もやもやすること
生きているともやもやすることなんて数えきれないほどある。
理不尽に怒られたけど場を抑えるために抑え込んだもやもやとか
陰で悪口を言われていたもやもやとか
好きな人が他の子とデートをするもやもやとか
挙げていったらキリがないし、
他人が感じるもやもやの種類を全部あげられるほど私は他人を知らないし、
そんな全ての人の感情を背負う人になりたいとも思わない。
大切なひとのもやもやも全て理解できるわけないのに
他の人なんて到底無理だ。
でもせめて、大切な自分のもやもやぐらいは自分で理解してあげて、
癒せる人になりたいと思う。
でも、理由がわかっているもやもやならまだ太刀打ちしようがあるが、わからないときはただもんもんとして時間に任せていた。
確かにいずれもやもやはどこかに行くけど、もやもやしている期間が長いので、その間に人に嫌な態度をとってしまってまたもやもやが増幅する。
そんな自分がすごく嫌だった。
22歳になってやっと少し、原因不明のもやもやとの向き合い方がわかってきた気がする。
それは、なんでもいいから言葉や文章を書いてみることだ。
私は昔から、人に感じたことや考えていることを話すことが苦手だ。
ハッピーな気持ちや冗談はきっと周りも楽しくなるので簡単に言えるのだが、
真剣に自分が考えたことは批判されたり笑われたりするのが怖くて自分で大切に持っておきたくなっちゃうし
悲しかったこととか怒りの感情は、周りの人も嫌な気持ちにさせてしまうようで言えない。
これを繰り返しているうちに、
いつの間にか心の奥底で考えていることは誰にも言えない
上辺だけでずっと楽しいふりして生きている人間になってしまった。
その分、心の奥はどんどん沈んで行く。
この心の奥がもやもやを発症してるのだと思った。
いつかの誰にも言えなかった言葉たちがたまりにたまって時々どうにも動けなくなる。
だから、なんでもいいので自分の言葉をかける場を、
誰にも聞かれなくてもいいから、言葉にできる場を用意できればいい。
それが、もやもやの原因を紐解いていって、整理する作業でなくてもいい。
少しでも、何も関係ないことでも、心の中のものを言葉にだすと
少し心は軽くなる。
今だって、心がもやもやで溢れそうになっていたが、
こうして文章を書くことで心が晴れていった気がする。
私も変わって行くから、自分を癒す方法も変わって行くけど、
その都度自分にゆっくり寄り添って、
もやもやを少しでも軽くできたらいいと思う。