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大学教育が「役に立つ」とはどういうことか
(2023/9/10)
大学教員は原則として研究者ではなく教員として雇用されているので、一般社会からの理解という観点からは研究よりも大学教育の問題のほうが重要かもしれない。だとすると「大学教育は役に立たない」論に正面から向き合う必要がある。
外形的な「単位の実質化」は無意味。また「役に立つこと」はエクセルを教えることではない。陳腐化の恐れもある。ではどうするか。3点ある。
現時点あるいは近い
「科学技術コミュニケーション」をめぐる原理的問題についての試論
(2023年6月)
現在「科学技術コミュニケーションの範疇に入る」と言われている対象をすべて包含しようとするならば、この言葉の定義は「科学技術に関する何らかのコミュニケーション活動」とするしかない。つまりこれは研究でもなく何らかの具体的な目的を達成するための社会運動でもなく、「気圧配置」や「人口分布」のような単なる「現象」にすぎないということである。
だとすると、ここからさらに「良い科学技術コ
学問・教育、行政官僚機構、政治、公共性
例の文科省課長の発言、上から目線とかそういう話は一旦置いておいて、ここでは行政官僚の行動性向に注目したい。
1.価値や感情からのデタッチメント
2.形式や手続きへの固執
3.俯瞰への欲望
3は1ゆえに優先順位や実現への意志を欠く単なる羅列となり、いわゆる「ポンチ絵」に結実する。2は1を支える防壁となる。
シェアしたXは上記性向の典型的な表現型。さて、何故行政官僚はこのような行動性向を持つのか。
社会における切実な問題解決の全体像を考えるために ~『お金のむこうに人がいる』(田内学著)をもとに~
自分自身の、自力では解決できない問題を解決するには、それを解決してくれる誰か別の人間が存在しなければならない。自力を鍛えればよいではないか、と言うかもしれないが、自力では鍛えられない自力、という問題を解決するにはやはり、それを解決してくれる誰か別の人間が存在しなければならない。
この社会に生きる全ての人間にとって、自力では解決できない自分自身の、(とりわけ放置し得ない)問題を解決してくれる他者が