70歳後半になる父が、病院の検査に引っかかり精密検査を 行ったところ癌が発見されたとのことだった。 その知らせを兄弟LINEで受け取った時、ショックを受けたが 悲しみは無かった。 そして、一日もしたら心は平穏に戻った。 生みの親より育ての親 そんな言葉もある。 自分は養子に出された訳ではないが、、 血縁関係よりも、どれだけ愛情をそそいでくれたかが強いのだと実感している。自分はぶっちゃけ、父に対して大した思い入れが無いのかもしれない。 志 自分が中学生の時に、祖父が
仕事上、数ヶ月に一度発生するオペレーションがあるのだが、何回やっても覚えられない。 理由は、そのオペレーションの中身の仕組みがわかっていないからだった。 額面の手順をなぞるだけでは、頭に定着しなかったのである。 原理原則を学ぶのは楽しい。 原理原則を学ぶのは知的好奇心が刺激されて楽しい。 一方、旧来型の受験勉強のように、ただ知識を暗記させられるような学習はしんどい。 学生時代、勉強が楽しいと思える瞬間があまりなかったな思うのはこれが原因だったな。 原理原則は応用が効く
ふと、犬と散歩していると、仕事のことがどうでも良いと思える瞬間がある。 自分の仕事がITなんて虚業だからかもしれながが。。 本来、仕事と犬の散歩を比較すること自体がおかしいのだが、そう感じるのである。 犬と散歩していると、不安や心配ごとが霧散する。 太陽の光を浴び、風に吹かれ、鮮やかな四季の移ろいを感じる。 つまり、生きていることを実感できるのである。 そうか、これがまさに 「地に足をつける」 ということかもしれない。 宮崎アニメの中でラピュタが一番好きなのだが、ヒロイ
かの有名なユダヤ人の教えである。 私はもう一つ、情熱(passion )てのもあると感じている。 内なるいのちの炎が情熱というものではないか。 会社をクビになっても、 大切な人と別れても、 年老いて体力が無くなっても、 自分の中に情熱があれば生きていけるのである。
ギブアンドテイクという言葉、誰でも知っているが、等価交換のイメージで捉えている方が多いのではないか。 私は最近気がついたのだが、大切なのはこの言葉の語順ではないかと思う。 「与える。」そうすれば、「与えられる。」ととらえるとすんなりくる。 多くの場合、Takeが先行してしまう。 ・神社に行って自分の願望ばかり願っていないだろうか? ・会社の給与が上がらないと嘆いていないだろうか? ・旦那が家事をしてくれないと愚痴を言っていないだろうか? 順番が逆だから叶わない。 あなた
先日、とある人材会社が主催するAIセミナーに参加した。 テーマは「システム開発にChatGPTはつかえるか?」だった。 参加してみてびっくりしたのが、スピーカーの方が70代ぐらいの風貌は仙人のようなベテランエンジニアの方だったことだ。 AIとの会話を楽しむうちに、システム開発にAIを取り込むようになり大きな成果を上げることができるようになったとのこと。 そのノウハウの一部を紹介してくれた。 ポイントとしては ・現時点ではAIでは大規模なシステム開発は出来ないが細かい粒度
最近、希林さんの言葉が好きである。 確かに、「楽しむ」というのは遊園地に行って楽しむような受け身な感じもする。 「面白がる」には主体的な想像力、ユーモア、遊び心が必要なのである。 そういえば、幕末の志士、高杉晋作も 「面白きこともなき世をおもしろく」 という名言を残している。 楽しむを超えて、面白い日々を生きていこう。
相変わらず「頑張る」という言葉が嫌いである。 SNSでも「頑張れ」という奴は胡散臭く感じてしまう。 自分のビジネスに引き込んで搾取したいだけじゃないの? ものも情報も溢れる令和の時代、頑張らなくても生きていける。 誰かのために「頑張る」のは辞めて、 自分のために「整えよう」。 自分が心地よい環境を整えよう。 自分が心地よい人間関係を整えよう。 自分が心地よい身体を整えよう。 そうすれば、自然と人生は良い方向に流れ出す。 Be clearである。
ITエンジニアとして、ChatGPTを使い自分なり使ってみてAI時代の到来を予見したり、不安になったりしたのだが、ホリエモンがAI時代に関して語る動画をみてなるほどと思った。 「インターネットと同様に、社会に浸透するにはそれなりに時間がかかる。」 なるほど、テクノロジーがどれだけ早いスピードで進化しようともそれを使う人間は一足飛びには変わらないし、レイトマジョリティとも足並みが揃わないと社会的には変わっていかない。 本質的に人間は、変わりづらいのである。 実際に、私の
人生に迷う時、人生の選択を迫られた時、 よくSteve jobsのスタンフォード大学卒業式でのスピーチを思い出していた。 3つのストーリーで構成されるスピーチは彼の人生の体験談から得られた教訓で語られる。 「Connecting the dots」 直感と好奇心に従うこと 「Love and loss」 自分が愛することをみつけること 「Death」 死を想えば、自分の心に素直に生きられること 3つのストーリーは、彼の人生の体験談なので、一つの流れの中にあるのは当
「割れ目を流れていく水のようであれ。自己主張せず、対象に合わせれば、それを回避したり、通過したりする方法が見つかるはず。己の中に強張りがなければ、本質は自ずと明らかになる。」 「心を空にするんだ、水のように型をなくせ。コップに水を入れれば、それはコップになる。ボトルに水を入れれば、ボトルになる。ティーポットに水を入れれば、それはティーポットになる。 そして、自在に動くことも、打ち砕くことも可能になる。 友よ、水になれ。」 「流れる水は決して腐らない、だから流れ続けるんだ。
早朝の犬との散歩、色々なことを考える。 驚異的に進歩するAIが業界を斡旋している。 自分の仕事はいつまでできるのだろう。 どうすれば、生き残る事ができるのだろうか。 そんな事を考えていた。 草むらに捨てられたアイスのパッケージ、昨日、遊んでた子供たち放置して行ったのかな?と思って回収すると離れたベンチのところにももう一つ、吸い殻とともに捨ててあった。 「なんだ、大人なのか。。」 急速に変わりゆく世界、コントロール出来ない他者。 民度の低い大人達に怒りを抱く自分というのも
コンビニやスーパーでバイトしたことがある方なら分かると思うが、「前出し」という作業がある。 消費期限が古いものから前面に出して、陳列の見た目を整える作業である。 買い物をしていると、わざわざ商品をほじくり返して少しでも賞味期限が長いものを買おうとする人がいる。 どの商品を買おうが自由だが、残念な気持ちになる。 「自分さえ良ければよい」 という気持ちが透けてみえるからだ。 成熟した人間というのはものごと執着が少ないように見える。 日本の武芸・芸能でも使われる型、「守破離」
一つの会社の中にいると分かりづらいのだが、独立して様々な人と関わってみると人には能力の差があるのだと感じる。 会社というのはある意味、同じレベルの均一化された能力が集められた集団なので、その中に長年閉じ込められていると分かりづらい。 「人の能力に大差はない。」と耳にすることがあり、以前は納得していたのだが今は肌感覚で違うかなと思っている。人の能力はかなりバラつきがあり多様性がある。 このあたりの話を変に突き詰めていくと、境界知能とか優生思想とかセンシティブな話になるのだ
プロ格闘技選手の北岡悟選手が好きである。 入場シーンは完全にイッてしまっている。 「MMA(総合格闘技)は僕のすべてです。」 と言い切る。 あとは、「どうでもよい」とバッサリ切り捨てる。 街中でファンに声をかけられても、 「違います」と切り抜ける。 自分がやりたいから総合格闘技やっている。 自分がやりたいからここにいる。 存在意義が明確である。 ここまで、自分の情熱にまっすぐで、シンプルな生き方を体現している人は他にいない。 かつてSteve Jobsは言った。