#草はやめてクソワロタ
現代のインターネット文化は、独自の言語と表現方法を生み出してきました。ヘッダ画像をお借りしています。
その中でも「笑う」を表現する方法は特に多様化しています。かつては顔文字や絵文字が主流でしたが、最近では「草」という言葉や「大草原」的なフレーズがその役割を担ってたりするんですかね。
これらの表現は特に伝達能力の高いSNSとかの間で広く使われていますが、それぞれに対する受け止め方は大きく異なります。
「草」という表現は、笑いを意味する「w」が連続している様子が、草が生い茂っているように見えることから来ています。
この表現はその簡潔さから多くの人に受け入れられがちなのかもしれませんね。でも一方でこの表現には違和感を覚える人も少なくありません。別に定量調査とかはしていない。
その違和感の根底には、感情表現の薄さやコミュニケーションの欠如があると断じます。
ぼくは長い間違和感こそあり、絶対に自分からは使わないことでそのあたりへのコンセンサスを示さないようにしようと意志固く生きていた(同様に、2010年代に義務教育だった人とかに特に顕著なのだが、本来読点を打つところで句点を打つきつい文化に対しても似たようなことを感じる)けど、最近この心理に気がついた。
漢字一文字で笑いを表現することは……言い換えると、漢字たった一文字でしか笑っていることを表現しないことは、何かしらの感情の放棄、あるいはコミュニケーションの放棄とも取れますね。
笑うという行為は、単に面白いことに対する反応ってだけじゃない。
何かが起こって、さらに反応が起こるということは、もはやこれはコミュニケーションである。
感じるだけでなく、何らかの刺激に対するリアクションであり、そのリアクションはその「笑わせ」を生んだいわば製作者に対する返礼、返答になる。
ただ流石に礼儀とかマナーとかまでは言わない。そういう格式張ったの嫌いだし、演芸とか芸能の敷居を無駄にあげてるのってそういう上の世代が意味もわかってないのに脳死で必死に守ってきた慣例とかに縋り付くのと同義になっちまうからです。
何度もいうがコミュニケーションの一形態なわけです。「笑わせ」をした相手は、当事者が笑っていることを知りたいはずだ。
そしてそれを知れば、嬉しいはずだ、喜んでくれるはずだ。
つまり笑いを共有することは、喜びを分かち合うことであり、その喜びは表現の匙加減によってより強く伝わることもあります。
一方、「クソワロタ」という表現は、文字通り「とても笑った」という意味を持ちます。このフレーズは笑みが全身から溢れ出るような状況を想起させ、よりダイナミックな感情表現だ。
「草」という表現が感情の放棄であるとすれば、「クソワロタ」は感情の全面的な表現であり、コミュニケーションの強化とも言えます。
笑うという行為は、五感をフルに活用して表現されるべき─────でしょうね。だって返答であり返礼なんだから。コミュニケーションを豊かにすると言いました。
その豊かさを「クソワロタ」は捉えています。漢字一文字で笑いを表現することは、その豊かな感情を簡略化しすぎると言えるでしょう。
さらに「クソワロタ」には、笑いを共有しようとする意志が感じられます。笑いは、単に個人の感情ではなく、他者との関係性の中で生まれるものです。笑いを共有することで、人と人との間にはより強い絆が生まれます。この点で、「クソワロタ」は、コミュニケーションの本質を捉えていると言えるでしょう。
「クソワロタwwwwwww」は、全身で慶びといいますか笑っていることを示している、という雰囲気にコミットメントがある。
しかしながら、たった漢字一文字でしかない草とは何なのだろうか?これは感情の放棄といえるのではないだろうか?さっきも言ったように、笑うとは全身表現であり、相手に伝えてさらにその意義が増幅する。
それを漢字1文字とは……聞いて呆れる。情けない。何を達観した気にでもなっているのだろう?
そもそも漢字一個をその場に置き捨てるという行為に、感情などあるだろうか?いや、意味すら存在するだろうか?ぼくがこのページに「黒」という一文だけ書いてアップロードしてたらあなたどう思いますか?
笑うという感情は、五感をフル活用してでも表現すべき、感情を持つ生き物の素晴らしい行為だ。それを漢字一文字で表現するなんて、コミュニケーションの放棄である。
なんなら「笑ってやってるぞ」感、上から目線感すらないだろうか?そんな部分に無駄なプライドを絡ませて、何の得があるのだろう?
つまり生きとし生けるもの、みな笑ったときにはクソワロタを使うべきだ。
笑うとは達観ではない。達観したらその瞬間にそれは「笑う」ではない。見下しです。嘲笑です。哀れみです。憐憫です。侮蔑です。「普通笑うよね」ってところで、意味不明なプライドがそうさせてるんだなこの人はとか思われてもいいのか。
結論として、インターネット上での笑いの表現方法は多様ですが、「草」と「クソワロタ」はその中でも特に対照的な存在です。前者が感情の放棄やコミュニケーションの欠如を示唆し、さもキーボードを「ッターン」と叩くおっさんのように「自分のプロジェクト進行が一段落ついた」ことを周囲にお知らせしたくてたまらない情念が止められないかのようなクソ・サウンドを出さないと気がすまない上から目線すら覗かせる一方で、後者は感情の豊かな表現やコミュニケーションの強化を象徴しています。
この違いは単なる言葉遊び以上のものを示している。どのように笑いを表現するかは、私たちのコミュニケーションスタイルに深く関わっていくと言えるでしょう。