ご機嫌にご機嫌に生きたいな
どうなりたいかは自分で選ぶしかない。本当の自分を忘れてしまう前に。 #大切なことば
苦しい、ただ苦しいからそれから逃れるためにかく文章になってしまう 頭とか気持ちの整理なんてかっこよくは言えなくて、本当に心が苦しみで満杯だから逃してあげる作業でしかない、文字を打っているだけなのに涙が出てくる 会社に向かう電車で朝から泣いてしまう、夜だって家に帰るだけの電車で泣いてしまう、でも泣いてる顔も泣き腫らした顔も誰にも見られたくなくて、もうずっと思いっきり泣けない、人が近くにいすぎた、いらないものを大切にしすぎた、ただひとり、知らない街で景色を眺める日が欲しい
今日はとにかく疲れた ヘトヘトだ でも昨日はいい日だったので昨日のことを書く。気分は違うが昨日の気持ちを忘れたくないので書く。 わたしには目標がない、やりたいことはたっくさんあるが、何になりたいとか最終的に何がしたいとかそういうものは全くない。 仕事はすこぶる大変だが、なんでやってるって理由はない、なんとなく面白そうだったからやっている。その職業の勉強をしてたわけではないし、得意なわけでもない、ずっとわかんないなって思ったからわかってみたいと思った。ちなみにまだ何もわ
久しぶりにnoteを書いてみる。 私は人より辛い思いをしてないと不安になってしまうらしいことを最近とても実感している。 最近は忙殺されて何も考えがまとまってないが思いついたことをつらつらと書き連ねようと思う。 何もまとまっていない。 人と話さないのは苦しい雑談できる相手がいないのは苦しい ずっと同じ場所に収まり続けるのは苦しいずっとパソコン見て仕事をしてるのは苦しい 空が狭いのは苦しい自然に触れると嬉しい マスクの下を知ってる人に会うのは安心する 会ったことな
わたしはいつからか覚えていないほどずっと、漠然と死にたいと思っている。 何も特別なことだとは思っていないし、実行しようと思う日々もない。 多分わたしの人生には人並みに、うれしいことや楽しいことも、苦しいことや悲しいこともある。その中で、わたしは後者の受け止めの方が強く感じてしまうというだけなのだ。 でも誰も悲しんでほしくないので、死にたいというより消えたい、とわたしはずっと唱えている。消えて、わたしがいたことも人類の記憶からなくして、わたしの存在すらなかったことにして、
疲れてしまった 最近夢をよく見るが、特に印象に残っている夢がある 会えなくなった好きな人に話しかけようとするのに声がかすれて何も伝わらない夢だ 夢占いで調べてみると、伝えたい人に伝えたいことを伝えることができなくて孤独を感じているらしかった 最近の私はそれそのものだ 昔から、わたしの考え方は人とちょっとズレているところがあると感じている だから、なんとなく普遍的になるようにちょっと意見を変えたり、ズレすぎてる時は話すのをやめたりする ズレていることを長所だと思え
人が亡くなると、みんなこぞっていい話ばかりする。 褒め称えて褒め称えてその死を、悲しむ。 そりゃあ、きっといい人だったのだろうし、私はその人を褒められるほどもけなせるほども知らないから何も言えないが、どうしてその言葉を、存在の大切さを生きているうちに伝えてあげられなかったのだろう。 私も中学生の頃、同じ学年の子を病気でなくしたが、みんなの中で、元気な時にはあまり気に入られている子ではなかった。それなのに、病気になったらみんな心配の言葉をかける。 どうしてその心があるの
心が重いと感じたことがある人はどこくらいいるのだろう。 心の重さなんて感じたことがない人がほとんどなのかもしれない。 でも、わたしは多分、物心ついた頃から心が重い。 ついでに腹の底も重い。 あくまでわたしのイメージだが、心は簡単に傷つかないように、感情が吹き出してこないように、鉛のようなものを心の周りに何重にも何重にも貼り付けているような重さだ。 腹は、腹の底に大きな石がずしんとはいっているような感じで、その石は朝起きた時、今日も1日あれやらなきゃこれやらなきゃが迫
優しい言葉をかけてくれる人は、多いようで少ない。 みんな自分のことで精一杯だし、人を気にかける余裕がないときもある。 でもそれ以外にも、優しい言葉をかけるときは私は勇気が必要であると思う。 会話をしていたり、長くその人といると、今この人はこんな言葉を必要としているんだろうなとわかるときがある。 でもそのときにそれをちゃんと言葉にするのを私は躊躇ってしまう。 私はこの人にとってそんな言葉を伝えていい存在なのだろうか そんなに踏み込んでいいのか 上から目線に感じられ
生きているともやもやすることなんて数えきれないほどある。 理不尽に怒られたけど場を抑えるために抑え込んだもやもやとか 陰で悪口を言われていたもやもやとか 好きな人が他の子とデートをするもやもやとか 挙げていったらキリがないし、 他人が感じるもやもやの種類を全部あげられるほど私は他人を知らないし、 そんな全ての人の感情を背負う人になりたいとも思わない。 大切なひとのもやもやも全て理解できるわけないのに 他の人なんて到底無理だ。 でもせめて、大切な自分のもやもや
今はみんな家にこもっていると思います。 私もその1人。 1日のほとんどの時間を家の中で過ごす。 それで世界が救えるというのだから 何もできない自分にも救えるものがあるならと、進んで従う。 これを始めてから1ヶ月以上が経つ。 友達と、 「今年の桜は早いみたい」 「もう咲いてるんだ」 「今年はいつお花見しよう」 なんて話していたが、 いつも通りの春は迎えられず、それどころか終わって行き いつも通りでない夏の匂いがしてきた。 満開になった 春の嵐で散っち
ほんとは凪良ゆうさんの、 流浪の月 私の美しい庭 がひどく染みたので感想を書こうと思っていたが 書いてないまま過ぎてしまったので、再読したときにかく 最近、本や漫画を読むことが増えた 外に出られず、感情が死んでしまいそうになるのを 物語は優しく、ときに激しく揺り動かしてくれる 物語を読むことは前から好きだったが、 最近は今までと違った感情が生まれてくるようになった 作者の人はどうやって育ってきたのだろうか いつどこで何を感じてきたのだろうか 薄っぺらな
自分の気持ちを記録したいと思い、noteを書いてみることにした 日々の生活で感じたこと、大切にしたいこと、作品を観たり読んだらした感想 書くことでなんでも整理できたらと思う 生きてるだけで、愛 を見た 率直に、本当に、『生きてるだけで、愛』だなあと思った 2人にとって、いや、誰しもが少なからず、共に生きてることだけでもう愛なんだろうなと感じた 寧子が過眠症で躁鬱なことでそれが色濃く感じられたけど、そうでなくても、1人の人間が全然違う人間を受け入れて一緒にいられるこ