交わる線上に、いつか君と手を
知らなかったんだ。
気付いてあげられなかったんだ。
でも、あのとき最低な言葉を吐いてしまったのは……
確かに、自分だった。
………
……
…
過去の話を一つ、書き遺そうと思う。
それは、最低な自分の話。
それは、決して取り返しのつかない話。
はじめに
今からする話を書き遺そうと思ったのには、あるきっかけがある。
それは最近、ボカロ曲の「from y to y」を久しぶりに聴いたことだった。
(確か、原曲はニコニコ動画にあったはずだが、肝心のニコニコ動画自体が件のサイバー攻撃を受けたことで現在落ちてしまっているため、Youtubeのリンクを載せようと思う。ご存知でなければ、是非聴いてみて欲しい。)
この曲は、作者であるジミーサムPの失恋を綴った曲で、互いが互いに背を向け合い別々の道を歩み出すという、曲調も歌詞も切ない別れの曲だ。
とはいえ、これから下に続く自分の話が失恋話なのかといわれると、そういうわけではない。
では何故、失恋の曲を引っ張り出してきたのかといえば、理由は次の歌詞にある。
この曲を聴くたびに、この歌詞がずっと頭から離れなくなる。むしろ、この部分を聴くために「from y to y」を聴いているのかもしれないというくらいには、自分にとって印象的な一節である。
これから記すのは、未熟な自分とある一人の女の子との話。
少しばかり長い旅路になるだろうが、それでも最後まで見届けていただければ幸甚の極みである。
一人の女の子
さて、前置きが随分と冗長になってしまったので、そろそろ話に入っていきたい。
話は中学生の頃まで遡る。
一人の女の子がいた。
彼女のことは、運動ができて、明朗快活な同級生だったように記憶している。部活動は確か…バスケ部だったか……色白で細身、身長は当時の女子においては決して低くなく、可愛いなと思った記憶はある。いわゆる「陽キャ」とされるような性格で、クラスカーストの上位グループに属す系の子だった。
対して当時の自分は、さすがに根暗ではなかったと信じたいが、有り体に言えば「陰キャ」だった。運動は何をさせても壊滅的に絶望的、勉学にあっても可もなく不可もなく平々凡々至って普通という没個性的な有り様。クラスカーストにおける自分の位置についても、下から数えた方が、折る指を少なく済ませられるくらいの位置にいたことは言うまでもない。
まさに対極。
交わることのない線上に立つ者同士。
故に、彼女のことで覚えていることは多くない。おそらく何度か同じクラスになることがあったのだろうが、ではそれがいつで、何年生のときかと言われると朧げだ。
今となっては彼女と言葉を交わした記憶も殆どない。ともすれば、委員会や係が一緒で、必要最低限の事務連絡などはもしかしたら互いにあったのかもしれないが、親しげに話したという記憶については、てんで思い当たらない。
でも、彼女の存在は確かに覚えているし、何より自分は、これから記すこの結末を未だに忘れられずにいる。
結論を言えば、この先も二人の線は交わることがなかった。
成人式
話は少し先に飛ぶが、平々凡々な成績の自分であっても中学・高校を卒業し、多少の紆余曲折はありながらも人並みに大学に進学することとなった。
その頃になると、彼女のことはすっかり忘れていた。というよりも、先に書いたように接点らしい接点が取り立ててなかったため、「そんな奴もいたなぁ」という、言われれば思い出す人たちを格納する脳内フォルダの中に、彼女も収められていたというべきだろう。
高校を卒業してから、何度か季節が巡り、気がづけば自分も二十歳になっていた。
二十歳になったからといって、途端に責任感が湧き上がってくることも、気持ち新たになることもない。勿論個人差はあるだろうが、少なくとも自分という人間はまだ未熟な子供の延長線上にいた。
そんな未熟な自分は、成人式に出席したくなかった。その理由は様々あるのだが、話の本筋からは逸れるため、ここでは伏せたく思う。
それなのに母親が頻りに出席しろと言うのだ。自分が駄々をこね続けていたら、仕舞いには「出席しなかったら仕送り止めるから」と、本気なのか冗談なのか一見すると判別のつかない際どいことを言い出した。何故そこまでして成人式に出席させたがったのか未だにわからないのだが、渋々折れてやることにした。
今思えばではあるが、成人式には出席しない方が良かったと思う自分も存在する。
そうしておけば、今頃何もかも知らずに済んだし、きっとあのような過ちを犯さずに済んだのだから。
彼女の友人たちと告げられた事実
お偉方の有り難い言葉に耳を傾け、かつての同級生たちと二言三言交わして、着慣れないスーツに身を包み出席した成人式は無事に終わりを迎えた。
終われば帰宅するのが筋である。当然自分は帰るつもりでいた。
しかし、成人式が行われていたホールを出ると、会場のエントランスホールにはまだ沢山の人がいた。まだ話し足りないのか、近況報告や昔話に花を咲かせている者もいれば、手持ち無沙汰で携帯端末をいじる者など様々いたように思う。
帰っていいのか駄目なのかよくわからず、柱にもたれかかり、自分も懐から取り出した携帯端末をいじりながら、周囲を窺っていた。
そんなときだったと思う。声を掛けられたのは。
「おい」だとか「なぁ」だとか、そんなぶっきらぼうな感じだったような気がする。視線を上げると3人だったか4人だったか、女子が自分の前に立っていた。
中学時代の同級生だった。全員の顔は覚えていないが、内二人はなんとなく思い出せる。一人は比較的大柄、もう一人は小柄というなんとも対照的なシルエットで、この二人はよく一緒にいるところを見た記憶がある。確か部活も一緒だったような……
ただ、話し掛けられる理由に全くと言っていいほど心当たりがなかった。だから、「何?」とか「何だよ?」とか、当たり障りのない反応を返すことで相手の反応を待った。
その一言は実に唐突だったと思う。
「〇〇△△って覚えてる?」
「△△、あんたのこと好きだったんだよ」
………
……
…
戸惑う陰キャ
「は?」
相手の一言に対する自分の反応は、おそらくこんなものだったのではないかと思う。まさに青天の霹靂だった。自分の心の内は、瞬く間に感嘆符と疑問符で埋め尽くされた。
何を言い出すのかと思えば、である。つい「こいつらは一体何を言っているんだ?」とポカンとしてしまった。
「△△」が少なくとも対照的なシルエットのどちらでもでないことはわかった。
では一体誰だ?
自分の脳内フォルダに検索が走る。一件該当する。
そう、「△△」は「彼女」の下の名前だったのだ。
確かに彼女は、よくそいつらと一緒にいた。友達だったのだろう。何度も見かけたことがある。中学時代の部活動も一緒だったのではないか。だが、目の前に立つ顔ぶれの中に彼女は見当たらない。二度三度、目の前に立つかつての同級生と言葉を繋いでわかったことがあった。
彼女は、既に亡くなっている。
自分は戸惑っていたのか、強がりたかったのか、当時の心の内を朧げにも覚えてはいないのだが、とんでもない一言を返してしまったことだけは今でも克明に覚えている。
「そんなこと知るかよ。」と。
愚か者はただ独りで舞う
【未熟さゆえの愚かさ】
今思えば、自分は歳不相応に未熟だった。あまりにも足りないものが多すぎた。稚拙にして、無分別。まるであの成人式は、スーツを着た七五三だった。
おそらく最も選んではいけない言葉を選択し、あまつさえそれを発してしまった。それも彼女の友人たちに対して、である。そして、自分に対して口々に非難の言葉を投げるだけ投げて、彼女の友人たちは去っていった。「最低だな」と言われた記憶は残っている。当然だろう。それくらい当時の自分の行いは酷く、最低であった。出席したくなかった成人式にて、かつての同級生から訳のわからないことを突然言われて、多少なりとも気が立っていたのかもしれないが、それでもである。
当時の自分は、今と変わらず人間性に歪みを抱えていた。先だって投稿した「いじめ」の過去もあり、自己評価や自身に対する認知は連日最低を更新し続けていた。歳をいくら重ねても下げ止まることを知らない自己評価は、自らをさも矮小な存在であると錯覚させ、他者に対して自身を卑屈にさせる。当時は本心で思っていたのだ。自分に好意を抱いてくれる存在など絶対にあり得ない、と。
だからこそ、戸惑った。受け入れ難かった。全く理解が追いついていなかった。
加えて何度も述べているとおり、自分と彼女の間には(少なくとも自分から見て)接点らしい接点などなかったのだから。ましてや陽キャと陰キャ、自分と彼女など、交わることのない線上だ。どこをどのようにまかり間違えば、交差する未来を当時の自分が描けたというのであろうか。
【零れ落ちてしまった想い】
しかし、いくら言い訳めいた言葉を重ねようとも、自分が過ちを犯したのは紛うことなき事実だ。ただ、その本質は紡ぐ言葉を誤ったことでも、その言葉を彼女の友人に発してしまったことでもない。
彼女の想いを理解しようとも、想像しようともしなかったことこそが問題だったのである。
最初から彼女の気持ちなど全く眼中になかった。自分から見える世界を、ただ自分が持つ認知に基づいて独りで踊っていた。それ故に、あの自分の一言はある意味では本心から出たものであっただろうし、実際、そこに彼女に対する思いは全く介在していなかったはずだ。
恥ずかしながら、こんな簡単なことに気付くまでに随分と時間を要してしまった。周回遅れもいいところだ。
未熟さゆえの愚かさであれば許されたのだろうか?
たとえ仮に彼女が許してくれたとしても、自分が自分を許さないだろう。今だって、自分にはこの過ちが後悔となって柔らかく降り積もっているのだから。
今ならば……
【if】
歴史に「if」はつきものである、とはよく言われるところだが、自分も彼女について、常々「if」を考えずにはいられなかった。
もし、彼女の想いに気付いてあげられていたなら……
もし、彼女の手をどこかでとれていたなら……
今頃どのようになっていただろうなどと、実に都合のいい話ではないか。あのような言葉を放っておきながら、過去にすがろうとする自分の無自覚な浅ましさには、嫌悪を通り越して呆れすら抱く。
おまけに「if」はどこまで突き詰めても「if」であり、それによって過去に対する願望や妄想の範疇から逃れられるというものではない。結局、言い訳や逃げという自らの心の内であり、そこに彼女は存在しない。どこまでも独りよがりなのだ。
【拾い上げた意味】
ただ、こんな愚かな自分でも今更ながら気付けたことが一つあった。それは、成人式でわざわざかつての同級生が自分に声を掛けてきた、その意味である。
繰り返すが、彼女は既に亡くなっている。
事実についてもう少しだけ話そう。それは成人式の後の話。それも暦と季節が一巡する様子を何度か見送った後の話だ。正直に話せば、成人式での一連の出来事を、彼女のことを、この時点で自分はまるで忘れていた。文章として書いている今でも実に最低だと思う。そしてある日、ふと思い出したかのように彼女について簡単にではあるが、調べるのだ。しかし、彼女がいくら陽キャだったとはいえ、有名人というわけでは勿論ないため、情報は特に該当しなかった。ただ一つを除いては。
当時住んでいた町が発行している広報紙のバックナンバーの片隅に、新聞でいうところの「お悔やみ欄」のような欄があった。そこには軒並み80代や90代という年齢が並ぶ。きっとそれぞれの喜怒哀楽に満ちた人生を全うしたであろう人たちの年齢に混ざって、ひときわ稚い数字が目を引いた。
そこにあったのは括弧で挟まれた(19)という数字。そしてその左隣には名前が添えられていた。彼女の名前以外の何物でもなかった。それを見たとき、つい「あぁ…」と呻いてしまった。
彼女は成人式の前年に亡くなっていたのだ。
そこで、成人式における中学時代の同級生との話に繋がる。仮に彼女の、自身に対する想いが中学時代のごくごく短い一時期だけの話ならば、わざわざそこを切り取って成人式の場で話しはしないだろう(数ある恋バナの一つに過ぎないのだから)。
しかし、事実は違った。成人式という場で、彼女の友人たちが無視することもできたであろう、地味なかつての同級生目掛けて話しかけてきているのだ。一時の恋心などではなく、周囲の友人にも打ち明ける程の想いを、彼女は抱えていたのだろう。故に、彼女の友人たちは自分に対して、言わずにはいられなかったのだろう。
つまり、彼女は中学時代からその生涯に幕を引くその時まで、ずっと自分を想い続けていてくれたのだと思う。今になってようやくその意味に自分は思い至った。
【忘れてはいけないこと】
彼女の最期を自分は知らない。成人式での会話は、あのようなにべもないものだったため、亡くなった理由や彼女の想いなど踏み込んだ話は全くできずじまいだった。
自分は確かに目立つような生徒ではなかったし、誰かの記憶に残るような人間でもない。
でも、彼女はその目で、こんな自分のことを追いかけてくれていたのかもしれない。自分の一挙手一投足を見つめていてくれたのかもしれない。そのように考えると、彼女の心痛は、その苦しみは、今の自分が持ちうる言葉ではとても形容できない。
彼女からは、自分のことがどのように見えていたのであろうか。今となっては知る由もないことだが、そう考えずにはいられない。
今も抜けずに自分の奥底に突き刺さっているこの事実は、愚かな自分が存在したことの証だ。
年齢を重ねることにより、当時の自分に比べれば今の自分が、少しはその愚かさを稀釈できているのではないかと、少しでも当時の彼女の想いに寄り添えるようになっているのではないかと信じたい。
しかし、一方で忘れてはいけないこともある。
彼女が亡くなってしまっている以上、たとえその気持ちを想像できたとしても、理解できるなどとまかり間違っても思ってはいけない。それこそ慢心、自己陶酔以外の何物でもない。これは、この先二度と取り返しのつかない話であることを自分は胸に刻まなければならない。
結び
この話は、一部に伏せた内容や記憶に曖昧な部分などがあるものの、全て事実である。
最後まで見届けてくださった方(そんな稀有な方はいないのかもしれないが……)には心より感謝申し上げたい。
様々思うところがあり、冗長な文章となってしまった。自分に対する戒めを、また彼女に対する最早届かぬ謝罪と感謝の意を込めたつもりだ。
また、大切な友人である彼女の気持ちを伝えてくれたにもかかわらず、結果として踏みにじるような言葉を吐いてしまったことについては、弁解の余地もない。ただただ彼女の友人たちに深謝したい。
勿論、このような駄文拙文をいくら書き連ねたところで、過去に対する禊など果たせようもないことは自分が一番理解している。今後も彼女のことを、また自らの過ちを忘れることはないだろう。自分の人生にとっての栞のように、時々ここに戻ってこようと思う。
最初から交わることのなかった二人の線は、終ぞその交点を得ることはなかった。今も、そしてこれからもそれは永遠に交わることはない。
だが、今の自分は、彼女がきっと生きたいと願ったであろう明日を歩いている。彼女が想いを寄せてくれた自分という人間は、今日も生きている。せめて彼女の想いに恥じない人生を歩んでいきたいと思う。
そして、いつか彼女に聞いてみよう。
こんな愚かな自分という存在でも、それでも君の記憶にそっと居させてくれるだろうか、と。
淡く祈って、筆を置く。
令和六年 七月 二十八日 記