1人で進む季節と匂い
今はみんな家にこもっていると思います。
私もその1人。
1日のほとんどの時間を家の中で過ごす。
それで世界が救えるというのだから
何もできない自分にも救えるものがあるならと、進んで従う。
これを始めてから1ヶ月以上が経つ。
友達と、
「今年の桜は早いみたい」
「もう咲いてるんだ」
「今年はいつお花見しよう」
なんて話していたが、
いつも通りの春は迎えられず、それどころか終わって行き
いつも通りでない夏の匂いがしてきた。
満開になった
春の嵐で散っちゃう
葉っぱがついてきた
と家から見ていた桜も、たくさんの緑をつけて新緑の匂いを存分にさせている。
人々はみんなお家で過ごしているし
私もそうすべきだと思うし、そうしている。
でもなんだか、季節が、自然が流れると
1人取り残されたような
1人だけずっと春に入れずに立ち止まっているような
そんな気持ちになって
寂しさや焦りで悲しくてどうしようもなくなってしまう。
思えば私は昔から
季節のものや、季節の香り、空気が好きだった。
中学生の頃は、好きな詩を選んで書く授業では
毎回、枕草子を選んでいた。
春は春、夏は夏、秋は秋、冬は冬
の良さがあり、季節を楽しむ心が好きだった。
もちろん、自分が季節を楽しむことも。
嗅覚は、視覚よりも鮮明に思い出に訴えかける。
入学式の匂い
春が始まる匂い
初夏の匂い
運動会の匂い
夏の夜の匂い
人それぞれ感じ方や思い出すことは違うだろう。
でも、何かを思い出す匂いがして
その時一緒にいる人に
「○○の匂い」
といって、共感されたり、私とは違う記憶を教えてくれたり
「じゃあ今度それしよう」
と新しい思い出の約束をしたり
そういう時間が好きだ。
技術は進歩していて、
顔も見れるし声も聞けるし話もできる。
でも、匂いとか味とか、触り心地とか
そういう感覚を共有できない今はやっぱり寂しい。
匂いから思い出す記憶はいいものばかりではないし
いい思い出だからこそ、思い出させられて辛いこともある。
でも、それと同時に今年はこんなことをしよう
って新しい可能性も連れてきてくれる感じがする。
主題からずれてしまった気もするが、
季節においていかれるこんな気分も
いつかのこの時期の匂いで思い出して
季節を心でも体でもいっぱいに感じられる「今」が幸せだ
と思えるものになればいいなと思う。
四季があって良かったな