【雑感雑記】noteを始めて
noteを始めて三週間程が経ったので、大して投稿もしていないものの、始めてみた感想等をとりとめなく書き留めていこうと思う。
雑感
まだ、これを除いて二つしか投稿していない。
noteの「ビュー数」がどのような基準で計上されているのか未だ理解していないが、それでも自分にとっては決して少なくない方々に、すれ違ってもらえたり、立ち寄ってもらえたりしたことには、正直に言えば驚いた。
自分の思ったことや感じたことを言葉にしたくて、吐き出したくて始めたので、特に誰かに読んでもらおう、見てもらおうなどとは全く思っていなかったし、今もまだ思っていない。
ただ、誰かしらに見られうる環境にそうしたことを書いてみるという経験が、まずは今の自分にとって重要であり必要だった。
だからこそ、冒頭のとおり驚いたし、また「スキ」を押してくれる人がいたことについては、自分なんかが書いた粗削りで冗長な文章であれども、どこかの誰かにとって何かしら触れるものもあったのだろうか?と不思議だった。
塩漬けのアカウント
noteを始めた。とは書いたが、アカウント自体はずっと以前に作っていた。アカウント作成と投稿開始までに隔たりがあるのは、何もnoteに限ったことではないのだが、次の感覚を前にして二の足を踏んでしまっていたからだ。
・自分なんかが何を書けばいいのか?
・自分なんかが発信していいのか?
自己評価が地面にめり込む程には低いため、「自分なんかが」と考えがちだ。例えばnoteであれば、自らの書きたいことをまずは書けばいいのに、自分にはそれができない。
何事に対しても、自分の内面を言葉にしたり、形にしたりすることが怖い。変な目で見られるのではないか、批判されるのではないかなどと気が気でない。これには、先日投稿した内容が大きく影を落としているのは確かだ。
とはいえ、これまで引き摺り散らかしてきた過去に未来永劫束縛され、この世の終わりみたいな顔をして不幸を演じ続けるのも、きっと違うだろう。少なくとも今は、そう思える。
勿論、先述の恐怖を拭えたわけでは全くない。怖いものは怖い。ただ、人間の本質は容易く変わるものではないが、「行動」は少しづつでも変えていけると思うに至る機会が最近あり、久しく塩に漬かっていたアカウントを引っ張り出してきた。善は急げ、思い立ったが吉日といったところだろうか。
果実
「行動」という観点に立てば、たかだかnoteに投稿するだけのことにハードルが高いも低いもないのかもしれないし、多くの人がそのように思っているのやもしれない。
しかし、自分にとってはやはり高い壁なのだ。
noteに限らず、何かを始めるに際してそのハードルの高さは人それぞれだろう。それが自分にとっては聳える高い壁であれども、別の誰かにとっては造作もないということもある。その反対もまた然り、である。
ただそれでも、自分の内面を書き起こして投稿するという、自分にとっては「高い壁」をまずは乗り越えられた。また、自分が書いたものを誰かが読んでくれること、そのうえで評価までしてもらえたというこれらの事実は、新鮮な経験という意味で、自分にとって「果実」であった。
最後に
なんともまとまりのないことを書いてしまったが、要するに、おっかなびっくりでもnoteの投稿を始められて良かったな、ということを言いたかったような気がする。
どこまで続けられるかもわからないが、気の向くまま、筆の進むまま、まずは自分の思ったことや感じたことを言葉にしていければ、と思う。
【雑感雑記】と銘打ったが、今後は複数件(三件〜五件)投稿する度に、本に挟まれた栞のように振返りやそれこそ雑感などをとりとめなく書いていこうと思う。
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