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【アイドル新歴史学】 「殺し」の軍団・2011年のモーニング娘。

日本アイドル史において、
「初期」モーニング娘。の衰退の過程と、秋元先生の再興隆の過程は正に交錯している。

「初期」モーニング娘。の最後のメジャーヒットとされる『シャボン玉』が2003年、そしてAKBの結成が2005年である。

AKBの登場については筆者の記憶にも強く残っている。
巨大化し過ぎたモーニング娘。へのカウンターとしての「会いに行けるアイドル」というコンセプトの元、秋葉原の小さな劇場で立ち上げられた歴史については改めてここで述べる必要はないだろう。

日本のアイドルの原基である南沙織の登場から、アイドルとは「日常」に存在しなければならないものとされてきた。
その意味で、AKBの登場はキチンと「アイドルの定石」を守った先祖返り的な運動であった。

ここで具体的な歴史上の出来事を振り返えると、AKBが登場した2005年におけるモーニング娘。の代表シングル曲は『THE マンパワー!』である。
新たにプロ野球に参入した「楽天」球団の応援歌として提供されたものであるが、「全盛期の」モーニング娘。の多幸感を期待していた大衆の空気に対して、マイナー調で派手なサビが無い本曲への大衆の失望感は大きなダメージをモーニング娘。に与えた(あくまで当時の「所感」である)。

続く2006年、2007年、AKBの上昇二次曲線に対して、モーニング娘。は明確な下降曲線を描いていた

そして、2008年が恐らくモーニング娘。の歴史上の一番の底である。
この年のシングル曲の発表は僅か二曲であり、そのうちの一曲はピンクレディーのカバー曲という迷走の極みに陥っていた。
しかし、その「夜の一番暗い時間」とは「一番夜明けに近い時間」でもあった。
つまり「夜明け前の一番暗い」時間である。

同年、『レゾナント・ブルー』という曲が発表された。
この曲は、のちに「女の悲しみ三部作」と呼ばれる『泣いちゃうかも』、『しょうがない夢追い人』、『なんちゃって恋愛』という
「かつて少女だった女性の愁いを帯びたリアリズム」、、、
すなわち当時の不遇状態にあったモーニング娘。のメンバー自身のリアリズムを体現した傑作群への布石となり、現在では「モーニング娘。暗黒時代」の奇跡として歴史に刻まれている。
そこに見られる異常なまでにハイクオリティな歌、ダンス、キャラクター、楽曲と合わせて、この時期のモーニング娘。は同時期に発表されたアルバム名とその磨き上げられたスキルをかけて「プラチナ」期と後に称されることになる。

この「女の悲しみ三部作」にはソングライターつんく♂氏の「メジャーヒットから解放された悦び」に溢れており、
「つんくという作家の本来の資質=日本の現代女性のためのブルース」
が一番濃厚に表れている。

こうして、秋元先生がおニャン子クラブ以来二度目の此の世の春を謳歌しようとしている正に同時期、モーニング娘。は地下に潜伏し、泥をすすりながら力を蓄えていた。
そして、その蓄えたられた力の一端は2010年にフランスのパリで開かれた「JAPAN EXPO」で解放され、その圧倒的なパフォーマンスは欧米での評価を高め、後の幾多のアイドルの欧米ツアーの礎となった。

そして2010年12月15日、「プラチナ期」の主要メンバーである亀井絵里のグループ卒業に伴い、彼女の卒業コンサート『ライバル・サバイバル』ツアー最終公演が横浜アリーナで行われた。
当日、開演前の客席はすでに騒然とした雰囲気に包まれており、アーミー・コスチュームを纏いMJリスペクトなダンスと共に満を持してメンバーが登場したオープニング曲『そうだ! We're ALIVE』では、熱狂した超満員の観客が狂乱する振動で固定カメラの映像が激しく揺れ動く様子が記録されている。

この3時間を超えるライブでは、かの「潜伏期間」に蓄えた数々の名曲、『青春コレクション』『女と男のララバイゲーム』『気まぐれプリンセス』に加え、『大きい瞳』『元気ピカピカ』『涙っち』等々、長らく現場で鍛えあげられたヴォーカル、ダンス、そして鬼気迫る気合に満ちたパフォーマンスが融合し、そこに一緒に泥をすすってきたファンのエネルギーが加わって大爆発を引き起こした。

この日を境に「プラチナ」モーニング娘。という名称は、主要メンバー亀井絵里の引退とともに「史上最強のアイドルの神話」として語り継がれるようになったのである。

ちなみに、この『ライバル・サバイバル』のセット・リストからは「いわゆる世間でいうモーニング娘。」の曲は全て廃除され、
すべて高橋愛、新垣里沙ら「5期メンバー」以降の曲で占められている。 それは、この日以降、「モーニング娘。」の歴史に一本の境界線が引かれたことを意味している。

「プラチナ以降」が「我々のモーニング娘。」になったのである。


さて、
この同時期、「モーニング娘。再生」の計画が進められていた。

いわゆる新規「9期メンバー」のオーディションであり、それは前の「8期メンバー」から実に4年ぶりに開催されたオーディションであった。

かくして、2011年、亀井絵里と中国人メンバー2人が抜けたモーニング娘。に新しく4人の「9期」メンバーが加入した。
そして、奇しくも東日本大震災と重なったこの年の春、一度延期となった「9期お披露目コンサートツアー」(正式名称は「モーニング娘。コンサートツアー2011春 新創世記 ファンタジーDX ~9期メンを迎えて~ 」)がようやく開催された。

筆者は、先の『ライバル・サバイバル』における歴史的なパフォーマンスのコンサート映像を観て、その「アイドル史上最強」と謳われる驚愕のパフォーマンを目の当たりにした結果、この「9期お披露目ツアー」に約10年ぶりにモーニング娘。のコンサートに足を運ぶことを決めた。

筆者にとって10年ぶりに訪れたモーニング娘。のコンサート会場は中野サンプラザであった。

そこには所謂「オタク」というアイドル・ファン独特のコスチュームに身を包んだ人々が溢れる見慣れた光景があった。
ただ一つ違っていたことは、客入れ時のSEがずっとテクノ・ミュージックであったことである。

コンサートが始まり、ステージに登場した「プラチナ期の残党」高橋愛、新垣里沙、田中れいな、道重さゆみ、光井愛佳の五人のパフォーマンスは「アイドル史上最強」の名に相応しい、まるでステージから客席に突風が吹き抜けるような凄まじいものであった。

そしてコンサートの中盤、とある曲が始まった。
イントロから完全にテクノ・マナーである。
そして、まるで巨大クラブにいるかのごときPAから鳴り響くキック音は、完全に「ダンスフロア仕様」であった。

この『moon light night 月夜の晩だよ』という曲は、先のプラチナ期のアルバムに収録されているテクノ・マナーの佳曲であるのだが、それがこのコンサートでは過激に、ミニマル・ハードにリミックスされていた。

登場したのは闘将・高橋愛と達人・新垣里沙、そして新人である9期メンバーの鞘師里保である。
この時、鞘師里保は12才、パフォーマンスお披露目前から「驚異の新人」と称されていた。
そして、広島からやってきたこの若き刺客はステージに登場するや、もてる能力をすべて解放した。

かくして、この曲におけるパフォーマンスの凄まじさは、瞬時にインターネットに広まり、このミニマル・ハードなテクノ・サウンドは、「新生モーニング娘。」の旗印となったのである。

その後「新生モーニング娘。」はEDM曲を連発し、
「EDM娘。」として高度に再チューンナップされ、新メンバー鞘師里保の高度のダンス・スキルをフィーチャーした「フォーメーション・ダンス」というハードな集団演舞を練り上げ、加えて「プラチナ期」の財産を引き継いだ禁欲的な実力主義による鍛え上げた身体を纏った彼女たちは、アイドル界の「最凶セメント・ファイター」として再びシーンの最前線に帰還したのである。

(つづく)


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