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生前葬


人が亡くなると、みんなこぞっていい話ばかりする。

褒め称えて褒め称えてその死を、悲しむ。

そりゃあ、きっといい人だったのだろうし、私はその人を褒められるほどもけなせるほども知らないから何も言えないが、どうしてその言葉を、存在の大切さを生きているうちに伝えてあげられなかったのだろう。

私も中学生の頃、同じ学年の子を病気でなくしたが、みんなの中で、元気な時にはあまり気に入られている子ではなかった。それなのに、病気になったらみんな心配の言葉をかける。

どうしてその心があるのに、元気なうちに、いっぱいいっぱいの優しさを、愛をあげられないのだろう。


突然だが、私は生前葬をやりたいと、ずっと思っている。

きっかけは、ドラマのdeleだ。

私は普段日記をつけるタイプではないのだが、その日はこれを忘れちゃいけない、忘れたくない、と思って長めの日記をつけていたのでそれをそのままペーストする。

”好きな人に好きって言わない人生ってもったいなくない?

dele見て死んだ人を好きって言っても死んだ人に感謝を伝えても死んだ人をどんなに素晴らしい人だったと言ってももう遅いんだってすごく刺さった。

生前葬をもうやろうなんてことは思わないけど、それでもいま感じている好きを、恋愛的にじゃないとしても、感謝してる大好きな人みんなに伝えたいと思った。

みんなに生前葬してなんて無理だから、みんなの誕生日に本当に心からその人が死んだような気で、お葬式だったらなんて挨拶しようかななんて伝えようかなって本当に考えて、毎回お誕生日おめでとうする人になろうって思った。

みんなありがとう好き大好きを伝える。”

私も全然内容自体は覚えてないのだが、多分2018年8月3日の放送回で、多分、水曜日のカンパネラが出ていて、生前葬をやってたくさんいい言葉をもらって、仲が悪かった親に、私はこんなに愛されて生きてるよ、ありがとう、みたいな内容だった気がする。

とにかく何かがとにかくすごく良かったのだ。

絶対そんなこと言えないが、詰まる所、私は褒められたい。

褒められて、たくさんの嬉しい気持ちに包まれたいし、無理なときも、みんなが伝えてくれた愛で大丈夫になりたい。

それに、私の褒めで、愛で、みんな少しでも喜んでほしいし、大げさに言えば救われてほしい。

実は、誕生日にみんなのいいとこをめっちゃいうことは、相手との温度差がすごくて、最近はめげてやらなくなってしまっているが、いつでもいいから、伝えたいときに、照れたり出し惜しみしたりせず、好きなところをたっくさん伝えて生きたい。


ふとした時に、誰かを救えるように。


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