしまった後なのだから。

恨み続けるもまた一つの在り方だろう。綺麗に割り切れるものでもないことを今回知った。実際、自分の中では未だ整理がつかない。もはやこの世を去った人間を恨み続けることに何の意味があろうか、という自分も勿論いる。

つくづく思う。理不尽である、と。

残念ながら、自分の意思と脚力で再度立ち上がるしかないのだ。死者に朝日が昇ることはないが、生きている自分には変わらぬであろう明日という日常が流れていく。こればかりは自分の脚で立ち上がり、歩いていくしかない。誰かが手を差し延べてくれたとしても、それは変わらない。

また、未だ恨みは尽きない相手であるが、死者を徒に貶め続けるような卑しい悪癖を、自分は持ち合わせていない。整理のつかないこと、納得の得られていないことは数多あれど、そこは一線を引きたいと思う。死屍に鞭打つようなことは今後一切しない。文章に書き起こすのもこれが最初で最後だ。

まぁ、中学生当時に自分のことを虐めていた頭目のうちもう一人はまだ生きているだろうから、そいつを恨み続けることにしよう。何事にもメリハリは重要だ。

ただ、恨むことに拘り、自分の人生譚が遅々として進まないことだけはいただけない。消極的に自分を殺して惰性を謳歌してきた人生をなんとか脱却したいのだ。

膨大な時間を費やして、漸くこのように考えられるところまで軌道修正をしてきたのだ。決して元に戻ることはないが、これ以上の停滞と後退は御免被りたい。整理や納得はやすやすとはできないだろうが、割り切れなければ、無理に割り切る必要もないのだ。今はまだ、引き摺り散らかしてもいい。それで進んでいけるのであれば。

まとまりのない最後となったが、これにて結びとしたい。


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