[対談]青野文昭×福住廉 司会:関本欣也
関本:定刻になりましたので、はじめさせていただきたいと思います。「青野文昭個展」トークということで、美術評論家の福住廉さんをお招きして、1時間半から2時間トークイベントを開催したいと思います。よろしくお願いします。先週も青野さんとはトークをやって、思いのほか人がいっぱい来てしまって、先週はリラックス、今週は真面目にと思ったんですけど、先週も真面目、今週も真面目ということになってしまったんですけど…。
まず、福住さんをなぜ今回お招きしたかということを簡単に説明させていただくと、2013年に青野さんとぼくとで、うちのギャラリー以外で個展、展示をしようということで、東京のギャラリイKと秋田のココラボラトリーというところで展示したんですけど*1、そのギャラリィKで展示する際に青野さんの展覧会のトークをしたいということで、ギャラリイKのオーナーの宇留野さんから福住廉さんという方が適任ではないかということでご紹介いただいて、東京で3年前にトークをさせていただいて、そのときのぼくと青野さんは福住さんとのトークがすごく印象的というか楽しくて、ぜひ仙台でもそのような場を作りたいということで今回お招きした次第です。よろしくお願いします。今日も真面目になっちゃいましたけど、早速はじめさせていただきたいと思います。まず最初に、福住さん、今回青野さんの作品を観て、2013年と今との違いを何か感じたと思うんですけど、感想というかお話いただければと思います。
*1「青野文昭展 それぞれの床面・流出・移植 2013」、2013年9月9日~21日、Gallery K/「青野文昭展 よろずのかみ」2014年1月29日〜2月9日、cocolaboratory
福住:こんにちは。福住といいます。よろしくお願いします。青野さんにお尋ねしたい点がいくつかあるので、それらを感想をまじえながら質問させてもらいます。ぼくがはじめて青野さんの作品を観たのは、今お話に出た2013年のギャラリイKでの個展だったんですが、その時のメインの作品は座卓を修復するような作品だったせいか、会場にはわりと水平的なイメージが強く出ていたと思うんですね。ただ、最近発表された作品は、このあいだの東京芸術大学大学美術館の展覧会*2とか、その前のギャラリーαMの個展*3の時もそうだったように、逆に垂直方向に立ち上がって、天に向かって伸び上がっていくようなイメージに変わっていた気がするんです。
*2「いま、被災地から―岩手・宮城・福島の美術と震災復興」、2016年5月17日〜6月16日、東京藝術大学大学美術館 *3「パランセプト 記憶の重ね書き vol.7 青野文昭」、2015年2月14日〜3月14日
垂直的に立ち上がるイメージは、生命を象徴するイメージと直結していると思います。たとえば、生け花は、地面から生えている植物をぶった切って垂直に立ち上げることによって一瞬の生命のきらめきを感じ取らせる芸術ですよね。それは、本当は死につつあるんだけど、立ち上げることで、かりそめだとはいえ、花の生命を最後に輝かせようとする、ある種のグロテスクな人間の欲望にもとづいている。あるいはダンスにしても、人間の身体は重力に従わざるを得ないのだけれど、身体の軸を不自然なまでに垂直に立ち上げながら身体運動の美しさを極めることで、できるだけそれに逆らおうとしている。ダンスは重力への反逆ないしは重力からの離脱に人間の生命感のイメージを仮託する芸術だといえます。だから青野さんの作品が水平性から垂直性のイメージに切り替わったことの背景には、何かしらのかたちで生命的なイメージを求める動機が見いだせるような気がするんです。
これはぼくの勝手な想像ですが、青野さんは徐々に造形を構築する方向性に身を乗り出そうとしているんじゃないか。以前のような水平性の段階では、たとえ「なおす」とはいえ、造形や構築を禁欲的に戒めるもの派的な身ぶりがある程度残っていたような気がするんです。それは決して回避しがたい世代的な問題なのかもしれないけれど、垂直的なイメージを立ち上げるには、それとはまったく別の意味で造形を構築するという身ぶりを避けることはできない。もの派的な「つくらない」身ぶりから、造形を構築する「つくる」身ぶりへ。最近の青野さんの作品には、そうした変容をあくまでも肯定的にとらえているような素振りがうかがえました。
もう一点は、今回の個展でとくに強く醸し出されていましたが、人間のイメージが強く前面化している点です。「強く前面化している」というより、むしろ「なりふり構わず」人のイメージを表していると言った方が的確なのかもしれない。というのも、彫刻にしろ絵画にしろ、人間の形象をそのまま写実的に表現することを避ける傾向が、現代美術の世界にはある種の規律として長らく内面化されていたからです。たとえ人間そのものを主題にしているとしても、何かしらの抽象化の手続きをしたり概念装置に濾過させたりすることが、現代美術の作法として美徳とされてきた。最近の青野さんは、その風習から一定の距離を保ったうえで、人間のイメージを再現的に表現することに明らかに踏み出している。これは、先ほど挙げた垂直的な造形を構築することに身を乗り出しているという点と、何らかの相関関係があるような気がするんです。とりあえず、この二点をお聞きしたいなと思っています。
青野:今日はありがとうございます。そうですね…。ギャラリイKの時は、津波で流されたいろいろな家の床を、ある程度まとまって見せようっていうので、全体的に水平的な印象の会場になっていたと思います。その後のαMでは、看板とかぐちゃぐちゃになって地面に落ちているやつを拾ってきて、それを立ち上がらせるような、同時にひもとくように広げていくタイプの作品を多く展示したんですね。福住さんには的確な文章を書いていただいて、とても嬉しく思いました。何人かの人にモニュメンタルな感じがするとも言われたりしたんですけど、別にそれを否定するつもりはないのですが、もちろん最初からそういう感じのものを作ろうという意識ではなかったわけです。
被災地に落ちているものを…、なんて言うんでしょうかね…。立ち上がらせるっていうんじゃないんですけども、そのままだと地面と同化していくものを、起き上がらせるという、ある意味で美術以前にある衝動みたいなものがたぶん働いて、構造とかも立ちあがらせ続けるための必然的なもので、後からみれば造形的に感じる傾向もあるんだと思います。とにかくその埋もれる物を、より見えるようにしようっていうのが、まずあったんですね。ですから先ほどの福住さんの生け花やダンスの話は大変興味深いものがあります。
震災後なんとなく聞こえてくることの一つに、いわゆる美術館的な作品とか、美術というんですかね、言ってみれば西欧の伝統から育まれてきたような美術のあり方、その流れでおそらく構築的な作品などもかもしれませんが…、被災後の混乱した状況や、そもそも災害の多い日本には合わないんじゃないかと、思われたりしているようなのかもしれないんですけど…。そうしたニュアンスはある意味理解できないわけではないんですが、一方で、現地において作る身の感覚としてはむしろ逆で、何もなくなってしまって、かたちがあるものが消えていったときに、あるいは身のまわりの世界の不確かさといったものに直面しているときに、最初にやっぱり求めるものは確かなかたちを求めるっていうんですかね。何かこう、一時的なイベント的なことではなくて、とにかく何かかたちのあるものを見出さなければならない、存在の証(あかし)を残さなければならないっていうのがまずあるように感じています。
それはあくまでも先ほど言ったように美術以前の、人間の本能のようなものであるように感じています。それが、ある種モニュメンタルなもの、彫刻的な構築性につながってくることもあるかもしれないんですけども、それは結果的にそう見えるに過ぎなくて…。ですから、現実感や、感じ方が違うなというのはありましたね。それが住んでいる地域や立場によって違いが出てくるのかはわかりませんが。そもそもこれまで人類の歴史では、戦争や災害時において、街が破壊されたとしても、よりコンパクトな造形物や宝物、あるいはいわゆる美術的な作品においてこそ、避難させたり保存しようとしてきたわけだし、それが可能だったわけだと思います。そうしたことは別に西欧文明型の美術に限ったものではないはずです。
ところで、同時進行で「人間のかたち」に取り組んできていたのですが、もともと震災前からいろいろと、衣服や靴などを拾うものですから、いつか人間の身体をテーマに、復元をすることもあるんだろうなという覚悟はしていました。震災後にトラックとか舟を復元しまして、αMの時は、「山」というか、とにかく上方に持ち上がるかたちで、床シリーズはギャラリイKで。その他拾ってきた部屋の欠片で、いろんな部屋を復元しようっていうのを試みたんですけど、それはたくさん揃わなかったんで、まだ実現していないんですけど。そうした流れで、いよいよこれまで拾ってきていた人の衣服とかを、やるならいっぺんに見せようということで、少しずつ作りためてきていたんですけどね。急にこのあいだ、東京芸術大学で震災をテーマにした展覧会をやるということで、ある程度まとめて出すことができたわけです。めずらしく真正面から震災をテーマにした展覧会なので、それなら許してもらえるかなあということで、遠慮なく人間のかたちのものでそろえることにしました。
人間だとやっぱりトラックなどとは、やってて何か違うなぁというのはたしかに感じて、道具とか物じゃないんで、言ってみれば「ナマもの」というか自然物なわけで、創作物としての物的存在とのギャップが大きいことに今さらながら実感しました。人間のかたちをあつかいながらも、生きてるわけでは絶対ないんで…。なんて言ったらいいのかな…、どうやっても「偽物」にしかならないですね。そういうことで、ちょっと難しさを感じたりですね。だからなのかしだいしだいに、生身の身体を再生するというよりは、現物としてある「衣服」の再生というニュアンスで、衣服の欠片をたよりに、物を物で再生していって、その延長線上で、その衣服の中身であるはずの生身の存在というかその不在を、間接的に浮上させていくという感じになってきています。人体の作品はもう少し続ける予定です。いろんな部分とか、いろんなポーズとか、いろんなスタイルとか、震災と関係ないものとか、とにかく各地に漂流している様々な人の面影の痕跡を、全部まとめて同時に並べたいなというのがあります。
もともと「修復」っていうのを、学生の頃に始めた時に、最初にやったのは人間の絵を修復するっていうもので、あの頃は自分で焼いてそれを再生するっていうのをやっていたんですけども、ある意味原点に戻っているのかなっていうのがあります。逆に言うと、純粋な抽象画っていうのは全然描いたことがなくて、つねに何かのかたちとか、何かの像を巡って修復とか破壊とかやってきたのかなあと思います。今回は、最初にやったころの(1997年)、拾ってきた写真雑誌の切れ端を復元したやつなんかも一緒に展示してみたんですけど、タイトルを見ないとほとんど違いがわからないですね。20年ぐらい差があるんですけど…。人間というのは立ち上がるので縦型のものが並びます。今回は、タンスではなくてテーブルを用いて、あえて寝てるやつを組み合わせてみたんですけど、端的に寝てると死んだみたいな感じがつきまとうようです。また、人間を箪笥で再生すると、中が空洞ですし、クローゼットというのはもともと服を入れるものなので、人間の身体のサイズになってるんですよね。だから棺桶みたいな感じがしてきて、やはり震災後の感じ方で変わったのはそういうところかなというのがあります。
福住:今、棺桶という話がありましたが、ぼくはその作品を見たときに、棺桶の中から人が勢いよくグワッと起き上がってくるようなイメージを感じました。というのも、今回の作品では手足が強調されていたように見えたからです。あの床に寝かせられた箪笥の作品でいえば、あの中から長靴を履いた人がむくりと起き上がってくるような気がしてならない。手足は人間が人間であることの根拠ですし、ものをつくるには手足を動かすことが欠かせないですよね。だから青野さんの視線が物に注がれていることにちがいはないのだけれど、それが行き着く先は物の向こう側にある人間であり、その隠された人間の姿をまさぐりだそうとしているように思えたんです。
ただおもしろいのは、青野さんが探り出している人間は、ぼくらが想定しているような「人間」とは限らないという点です。たびたび指摘されていることですが、青野さんの「修復」は元々の形態を100%復元するわけではありません。「修復」といえば「修復」なんだけれど、「修復」された物は元のイメージとの差異やズレをどうしても含まざるを得ない。もし100%完全に復元しているだけであれば、作品としてはそれほどおもしろいわけではないと思います。そのような差異やズレが認められるからこそ、ぼくらはそこに青野さんが何かを探し出そうとした痕跡や面影を見出すことができるんです。だから今回の作品で青野さんがつかもうとした人間は、東日本大震災の経験があるにせよ、決して311以前の人間像というわけではない。それは、311以後の、現在の日本社会にふさわしい新たな人間像だと思うんです。そのかたちは明確な輪郭線で描き出すことができるわけではないのだけれど、物と物を組み合わせたり、欠落を充填したりすることで、青野さんがどうにかして立ち上げようとした、その手つきによって辛うじて感知することができる。でも、輪郭は茫漠としているかもしれないけれど、青野さんの手の意志はたしかに感じ取ることができる、そういう人間像にこそ今日的なリアリティがあるように思いました。
青野:なるほど、そういうところがあるのかもしれません。ありがとうございます。
関本:今回の作品というか、青野さんの2013年からの話ですけれど、収拾物で復元していく作業自体は変わらないけれど、その収拾したものが震災後、変わったということで、文脈が変わったということを最初の頃は強く意識してやられていたと思うんですけど、最近の青野さんの作品を観ていると、どちらかというとそれよりも、もっと震災へ、その収拾したものという意味をより深く考えて、修復していくことに覚悟を決めたというか、意識して取り組んでいるように思うんですけど、その辺は変わったというか、変わってないのかもしれないですけど、どうなんですか。
青野:そうですね。必然的に震災を踏まえつつ新たにこれから生きていこうとする意識なり、ありようが、なんとか立ちあがらせようとしてできてくるかたちに、重なってきているのではないかと思えます。
関本:だから先ほど福住さんがおっしゃった、青野さんが何かその、意識しているのかという、観てる側として、福住さんもそういうものを感じたのかなという…。
福住:諸星大二郎の『壁男』*4という漫画はご存じですか?
青野:タイトルは覚えてないんですけど。
福住:じつは、今回の棺桶みたいな作品を観た時に、「あ、これ、壁男っぽいな」と思ったんです。箪笥のような造形物に埋め込まれた衣服は、壁の中に埋没した壁男の気配を感じさせたからです。壁男というのは壁の中で暮らしている人間のことで、もちろんフィクションですが、壁の中から部屋の住人たちの暮らしを観察しているという存在なんです。人間だから肉体を持っているんだけれど、訓練さえ積めば、壁と壁とのあいだを自由に行き来できる。住人の暮らしに飽きたり、住人が引っ越してしまったりしたら、別の壁に飛ぶこともできるんです。だから肉体を持ちつつも、視線という機能だけ突出した、いわば純粋意識のような存在です。人間に近いけれども人間そのものではなく、ある人間の特徴を押し広げた怪物的な存在ともいえるかもしれません。安部公房の『箱男』*5もそうでしたが、壁男は明らかに「見る」ための視線に特化した近代的な自意識のメタファーとして考えられます。ただ、『壁男』は建築や都市に寄生しているという点で、『箱男』以上に、青野さんの作品と近いような気がするんです。
*4諸星大二郎『壁男』双葉文庫、2007年 *5安部公房『箱男』新潮文庫、2005年
青野:覚えてます。諸星大二郎は兄が全部そろえていて昔から家にあるんですけど、だいぶ前から似てるって言われたりして、嫌だなっていう感じもあるんですけど(笑)。たしかに、何か別の家具とか、何かすでにあるもののかたちを借りてじゃないと存在できないんだけども、たしかに何か存在している存在みたいな…。もう一回読み直してみたいと思います。諸星大二郎はいろいろおもしろいですよね。
福住:『壁男』がおもしろいのは、ある住人の中に「見られている」という意識が芽生えるところなんです。大半の人は全然気がつかないんだけど、その存在を感知したとたん、次第に「見られている」ことの恐怖心と好奇心が膨らんでいき、もう押しとどめることができない。その欲望に打ち負けた女性が、やがて自ら壁の中の世界に没入していくという物語でした。神という超越的な存在の支配から解放された近代人は、あくまでも「見る主体」としてふるまうことで、その孤独の不安に耐えてきましたが、壁男という不可視の存在によって「見られる」ことを経験すると、あたかも神のように人類を全体的な視点から「見る」欲望を禁じ得なくなってしまう。「見る主体」と「見られる客体」の極薄の境界線を問いかける傑作だと思います。青野さんの作品に話を戻すと、ぼくらは箪笥のような作品を物質として見ているんだけれど、じつは箪笥の向こう側の世界の誰かからぼくら自身が見られているんじゃないかという瞬間がある。そういうイメージが生まれるところが、たまらなくおもしろい。
びっくりしたのは、会場の一角に、青野さんが学生時代の課題として撮影した恐山の写真が置いてあったことです。というのも、恐山とは、まさしくそういう「見られる」感覚を体験させる文化装置だからです。つまり、自分の眼には亡くなった近しい人の姿が見えるわけではないけれど、もしかしたらあの世からはこの世を見ているかもしれない。イタコの口寄せは、より直接的ですが、その力に頼らずとも、あの場所にたたずむだけで、そういう「見られている」感覚を味わうことはできる。だからこそ今も多くの人たちが、大切な人に「見られる」ことを期待して、あの霊山を訪ねているんでしょう。自分からは見えないけど、自分は見られているかもしれない。あるいは、見られていることを意識している自分自身を見ているのかもしれませんが、いずれにせよ、そういう心の対話というか、やりとりは、青野さんの作品につながっているような気がしたんです。
青野:ありがとうございます。福住さんは、いちばん大事なところをすぱっと語っていただける方だなと思っていまして、そう言われてみれば…、今回最初から恐山を思い出してやっていたわけじゃないんですが…。とにかく震災後5年くらいが経つと、仙台ですとだいぶ復興して、被災物とかなんにも無くなっちゃって、「震災遺構」を残すか残さないかとかいろいろありますけど、話がずれちゃいますけど、5年しか経ってないんですけども、もうすでに、波がここまで来たのかっていうのが信じられない状態で…。震災遺構のようなものがなくなったらもっと信じられなくなる世代が来て、記録には残ってるけど、「あまりにも現実離れしてぴんと来ない」っていう感じに必ずなると思うんですけど。そういう残ってるものがどんどんなくなってきて、拾った欠片と多分それを使ってた人とか、それがあった空間が今ないっていうことと、事実として欠片がちっぽけだけどもたしかに在るということと、そういう事実としての在ることとないことが同時に浮かんできて、とにかく今確実なことはそれしかないなっていうことで、作品もそういう事実に立脚しようとしています。人のかたちは作ってるんですけども、その服を着ていた人は今、じっさいはここにはいないということは確実で、だけど絶対いたっていうことも事実で、ですからいたっていうことと今居ないっていうことを同時に、同じ場所で見えてくればなっていうのがあって。
それは、賽の河原の体験とちょっとつながってくるなっていうのがあって、あそこ(恐山)も広くてどこに死んだ人がいるのかがわかるような場所ではないんですけど、きっとここに来てるとか、そこに行くと会えるという、神話ですよね。それがあって、拠り所をそれぞれの人が作って、一応あまりにも広いんで、拠り所に向かって会話するみたいなのところがあるのかなぁと思います。ですから、ちっぽけな残った欠片というか遺品を通して、今は無い物(亡き者)と会話するみたいな体験として復元行為が重なってくるところがあるように思います。そのへんがやはり作品のキモだったのかなというふうに思っております。そういうことって、震災の遺品じゃなくても、つねにそういう要素があるんですね。震災とは関係のない行方不明のどういういきさつかわからない靴が落ちてたとして、それを通して、結局そういう見えないここにいないものと、ここにあるものとの対話が生まれていくわけで、そういうことからすれば、漂流物全般に通じるところなので、時空的にもうちょっと広がっていければなぁと思っております。
それとまた別に、今回学生時の恐山のアルバムを持ってきた理由は、その亡き(無き)存在と対話する「拠り所」のつくられかたと、このあいだの藝大での展示がどこかで繋がっているように思われたからでした。身のまわりのものを寄せ集めてとりあえずの代用的な対象物とし、そこに遺留品やそれを想起させる手ぬぐいや衣類を巻きつけたり羽織らせたりして、各自それぞれの祈りの対象に見立てていく感じや、それらが乱立していく様子が、自分の人型の復元のしかたと共通点があるのがわかってきて、久しぶりに昔の資料を持ち出してあらためて再確認してみようと思ったわけです。
関本:今日は福住さんが来てから、昼間青野さんのアトリエに行って、青野さんのアトリエに行ったことのある方はご存知だと思いますが、いろいろ民芸品などがあって、福住さんもこれを見てから青野さんの作品の見方がちょっと変わったかもみたいなことを言っていたように思うんですけど、その辺はたとえばどのあたりかということと、どういうふうに見えたのかということをお聞かせください。
福住:ものすごくおもしろかったんです。奇天烈な仮面とか面妖な糸づり人形とか、無名の人びとがつくった世界中の民芸品とか土産物が大量に展示されていて、しかも、それらは必ずしも青野さんの作品に直接的に反映されているわけではない。あれは、ジャンルでいうと工芸品というわけじゃないですよね。
青野:ジャンルは一言では言えないですね。
福住:ぼくは前々から「限界芸術」をテーマに批評を書いたり展覧会を企画したりしているんですが、それは、端的に言えば、美術家という特殊な才能と技術、素養をもった人びととは対照的に、素人やアマチュア、あるいは非専門的な市井の人びとによる創作や身ぶりを芸術としてとらえ返そうという考え方です。近い考え方としては、たとえばアウトサイダー・アートやアール・ブリュットがありますが、ようは、現代美術という中心だけではなく、その周縁の外の世界にも眼を向けてみようという批判的な提案なんですね。なぜなら現代美術とはコンテンポラリー・アート、つまり同時代の美術を意味しているわけですが、同時代というのであれば、現代美術という狭い業界内だけでなく、この世の中のありとあらゆる造形や身ぶりを視野に収めなければならない。そうでなければ、可能なかぎり多くの人びとが共有しうる、ほんとうの意味での普遍的な価値なんか生まれるわけがない。だから、美術館や画廊という美術の制度だけでなく、それらのあいだをつなぐ路上や界隈にも積極的に眼を向け、そこで行われているさまざまな表現活動を観察してきたんです。
だからといって、現代美術の王道を無視しているわけではありません。東京を中心にしてはいますが、なるべく美術館の企画展は見るようにしていますし、今では美術評論家も美術館の学芸員もほとんど通わなくなってしまった銀座・京橋エリアの貸画廊街も毎週見るようにしています。つまり双眼的な視点で現代美術の同時代を観察してきたわけですが、ぼくの整理では青野さんは完全に現代美術の中心に位置づけられる美術家だったんです。この同じ時代に生きている優れた美術家として正当に評価されるべきだし、美術評論家を名乗っている以上、率先して評価しなければならない、と。ところが、あのアトリエを拝見したときに、その図式が一気に揺るがされた。あれ、もしかしたら青野さんのなかには現代美術的な世界だけではなく、限界芸術的な世界も広がっているんじゃないかという気がしたんですね。
ただ、冷静になって考え直してみれば、それは必ずしも特殊な例外というわけではないのかもしれません。青野さんにかぎらず、あらゆるアーティストには、そういう二面性があるとも考えられるからです。青野さんが盛んに集めているのは、資本主義の波にもまれながらも辛うじて高い造形性を保っているものばかりですが、ものをつくる美術家であれば、どんな作品をつくるにせよ、ああいう造形に関心と共感を寄せないわけがない。そこには造形をめぐる本質的な問題が立ち現れているからです。表面的には見えにくいかもしれないし、ああいうかたちでまとめてコレクションすることもないかもしれないけれど、青野さんのアトリエは美術家の内側に現代美術と限界芸術の境界線が走っていることを如実に物語る空間だと思いました。しかも、その境界線は国境線のように明快に意味を峻別するような強靱なものではないような気がします。むしろ表裏一体というか、何かのきっかけで一方が他方に反転してしまうような薄弱なものにすぎない。言い換えれば、現代美術とアウトサイダー・アートなり限界芸術なりは、それぞれ異なるものとして区別されているけれど、じつは本質的には大差ないのではないか。限界芸術と現代美術とを同時に視野に収めながら美術や造形について考えを深めるほど、そんな気がしてならないんです。そんなときに青野さんのアトリエにお邪魔したら、青野さんの中にその極薄の境界線が走っているというイメージに直面した。ほんとうに衝撃的でした*6。
*6このアトリエ訪問の後日、『美術手帖』のアウトサイダー・アート特集で青野さんのアトリエを取材させていただいた(『美術手帖』2017年2月号)。
青野:そう言っていただいて大変恐縮です。
福住:もしかしたら青野さんにとってはひじょうに迷惑な話かもしれないけれど、お客さんが青野さんのアトリエに訪問して、あの場所で青野さんの作品を鑑賞するツアーを企画したらおもしろくなるだろうなと思いました。美術館や画廊をもとにした美術を「見る」制度は、特定の土地に建てられた施設の中に作品を置いて、そこに鑑賞者を集めて作品を鑑賞させるという作法を一貫させていますが、そもそもものづくりの現場から作品を引きはがして移動させることが余儀なくされるから、本来的に備わっていたはずの風土や歴史、時間は失われざるを得ない。ホワイトキューブはまさしくそうして作品を脱色するための装置だった。けれども、鑑賞者からしてみれば、どこに行っても同じように見える作品なんかよりも、各地でそれぞれ異なるように見える作品のほうがおもしろいに決まっているし、日本全国で芸術祭が盛んになっていることからもわかるように、そもそもいまや見たいのは作品なんかよりも、その先にある風土や歴史だったりする。そうすると当然、現在の美術館制度には飽き足らなくなってくるわけです。
たとえばクシノテラスの櫛野展正さんは、最近とくにツアー企画をたくさん仕掛けているんです。展覧会は展覧会でやるんだけれど、それだけではなく、表現者たちのアトリエなり住居なりにみんなで訪問する。そこで彼らの話を聞きながらものづくりや表現活動について鑑賞したり対話したりするんです。それはもはや美術館という特権的な空間を前提にした「鑑賞」ではないのかもしれないけれど、美術館では体験できない生々しいリアリティで出会うことができる機会であることはまちがいない。部分的ではあるにせよ、そのようなやり方で美術の既存の制度をつくりかえようとする動きが現にあるんですね。そうしたなか、たとえば青野さんのアトリエであの世界コレクションを見ながら青野さんの作品を見るという経験は、たんに美術館で作品を鑑賞するという経験には回収できない質が残ると思うんです。具体的に言い換えれば、先ほど触れた現代美術と限界芸術という極薄の境界線をまざまざと感じられる機会になるにちがいない。
青野:ありがとうございます。わりと不評なアトリエで、ぼくが勉強してた頃の潮流としては、フォーマリズム絵画っていう、友だちはみんなそういう感じで、絵具以外の物、絵具とキャンバス以外のものは邪道でしょ、キッチュでしょ、どうせ、とか言ってくるので…(笑)。言ってもどうせわからないので、モノもあんまり見たことない人が多いので、実際の「ブツ」を自分で確保してですね、見せるしかないような感じで、そういう自衛的な…、もちろんそれだけではないんですけど、そういうところで証拠を集めるっていうんですかね。あとは、だんだんそういうものが、世界からなくなってきていて、海外を周ってると美術があるところ(つまり欧米)というのは、だいたい、工芸品とか民芸品は、伝統工芸品でしか生き残ってなくて、逆にいわゆる民衆の造形物的なものがまだ残ってるところは、美術とかはほとんど見かけないというか、旧植民地だったりということですけど。急速にそれが、資本主義化していき、物が商品開発されますと、どんどん物は駄目になって、さらにそれを察知しない人が大半なんですよね、不思議と。それでとにかく今、良さそうなものは可能な限り義務的に確保してという感じで、それでああなってまして…。
福住:あえてお聞きたしたいんですけど、そのようにして収集することは、作品として「直す」ことと関係ないんですか?
青野:それは…、直接的にはあまり関係はないでしょうかね。最初、自然物とそういう人間が作った造形物と美術の三本立てで進めていくはずだったんですけど、こんなに長く「修復」っていうのをやることになるとは思わなくて…。修復も、美術としてというよりは身近な行為として新たな意義を見出そうとしていました。今度、考古学関係の展示に出品させてもらう予定なんですが、考古学的な修復っていうイメージもあまりなくて、どっちかというと道路の修復とか家のメンテナンスとか、心の中の認識の刷新というんですかね。「関本さんは思ってたよりこんな人だった」とか日々修復していて、人間は無から新たなものを作ろうとするより以前に、まずそういう日々の修復とかメンテナンスをしないと生きていけない生物だということで、ちょっとその西欧近現代美術とちょっと違うところの表現、修復は表現とは単純に言えませんけれども、最初はそういうところでつながってたんですけどね。とはいうものの、最近、人間のかたちを作るようになって、あらためていろいろと別なレベルで関係を感じはじめています。元々本来は人間とかお面とか作るのが、趣味としてはいちばん、あまり言いたくはないんですけど、好きなんですよね、お面作りとか(笑)。それは美術から切り離してたんですけど。今は人体にしても顔は作ってないんですけど、いずれは顔も作ることになってくるのかもしれません。
福住:おもしろいですね。なぜ、こういうことをお尋ねしたかというと、青野さんが世界中の民芸品を買い集めていることは、もしかしたらフォーマリズムに偏重していた現代美術のある種の欠損を埋め合わせることになっているんじゃないかという気がしたからなんです。いかにも批評家的な深読みで恐縮ですが(笑)。
青野:そうですね。そういう要素は基本的にあると思います。
福住:キッチュという言葉が出たので、キッチュといえば美術評論家の石子順造ですね。石子さんは「キッチュ論」というひじょうに難解な批評を書いていますが*8、その動機のひとつとして挙げているのが、じつは鶴見俊輔さんの「限界芸術論」なんです。石子さんは鶴見さんの限界芸術という問題提起にたいして近代的な表現概念を批判的に検討するという文脈で高く評価するんですが、一方でそれが「芸術」という言葉を採用しているところに文句をつけているんです。「芸術」と名乗ることで逆に近代の重力に呪縛されているんじゃないか、であれば、むしろ「キッチュ」という意味不明なカタカナを使用するほうが近代批判としては理にかなっているんじゃないかと言うんです。ぼくの知るかぎり、鶴見さんの限界芸術を正面から受け止めたのは石子順造ただひとりです。その石子さんがたびたび使っている言葉があるんです。それが「意味の幅と厚み」。これを石子さんはほんとによく使っています。そうとう気に入っていたんでしょうね。ただ、それが正確に何を意味しているのかは、わかるようでわかりにくい。文脈から察すると、そういう「キッチュ」という軽佻浮薄な言葉の中に、じつは豊かな意味や価値がある種の重量を伴って折り畳まれている。その隠された広がりを石子さんは「意味の幅と厚み」という言葉で指し示そうとしていたんじゃないか。ぼくは、青野さんのアトリエにお邪魔させたもらったときに、「ここに意味の幅と厚みがあるじゃん!」って、うれしくなったんです。青野さんの作品とはかけ離れているかもしれないけれど、しかし、あの無名の職人たちによる創作物の世界が青野さんの創作活動の底に広がっていることがたしかに理解できたからです。それは、青野さんにとっての「意味の幅と厚み」というしかないですよね。
*8石子順造「キッチュ論」、『石子順造著作集第一巻』喇嘛舎、1986年
青野:そうなんですよね。当時よく読まれてたグリーンバーグっていう人は、「キッチュ」ってやっぱり悪い言葉として使ってますよね*9。石子さんは、たぶん日本ではあまり馴染じゃなかったその言葉を使ってある一定のインパクトはあったと思ったんですけど、キッチュじゃなく別の言葉の方がいいんじゃないかなって気はしました。いわゆる語源的な「キッチュ」というものの特徴があるわけですよね。比率がおかしくなったりとか、大量生産するためにとか、売れるように媚びを売ってとか。でも、前近代的な民衆の造形物民芸品をあらためて見た時に、とても「キッチュ」とは思えないものが多くて、ある種の芸術性があるというように思いまして、「キッチュ」って言ってほしくないなって思いましたね。
*9クレメント・グリーンバーグ「アヴァンギャルドとキッチュ」、『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳、勁草書房、2005年
福住:もちろん、買う買わないという判断を決定するには、青野さんの審美眼が大きく働いているんですよね。
青野:あるんですね。それと、その値段とタイミングと。その時の荷物の状況と。海外だとその持ってくる状況とかあってですね。それで、「あの時なんで買わなかったんだ」とか思いますけど。でも、ほんとうに高級なものはないので、これらはいずれどうなっちゃうんだろうっていうのはあります。
福住:なるほど。多少なりとも青野さんがそれらを救出しているような一面もあるんですね。「美術」からも「博物」からも、あまつさえ「民芸」からもこぼれ落ちしてしまう造形は、高い造形性を誇っているにもかかわらず、何も手を施さないと歴史から消え去ってしまう。青野さんのアトリエを拝見したとき、ある種の「驚異の部屋」のように見えたんですが、合点がいきました。
それに関連して、もう一点、「民俗学」についてお尋ねしたいんです。というのも、民俗学もまた、近代化によって失われていく文化を「民俗」と命名することで学問的な対象として相対化するものだからです。さらに、どういうわけか最近、現代美術の中で民俗学的な関心がひじょうに強くなっているような気がします。もちろん特定の宗教に由来しているわけではないにせよ、信ずるに足る神様のような表象を含んだ作品とか、あるいは何かしらの救いを作品の中で表現する作品とか、地域社会の中で行われているアートプロジェクトにしても、近代社会の都市化という論理によって打ち壊されてしまった共同体の紐帯をアートの力でもう一度立ち上げようとしているように見えて仕方がない。現代美術は基本的に都市文化を背景に成立していますから民俗文化とは基本的に相性がよくないんですが、どうも最近の現代美術は逆に民俗文化のほうに接近しつつあるように見えます。
青野さんの作品も、すべてとは言わないにせよ、ある程度は現代美術の中の民俗学的文脈によって理解することができると思います。ギャラリイKの個展のときも、「つくも神」という民俗学的なキーワードで作品を読み取りました。それは、長い時間をかけて用いられた生活用具の中には、それぞれ神様が宿っているという考え方です。古来の霊信仰においては、自然の中の一木一草に神が宿ると考えられていたわけですが、神様は何も自然の中だけにいるわけではない。むしろ人間が人間のためにつくりだした人工物の中にすら神様を見出すことができる。こうした「つくも神」の考え方によれば、青野さんの作品には神様が宿っているとみなすことができる。青野さんの作品はいずれもうち捨てられた廃物が青野さんの手によって修復されることで、新たな生命として再生されたように見えるからです。じっさい、座卓を修復した作品は、まるで手足が生えて動き出していくようなイメージがありました。
ここからはぼくの勝手な仮説ですが、そもそも現代美術は民俗文化の喪失と入れ替わりに日本社会の中に導入されたような気がするんです。「美術」という概念が明治時代に西洋社会から輸入されたように、「現代美術」も20世紀になって西洋から導入されたわけですが、当時の日本社会はちょうど都市化していく過程にあって、そのなかで失われていく民俗文化を学問的な対象として発見したのが柳田国男だったわけです。つまり現代美術が都市文化を背景にしながら日本社会の中に広がっていったとすれば、民俗学はまさしく都市化していく社会の中で失われていった庶民の文化を民俗として位置づけ直した。双方は、ちょうど表裏一体の関係として同時進行していたのではないか。そんな気がしてならないんです。だから日本の現代美術が生活という裏づけを欠いているという批判がかねてからありますが、それはある意味で当然なんです。何しろその基盤としていた都市社会は日本の中では誕生したばかりの新しい文化だったわけですから。社会の歴史も文化の構造も十分に成熟していないところに現代美術が導入されたのだから、それは必然的に生活からかけ離れた非歴史的なものにならざるを得ない。
先ほどちらっと出てきたフォーマリズムという思想が現代美術の中で大きな影響力を誇ることができたのも、現代美術そのものが本来的に生活に根づいたものではなかったからだと思います。だからこそ、色とかかたちとか、絵画の構成要素をある種の純粋性として取り出すことができた。それぞれ固有の生活に根づいていれば、必然的に暮らしの色に拭いがたく染められているわけですから、それらを純粋性として賞揚するなんてできるわけがない。現在、そういうフォーマリズムのような考え方はある程度相対化され、一昔前のような神通力はもはや通用しなくなったことは否定できない事実です。とはいえ美大の中ではしぶとく生き残っている部分もあるので、やっかいといえばやっかいなのですが(笑)。それにしてもフォーマリズムに代わって、今まさに民俗学的な関心が現代美術の中で立ち上がっているとすれば、それはおそらく、かつての庶民が民俗文化に期待していたものを現代美術というかたちを借りて表現しているということなんじゃないか。日常生活の中で繰り返される祈りとか、あるいは住みやすく生きやすい共同体を再生する欲望とか、そういう現代人の心情を、現代美術が受け皿になって具体的に物質化しつつある。それが顕著な現象として観察可能になったのが、311以後のアートの大きな特徴だったと思います。
こういう話をすると、必ず現代美術プロパーの人たちは過剰に、というかむしろヒステリックに反論してくるんです。なんで自分たちが捨ててきた田舎の文化をわざわざ現代美術の中で再生しなくちゃいけないんだって。そういう人はたいてい地方の田舎出身で、それが決して悪いわけではないんですが、彼らにとって現代美術はあくまでも都会的で洗練されておしゃれでかっこいいものであってほしいんでしょう。だから田舎の家の土間の匂いなんて思い出したくもない、忌まわしい記憶なんです(笑)。ただ、現代美術がそのような都市社会を基盤に成立していることは事実だとしても、だとすればそれは本来的に非歴史的なものですから、つまり明確な根拠があるわけではない。であれば、社会における現代美術の位置や役割は時代に応じて変化してもまったくおかしくない。むしろ、そのポジションがいつまでも変わらないと考えるほうが不自然です。これまでは都会的で洗練されたものだったかもしれないけれど、これからは各地の民俗文化に密着したものになるかもしれない。たとえ都市社会の中に住んでいたとしても、庶民の心の奥底に隠された民俗学的な関心をすくい上げる媒体として、現代美術は位置づけ直されているように思います。
ぼくが青野さんの作品を民俗学的な文脈によって評価したいのは、それが決して都市社会を批判したり、地域の民俗文化を賞揚したりしているわけではないからです。以前青野さんはおっしゃっていましたが、青野さんが生まれ育ったのはニュータウンで、決して田舎の農家で暮らした記憶があるわけではない。ぼくも東京のマンモス団地で育ったので、祭りにせよ冠婚葬祭にせよ、民俗的な年中行事の経験はまったくありません。まともに農業をやった経験すらない。つまり土臭く泥臭い記憶はまったく共有していないにもかかわらず、あるいはだからこそというべきか、そういうアーティストが民俗的な特徴のある作品を制作し、そういう鑑賞者が民俗学的な文脈でその作品を解釈し受容しているというのが、おもしろいんです。つまり意識的か無意識的かはともかく、今現代人は現代美術の中に民俗文化を求めている。やや大げさに言い換えれば、ここ数年の現代美術では、「民俗学的転回」*という事態が起こっているんじゃないか。
*10『美術手帖』2017年12月号
青野:そうですね。そう思いますね。たしかに、戦後すぐの世代は、逆にモダン、要するに自分の先生世代ですよね、モダンアートとか、抽象画、アクリルとか使う人が多いんですけど、今はもう定年とかなんですけど、こっちがそういう民俗学とか興味がある素振りをすると、対抗してなのかですね、自分が青年期、蛇を捕まえて裂いて、弁当のおかずにして食べてたとか、弁当を開けると蛇の切り身が米の上に並んでいて、それを食べていた話とか、「それ見たくないなあ」っていう話をがんがん言ってくるんですよ(笑)。でも描いてる絵はひじょうにモダンな抽象画で、そのギャップはなんなのかなとは思いますね。かえって不自然な感じがしてまして、そういう意味では、現在ではわりと、いわゆるオタクカルチャーなんかでは、そういう和風というか、そういう趣向が必ずどこかに入っていたりというということで、そういう意味では喋りやすくなったなぁという感じがあります。90年代といいますと、潮流としては真面目なところでは、フォーマリズムとかモダニズム的志向はいまだに健在で、一方であるところからは馬鹿にされつつも村上隆とかが出てきてた時代で、その辺から今に至っているんでしょうね。
福住:村上隆さんは「スーパーフラット」によってアニメやマンガの表象を現代美術に導入した美術家としての評価が定着していますが、それは事実だとしても、その真意は決してそういう表層的な水準にとどまらないんじゃないかという気がします。というのも、村上さんはここ数年盛んに日本美術を参照した作品を制作していますよね。それは、もしかしたら日本美術というコンテンツが欧米の美術市場で受容されやすいという戦略の現われなのかもしれませんが、注意したいのは、その中に妖怪とか神獣とか民俗学的な図像がたくさん含まれていることです。つまり表象としてはアニメ・マンガ的なんだけれど、それらによって何を描いているかというと、じつは民俗文化なんです。「スーパーフラット」という言葉があまりにもキャッチーだったせいか、西洋由来の現代美術にたいする日本側からのアンサーという側面ばかりが強調されていますが、じつは「スーパーフラット」以後、村上さんの視線の焦点はむしろ民俗文化のほうに当てられている。その先に欧米のアートシーンを見通して、ある種のセルフ・オリエンタリズムを演じているのかもしれませんが、かりにそうだとしても、民俗文化にたいする現代人の欲望をうまく回収するような仕掛けをつくっている点は、従来とは別の議論として検討しなければならないと思いますね。
青野:なるほど、そうですね。
関本:そろそろ時間が一時間ですね。あと、青野さんのアトリエ、行ったことある人結構いるんじゃないですかね。あれ、いないですか。けっこうおもしろいのでぜひ見に行っていただければと思います。ぼくが青野さんの、アトリエもそうなんですけど、青野さんのホームページに結構いろいろ批評も書いてるので、その中でいろいろ修復の話とか限界芸術の話とかもされてるんですよね。
青野:結構憂さ晴らしで、卒論も同時に書かなければいけなくて、その流れで、まあ「若気の至り」という感じで、なんとなく鬱な感じの時とかに、文章を書いて、手書き時代のものが溜まって、少しずつデジタル化しつつアップされてる感じですね。もとよりつくり手なので恥ずかしいかぎりなのですが、世の中あまりにも盲点が多く、あまりにもあまりなので、やむなくやらざるを得ないという感じで一部公開しています。
関本:先週、恐山の話とかして、青野さんが深い関心を持って、作品を作るとかっていうことを、まぁさっき福住さんも言ったように「限界芸術」のようなものに、青野さんが興味を持たれているという、前から知っていたんですけど。先週その話をゆっくり、大学生の時ですよね、聞いてよりいっそう…。
青野:そうなんですよね。思い出してきました。その当時は、岡本太郎の最晩年のころでわりと馬鹿にされてた時代で、偶然古本屋で『神秘日本』*11というのを見て、かなり真面目に読んでですね、それと同じところを辿ってみようという…。それもあって、恐山とか川倉地蔵堂とか行ったりしたんですけど、時代が違うのでかなりギャップがあったんですけども。ぼくにとっては、岡本太郎は文化人類学の素養がある方としてあり、昨今の、否定する身振り、インパクトのある言動など、そういうところばっかりクローズアップされて、じつは書かれてる内容はかなり真摯な文化人類学的洞察が多くの量を占めていて、そこはわりとすっ飛ばされてる感じがあって、そこはファンの一人としては忸怩たる思いがあります。ただ岡本太郎が50年代にああいうものも、縄文も含めて取り上げたんですけども、ぼくは今思うともの派やその後の日本現代美術的なものを経た上で見てるので、また見え方とか捉え方が違って、たぶんそういうことでいろいろ考えたことなんかを、ちょっとメモしたりしてたんですよね。石子順造とかも図書館で読んだりしてたんですよね。石子さんの場合はもの派と同時代なんで、ある意味クロスして、石に対するあれとか興味深く見てるんですけども…。まあ、また現在の視点からあらためて、民俗のかたちっていうのはまた違って見えてくるんじゃないかなというので、関心を持っています。
*11岡本太郎『神秘日本』角川ソフィア文庫、2015年
〈休憩〉
関本:では、再開させていただきます。質疑と言ったんですけど、まず僕から福住さんにお聞きしたいこともあるので、そちらから先にお聞きしたいと思います。仙台や東北には何度か来たことがあるということで、東北の印象というか、文化の印象というか、少しお聞かせいただきたいのですけど。
福住:先ほど青野さんのアトリエを拝見した話に触れましたが、とくにおもしろかったのは、青野さんが世界各地で買い集めてきた土産物や民芸品の中に、青野さん自身が制作した作品もあわせて展示していたことなんです。木の塊を削り出したり、墨で顔の表情を描いたり、ジャンルとしては、いわゆる彫刻作品なんでしょうが、もっと荒削りで原始的なイメージを強く感じさせるものばかりでした。そのとき、ふと円空仏のことを思い出したんです。青野さんご自身は、とくに神様とか仏様を意識して彫り出しているわけではないのかもしれませんが、その素っ気ない素振りは、まさしく円空仏そのものだったからです。ご存じの方も多いでしょうが、円空は江戸時代の僧侶で、全国を旅する遊行僧でした。おもに東日本の寒村を訪ね歩きながら、各地でお世話になった人たちに一宿一飯のお礼として現地の木を彫ってつくった仏様をあげていたらしい。それが現在残されている円空仏です。だいたい5000体くらい現存しているんですが、円空自身は生涯で12万体の仏像をつくりことを発願していたようです。円空仏は木材を荒く削り出すだけで、漆とか金泥で着色しているわけでもなく、ひじょうにシンプルなものです。同じような仏像をつくった僧侶に木喰がいますが、融通無碍な仏像という点では、円空仏のほうが明らかに際立っている。
何年か前に、「スラムダンク」とか「バガボンド」を描いている漫画家の井上雄彦さんと一緒に全国の円空仏を訪ねるという取材をしたことがあって*12、そのとき青森と北海道に来たことがあるんです。円空の生まれは美濃国なので現在の岐阜県ですが、修行の一環で東北を抜けて北海道に渡り、山中の洞窟にこもって悟りを開いたと言われています。あの荒々しい円空仏の様式は、この北海道の旅の後に完成されたと言われているんですね。だから円空にとっては東北と北海道の旅はかなり大きな経験だったにちがいない。では円空がどこを訪ね歩いたかというと、記録がいくつか残されているんですが、そのルートを現在の地図と見比べながらたどってみると、ほとんどが貧しい寒村なんです。京都や大阪、あるいは九州といった稲作が盛んで比較的豊かな土地にはほとんどと言っていいほど足を伸ばしていない。つまり円空は、日々の生活に苦しんでいる貧しい人たちの元を率先して訪ねていたんです。そもそもなぜ蝦夷を目指したのかというと、炭鉱に身を隠しながら暮らしていた隠れキリシタンたちに会いに行ったのではないかという説があるくらいです。それほど庶民の苦しみや悲しみに正面から向き合っていた僧侶だったんですね。
*12井上雄彦『円空を旅する』美術出版社、2015年
だから円空仏を保存しているのは、もちろん博物館とか寺社仏閣もなくはないんですが、むしろ地域の集会所とか公民館のようなところが多いんです。一般のご家庭が持っている場合も少なくないようです。そういう集会所を訪ねると、地元のおばあちゃんたちがお茶を飲みながら世間話をするような居心地のいい空間の正面に円空仏が置いてある。よく見ると、鼻がもげていたり、顔が黒ずんでいたり、つまりみんなが祈りを込めながら触った痕跡が残されているわけです。文字どおり、地元の人びとの祈りを一身に浴びながら、暮らしに密着している仏像だということがよくわかりました。そういう仏像をありようを目撃できたことは、僕にとって大きな衝撃だったんです。というのも、こういう円空仏は、博物館や美術館で展示されている美的鑑賞の対象としての仏像とも、寺社仏閣で礼拝の対象として祀られている仏像とも、ぜんぜんちがっていたからです。それは、たしかに拝まれてはいるんだけれど、お寺のような上下関係ではなく、庶民と並列の関係にある。第一、美術館や博物館の規範から言えば、仏像の一部が欠損していたり手垢にまみれて黒ずんでいるなんて事態はあってはならないわけですよね。ミュージアムは何よりもまず造形をていねいに保存することによって、その価値を未来に残していくことが使命として課せられているわけですから。だからこそ美術館や博物館で展示された円空仏は、ほとんどの場合、ガラスケース越しに鑑賞することを余儀なくされるし、近づいて触ることがないようロープで結界が張られている。でも集会所の円空仏は、まさしく欠損や黒ずみがあることが庶民の必要を満たしていることの証拠になっていました。そのときに痛感したのは、人間が作り出した造形が人間の日々の暮らしでこれほど必要とされることがありうるんだということでした。それは、ミュージアムとか寺社仏閣にある造形とは180度異なる造形のありようで、芸術や美術とは直接関係ないのかもしれないけれど、造形のありようとしては、ある意味幸福なんじゃないかと思ったんですね。現代美術は民俗文化に背を向けた結果、もしかしたらこういう幸福な造形を失ってしまったんじゃないか。もし今後軌道修正ができるとしたら、こういう方向性を理想として目指すべきなんじゃないかとすら思いました。
関本:青野さんはいかがですか。今の話を聞いて。
青野:時間のない中、わざわざお連れできてほんとうに良かったです。ああいう雑多なものは結局見てもらうしかないので、道中長かったですけど。あと、張り子とかも作ったんですけど、ニーズがなくて、よく脳裏に浮かぶのは、ゴーギャンが本業の絵が売れないんで焼き物をして売りに出そうとしたら、それも気持ち悪がられて売れなくて、というエピソードが、よく脳裏に浮かんできて…。
福住:でも、円空もそうだったみたいですよ。大事にされることもあったけど、無下に扱われることもあった。子どもの水遊びの道具にされたり、風呂の薪として燃やされてしまったり。造形としては円空自身が彫り出したものにちがいはないけれど、その使われ方とか価値のありようは、その土地々々で異なっていた。美術館は普遍的な価値を標榜しなくちゃならないから「これが価値あるものです」って断言せざるを得ないのでしょうが、価値のありようは本来的には、土地の風土や習慣、文化に大きく規定されているはずなんですよね。「日本」という国が、じつはさまざまな郷土の寄せ集めであるように。円空仏はそのことを教えてくれました。
関本:じつはここにもあるんですよ。青野さんが作ってくれた釜神様。
青野:前はここにあったのが、なぜ今はこっちの物陰に…?(笑)。
関本:釜神なので窯に近い方がいいかなと。だいたいみんな時計と間違って見てびっくりするという…。大体時計に間違われるんです。これのおかげでうちもぎりぎり6年続いているという。
青野:最近、釜神がけっこう人気なのか、売り物としていろいろなところで売ってるのを見かけますね(宮城、岩手のみですが)。昔は全然そうじゃなかったんですよ。違ってきてるのかなって感じますね。
美術って、モノを使うので、わざわざ見に行かないといけなかったりっていう、わりと現代においてはすごいアナログな世界なんですけども、逆にそれが強みになっていくのかなっていう感じはしてますね。とはいえ各地であるアートイベントとは食い違ってる感はあるんですけど、インスタレーションとかも本来はそういうものを求めていたはずなのかもしれないですけど、本当にそこの土地で生きた仏像に匹敵するようなアート作品を、わざわざ見に行って感動する、というのはなかなかないですよね。
関本:では時間なので、会場から質問などありましたら、福住さん、青野さんどちらへでもいいですけど。
質問者A:松村と申します。前までの作ったものって、壊れちゃったものとか壊されちゃったものが、それぞれの記憶というか、記憶喪失になっちゃったというか、混乱してたりとかして、これが少しずつ、こうだったかもしれない、みたいな感じで、手さぐりに、自分からなのか、それかそこに青野さんの思いが入っていって修復されていきつつこうなっちゃったというような、で、それが何かと何かがくっついてしまったとか、新しいそこに何かかたちが出てくるような感じがあって、で、それが今回、人が出てくると、すごく意識的に人の記憶そのものみたいな、ばーんと定着しているような感じがして、しかももっと壁画のような、洞窟の中の壁画のような、なんとなく最初はただの凹凸だったりとか、模様だったりとかかもしれないなって思いつつ、それが実は人の形だったり動物のかたちだったり、要はこれまで青野さんが作っていたモノとモノの修復されたものが、キャンバスであって、要は自然の洞窟のキャンバスのようなものになっていて、そこに人のかたちが記憶として定着されたような、そんな気がしたんですね。それで、先ほどずっと人の記憶をもう一回思い出させたいというか、そういう思いがずっとあったというようなことがちょっと出ていたと思うんですけど、あえて今、そういう気持ちが出てきたというところをもう一回お話いただければなと思います。
青野:どうもありがとうございます。壁画とか結構好きでよく見る(図版でですが)と、ラスコーの壁画とかも凹凸をうまく使ってビゾンの姿にしたりとか、まったく平らなものじゃなくてある意味「磨崖仏」的要素があったりして、原初的なものづくりの例として興味深く思っています。ぼくの場合、支持体になるのが家具とか身の回りの人工物なので、大自然に刻むというのとは真逆なんですけど、別な現在的な意味合いが浮き上がってくればいいなということもあって、身近なものをかき集めています。ですから、恐山のイメージが甦ったのもそこにあって、全然プロの人じゃなくて技術もお金もない人が何かやろうという時に、身近な物をかき集めて、山を作ったり、そういう感じとちょっとダブってですね、家にある家具とか、最初は家にある物を使っていたんですけれども、それを積み上げたりして、とりあえずの支持体にするみたいなことなんですけども。ですから、刻むのが車であっても、何か別なかたちであっても、ある意味人間が使っていたもの、自分の家にあったものとか、つねに人間を巡っての所作だったので、逆に言うと、別にそんなに人間のかたちにこだわらなくてもいいのかもしません。
でもぼくの場合やっぱり、拾った物を直すというのは、作家がコントロールできないというか、当初の予定ではなんでも偶然出遭ったものを復元していこうとしていたので、当然人間っぽい形のものも出てくるわけです。逆に乗り物とか家とか家具とかの復元があるのに、人間だけがないのはどこかおかしいようにも思っておりました。という感じで人体に当初すごい思い入れがあったというほどのわけでもなかったので、やりながらですかね、じわじわと、これはいつもとなんか違うな。死体に見えてきたなとか。じっさいただの流出物かもしれないんで、かなりファンタジーの領域なんですけど。それが着てた人が亡くなったっていう可能性はかなり低いはずなんですけども、いろいろなものが投影されてきて、作りながら自分で思いが発展していった、で、また作り方も方向は変わっていったりそのままだったりという感じなのかなぁと…。ただ、そもそもの人体のフォルム自体が、キュービックでニュートラルなトラックや船等と違うのは大きい様に思います。手が二本、足が二本飛び出ているわけですし、しかもどういうわけなのか、どうしても、復元の発端になる収拾物−衣服やズボンや靴などの断片が、ある特有のインパクトを持っているようで、露出しがちで…。均衡をとるためにも、後づけ部分にもある程度明確なフォルムが要請されてくるのだと思います。だから、身体の一部が突出しないように、ある程度、明確な形態/身体的フォルムを表示しなければならなくなるということはあると思います。
ところで、こういうことばかり述べると、人体の復元をするのは震災とあまり関係がないように思われてしまうかもしれませんが、もちろんそういうことはなくて、それをこの展覧会場でシリーズとして、人のかたちばかり複数選択して並べるという時に、やっぱり意識がかなり働いていました。消えていった多くの人々、多くの物、多くの街、多くの景色への思いがベースにあるわけです。現在残されている雑多な欠片をたよりにして、消えてしまった者/物たちが、この場に浮かびあがってくるような特別な場にしたかった。小さな事実をひとつひとつ、一体一体積み上げていって、全体として、見失いがちな大きな事実を浮かび上がらせようとする感じでしょうか。ただ、こうした人体の復元は、震災以前からの制作上の流れがある上でのことなので、震災を契機にして突然人型が出てきたわけではないということなのです。あと、人のかたちの立体をやってより感じるのは(絵画の方出身だったものですから意識していなかったんですけど)、彫刻イコール原点に人体という歴史があるんだなというのがあって、自然に人間を使うと彫刻の歴史がフィードバックされて、その連なりと重なって、違いだったりつながりだったりを感じるんですけども、そういうところが新鮮だなと思いつつやってまして、話の主旨が変わってしまいましたけど…。
福住:質問の主旨とは違うかもしれませんけれど、青野さんが拾い集めてきた物と物を組み合わせて作品として仕立て上げるとき、それらの物と物には必ず記憶が内蔵されているわけですよね。ただ青野さんは、その記憶を忠実に修復しているわけではないと思うんです。言い換えれば、それらの記憶とは「無関係」にピックアップして、ある意味で「無責任」に融合している。これは決して青野さんを批判しているわけではないのですが、アーティストの態度ないしは倫理として、十分ありうることだと思います。
これに関連して、ひとつ思い出したのは、今年の冬に目黒区美術館でやった「気仙沼と、東日本大震災の記録」という展覧会です*13。気仙沼のリアスアーク美術館が震災後におこなった被災調査をまとめた常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」を紹介するものでした。特徴的だったのは、じっさいの被災物を展示しているのですが、それらのキャプションをあえてフィクションとして文字化していることでした。読むと、そこに土地の言葉が書かれているのですが、それらは必ずしもすべて事実と照応しているわけではない。しかし、被災物にまつわる物語はたしかに伝わってくる。そういう展示の仕方は賛否両論あったようです。でも、企画者がひとつひとつの被災物と向き合うことである種の物語を紡ぎ出し、それが鑑賞者の想像力を被災物や震災という大きな出来事に差し向ける契機になったことの意味は決して小さくない。とくに東京のような直接被災していない場所で、震災の出来事を伝える展覧会を企画する際には有効な方法だったんじゃないかと思うんです。
*13「気仙沼と、東日本大震災の記憶」、2016年2月13日〜3月21日、目黒区美術館。また、同展については拙稿も参照。
ただ、青野さんの方法論はそれともちょっと違う。どちらが良いとか悪いとかの話ではないんですが、青野さんはひとつひとつの被災物に向き合うというより、むしろあえてその内側の記憶には踏み込まないよう、自分で自分を律しているように見えるんです。被災物に想像力を差し向けていないわけではないのでしょうが、それらを融合させて作品として立ち上げるときに、それらの記憶には介入しないという態度を、ある種の倫理観として示しているような気がするんです。
たとえば越後妻有とか瀬戸内とか、最近、地方芸術祭が各地で流行っていますが、よくあるのが廃屋の中で失われた記憶に思いを馳せるみたいな作品ですよね。ほとんどそういう作品ばっかりで、正直、食傷気味なんですが(笑)。そこで重視されるのが、リサーチです。作品を制作するにあたって、まず、その廃屋にどんな家族が住んでいて、どんな職業で、地域社会の中でどういう家族だったのか。つまり土地の文化や歴史、風俗を調査するわけです。今やリサーチは作品の制作過程において不可欠なものになっているといってもいい。でも、よくよく考えてみれば、リサーチとはいえ、その調査の質と量は、たとえば社会学者や文化人類学者、それこそ民俗学者の調査研究とは比べものにならないわけですよね。あえていえば、アーティストのリサーチなんてたかがしれているわけです。ただ学術的な観点からアーティストのリサーチを批判しても意味がない。なぜならアーティストのリサーチはあくまでも作品を制作するという目的を達成するために行われているわけであって、社会科学に貢献するためのものではないからです。アーティストのリサーチに学術的な厳密性を求めることはナンセンスです。そしてなにより、リサーチの意味は、そのアーティストの態度が結果的に作品の中に現れることにあると思うんです。彼ないしは彼女が、その地域のどんなところに着目して、どのようにアプローチして、どんなふうに作品として表現したのか。リサーチをしなければ、そういう態度は決して作品の中に色濃く出ない。
青野:そうなんですよね。記憶っていうもの…。じっさいのものというか、ナマのものを扱うと、必ず、文脈とか誰かの記憶とかが入ってはいるんですけども、かといって、それがすべてではないんですよね、モノって。捉えられない部分のレベルがあって…。ですから当然、モノのリアリティ、ぼくが感じてるリアリティとか、拾ったもの自体がそれ自身として立ち上がってくる瞬間というのは、記憶ももちろん一緒にそこには入ってるんですけど、それに集約されるものでは決してなくて、人間の記憶が届かないところとか曖昧な領域も含めての総体なんですね。読み解け通じ合える部分の記憶と、通じ合えない他者的な記憶、新たに接することでいやおうなく読み込むこまれ更新されてしまう新しい記憶、同時に人間の記憶とはまったく無関係な未知なる領域、厳然とした物質の領域、そういう多面的なものが同居して関係しあって揺らいでいるというのが「存在」のリアリティ—としてあるように感じています。通じ合い共有できる記憶があることによって、逆にはじめて通じ合えない記憶や、その外側の領域が浮かんでくるように思います。それぞれの領域はつねに等価であるべきなのかもしれません。「なおす」というスタンスで、作家的コントロールを回避しようとしてきたのは、つまるところそういうことなのかもしれませんね。そういうことからすると、ひとつの目的へむけられた作品づくりのための「材料」としてのアプローチを回避しようとするのと同じように、いわゆるリサーチ型の、たとえばある種のテーマにおける記憶の掘り起こしを第一目的としたようなアプローチとは、そもそも違うように思います。
関本:ぼくの記憶違いだったらあれなんですけど、青野さんは人のかたちの作品を最近作っているじゃないですか。昔も作ってたけど、なんかしっくりこなかったから一時期やらないでおいたみたいなことを話した記憶があったようなないような。ぼくの記憶違いかもしれないですけど。
青野:最初は、人間の絵を破壊と再生で変容させたりしようとしていたんですが、社会不安とか不条理とか家族崩壊とかいろいろ別な意味で捉えられたりして、修復がテーマだったのに違う方になって、うまくいかないなっていうことで、人というモチーフをちょっと遠ざけてきたところはあるんです。まわりまわって、今はわりとすんなり、人間が出て、もしかすると震災っていうのもあるんですけどね。ただ震災のものかわからないものも混ざっているんです。ただの流出物もあるので。結局、考えると、人間って本質的にはみんな行方不明だったり、どうせ死ぬわけですよね。結局何もかも広義の「流出物」「漂流物」にすぎないとも言えるように思います。それで、タイトルに、ゴーギャンの絵にある「何処から来て、何処へ行くのか」(「何者で」はないんですが)とつけることにしました。ということで、広く人間の運命みたいな感じで、拾った物に感情移入したんですかね。以前はしっくりこなかったんだけど、まわりまわってしっくりくるようになった感じがします。
関本:記憶違いじゃなかったということですね。
質問者B:那須と申します。今の話とかぶってるかと思うのですが、1996年だったか、霊山(りょうぜん)という福島の町でやった野外展で青野さんの人体の作品を観たことがありまして、遠くから見て、自分の作品の近くに人が倒れてるなという風に見てまして、うつぶせに倒れている作品だったかなと思うんですけど、今回また人体の作品が出てきたんで、それをちょっと思い出してたんですけど、ただ、その時の文脈っていうのと今のとで違うなと思うのは、先ほども出た話だと思うんですけども、一言でいうと**のようなもの。拾得物の中から出てきた人の痕跡であったり、影のようなものとして、人のかたちが浮かび上がってきて、ひとつの**になる。たしかにそこに人があったという確証はあるんだけども、今現在そこにはいないという不在、があるかと思うんですけども、相当前の話なので、難しいかもしれませんが、そのあたりの比較を詳しくお話いただけたらと思います。
青野:福島の霊山(りょうぜん)というところに、「物置小屋」というギャラリーがあったんですよね。で、突発的にそこでしかできないことを、脈絡なくやってみようかと、若気の至りで作った感じです。死体っぽい、自分の服か何か…。その頃は落ちているモノを復元するというのをはじめるちょっと前だったんですけど…。当時から、落ちている存在の在り方というか、展示場にセットされたものではない、インスタレーションとも違う、本当に落ちているというか漂流している、無縁なもののありように興味があったんですね。社会的な意味合いから抜けた存在の方に惹かれてたんでしょうね。それは修復、拾った物を直すこととどこかクロスして、別な方面からアプローチするという感じなんでしょうかね。まぁ、なんとなくやっていたという感じですかね。
質問者C:千石です。青野さんの作品は何回か見せてもらっていて、今日また新しいものを見せて頂いて、以前も言ったことかもしれませんが、青野さんのものを観ていると、あの世が見えるというんでしょうかね。他界観があってっていうんですかね。あの世が見えるっていう感じがします。そのことを、前の方に「あの世」というのはあるんですけど、後ろの方に引っ張っていくと、生まれる以前が見えるっていうんでしょうか。未生の世界が見えるという感じがします。そのことは、なんでだろうとお話聞きながら思ってたんですが、なおすとか修復するというのは、今日ぼくが聞いてて、「妻合わせる」っていうことじゃないのかなぁって思って聞いていたんですね。結婚させるというんでしょうか、妻合わせるので、その未生の世界の幻想が生まれてきたのかなぁと思ったことと、他界観があるというのは誰もが青野さんの作品を観て言うと思うんですね。今日はその未生感が感じられて、それゆえに人体が現れてきているというふうな感も致しました。その人体はしかし、未生のところから出てるので、顔が無い目が無い状態ですね。ここまでは質問ではなくて、今日の質問はそこに飾ってある一番大きい作品のぐるーっと裏にまわると鏡があるんですが、あれはなんでですか。ぎょっとするというか、にたっとするというか、両方なんですけど。鏡は無い方がいいんじゃないか、作者に向かってこんなこと言うのは僭越なんですけど。これはものの考え方の実験的な考えをしてみると、そういう言い方を許していただきたいということで言っているに過ぎないので、仮説的に考えた場合、そういう僭越な言い方になってしまうんですが、ちょっとそこをお許しいただいて、ない方がいいじゃないかという言い方で何が言いたいかというと、裏へ回ってまさか鏡が出てくるとは思わなかったということですね。しかし鏡が出てくるというのは、福住さんもおっしゃったような土着的な、あるいは民俗学的な、あるいは文化人類学的な世界観とは正反対のものだと思うんですね。むしろデカルト的な世界が突然ばっと出てくるという。それでぎょっとしたというんですかね。そういうアンバランスというんでしょうか、土着の回復、文化人類学の回復、神秘日本の回復ということを凝らすようなものがあって良かった、というような、そういうことなんですけど、それはいかがでしょうか。
青野:あれははじめからあったんですよね。クローゼットをわざわざ使っているので、なるべくその元の状態をうまく繋げたいなというのはあって、何個か鏡のあるやつを作ってはいるんですけど、あれは近距離すぎますかね。もうちょっと遠くから見るともっと違って見えるはずではあるんですけど。あれだと裏側に回った時に自分が突然見えるんで、覚めますよね。それはなんだろうな、みたいな感じで。まぁ、もしかするとない方がいいですかね、取りますかね…、迷います(笑)。自分の生活の中の物を素材にして、拾ってきたものを復元するっていうのがまずあるものですから、自分の服とか自分が見えることとかっていうのは、それもいいかなぁみたいなのがあったんですけど…。彫刻のかたちによって鏡が生きる時と、ひじょうに露出しちゃうときとかがありまして、いろいろ考えるんですけども、よく考えてみたいと思います。クローゼットを使うときに、よくリサイクルショップから買ってくるんですけど、最初にアトリエで開けたときの匂いっていうんですか、その家の匂いっていうか、あれがすごい嫌で、うちの中にそういうの持ち込みたくないなあっていうのがあるんですけど、逆にそれが作品が進んでいくと、そういう要素をなるべく残したいなって欲求に変わってくるんでしょうかね。
福住:今の千石さんの質問とかぶるかもしれないですが、芸大の展示のときも正面左手の作品にのぞき穴があって、そこを覗くと内側にミニチュアみたいなものが見えました。
青野:あれもまず最初に鏡があったんで、光の加減で見えたり見えなかったりするので、もうちょっと確実に見えるようにということで、たくさん鏡を貼って悪ノリして万華鏡状にして、中を覗くと別な世界みたいなものがある様な感じにしてみようという…。津波で流された身内の写真とかいろいろ入れたりしたんですけども…、箪笥を使っていろいろ並べると中身が全部空洞なので、中身が機能する覗けるパターンを混ぜたかったというのもあったり…。そもそも当初は外側と関係していたんですね。両側左右の外側に、拾った靴からのびた座る人間のシルエットがあり、中央からタンスの中身を覗くと、タンスの中に正面を見てる人がいるっていうのはどうかなぁみたいなので進んでいきながら、結局人体ではなく、内的空間としての特殊なスペースになっていった感じです。
関本:時間ちょっと過ぎてしまったので、この辺で終わりたいと思います。今日は福住さん、青野さんありがとうございました。
初出:「タナラン通信-アート遊々-」vol.1 2017年8月
日時:2016年9月17日(土)18:30-20:30
会場:Gallery TURNAROUND
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