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【連載】#18 壁にぶち当たったとき、その壁にどう向き合うかで、その後の人生は変わる|唯一無二の「出張料理人」が説く「競わない生き方」
職業「店を持たない、出張料理人」、料理は出張先の素材を最大限に生かしたオンリーワンのレシピを考案して提供する――。本連載は、そんな唯一無二の出張料理人・小暮剛さんが、今までの人生で培ってきた経験や知恵から導き出した「競わない生き方」の思考法&実践法を提示。人生を歩むなかで、比べず、競わず、自由かつ創造的に生きていくためのヒントが得られる内容になっています。
※本連載は、毎週日曜日更新となります。
※当面の間、無料公開ですが、予告なしで有料記事になる場合がありますのでご了承ください。
2009年4月に出演させていただいた「情熱大陸」(MBS毎日放送/TBS東京放送)は、4分間のCMを除くと正味26分間のドキュメンタリーなのですが、その撮影にはなんと8カ月半を費やされます。8カ月半と言っても毎日ではなく、仕事が入っている日は必ず撮影スタッフさんに同行していただくというパターンなのですが、本当に丁寧かつプロフェッショナルな撮影でした。
そんな素晴らしいプロフェッショナルな番組制作スタッフの方々と一緒に撮影が進んだのですが、撮影中にまさかのパプニングに遭遇してしまったことがあります。実際に放送された中で言うと、番組中盤、南イタリア、シシリアの300年以上続く貴族のお城で料理させていただくシーンのときのことでした。
撮影当時の私は47歳でしたが、今から思えば若かったと言いますか、使命感に燃えていましたので、せっかく「情熱大陸」のカメラが入るわけだし、「南イタリアの食文化を変えてやろう」くらいの気持ちで、歯応えある野菜料理の前菜にチャレンジしたのです。
シシリアは、新鮮な野菜や果物、魚介類も豊富で、しかもヘルシーで上質なオリーブオイルがベースの料理が多いので、日本人の口にもすごく合うと思うのですが、1つだけ残念だなと思うことがありました。それは、前菜などに出てくる野菜料理がどれもクタクタに柔らかくて、目をつぶって食べたら、これがブロッコリーなのか、ズッキーニなのか、ほうれん草なのかわからないほど。野菜のおいしさは、ちょうどいい歯応えや見た目の美しさを含めてだと思うのです。これがフランス人やアメリカ人だと歯応えの重要性をわかっていただけるのですが、どうも南イタリアの皆さんには、その感覚がないのです。そこで、私はその価値観を南イタリアの方にお伝えできたらとの思いで臨んだ挑戦でした。
シシリアで1番大きい町パレルモには青空市場が3カ所にあり、カメラマンさんに同行していただき、そのすべてを回って、抱えきれないほどの新鮮な野菜を仕入れ、撮影前日のお城に向かいました。昼頃から仕込みを始めたのですが、野菜の下ごしらえは、皮をむいたり、歯応えよく茹でたり、さらに、その野菜に合う和風出汁でに含めたりと、本当に手間がかかり神経も使います。気がついたら夜が明け、徹夜していました。目は充血し、頭もフラフラで、思考能力はゼロという極限状態で、心配したディレクターさんが「少し仮眠してください」と言ってくださったのですが、気持ちが昂っていたこともあり、仮眠する気にならず、そのまま本番に突入しました。
前菜に使った野菜は15種類。そのすべてを歯応えと色良く仕上げ、丁寧に盛り付けて、コースディナーのスタートです。「さぁ、どうだ!」とばかりに気合いを入れてお出しした渾身の一皿でした。
ところが……。
「小暮さん、お料理がこんなに残されてますよ」というディレクターさんに言われたひと言で、事の重大さに気がつきました。たかだか8名様の料理をつくるために、地球の裏側から呼んでいただいたのに、半分以上の6名様に、ほぼ手付かずの状態で野菜料理が残されてしまったのです。
「えっ、マジか……!?」
もう頭の中は真っ白で最悪。極限のパニックです。でも、考えているヒマはありません。2品目を仕上げなければなりません。2品目の付け合わせにも、歯応え良く仕上げたブロッコリーを添える予定でしたが、これをお出ししたら、また大恥をかくことになる。
「どうしよう……」
でも、ここにあるのは、ソースに使う予定の上質な最高級のオリーブオイルだけ。気がついたら、普通じゃありえない掟破りですが、そのオリーブオイルでブロッコリーを素揚げして、柔らかくしていました。そうしてできあがった2品目を、ドキドキしながらお出ししたところ、皆さん、きれいに完食してくださいました。
そのままメインを含めて最後のデザートまで出し終えてから、私は勇気を振り絞って、お客様に
「なぜ、前菜を残されたのですか?」
とお聞きしました。
すると、
「あれは、生だ!」
とのご返事。
私は「なんでわかってくれないかな……」と泣きそうでしたが、そこは堪えて、お城からパレルモのホテルまで2時間かけて、何もない砂漠のような大草原を4輪駆動のジープで帰りました。
私は後部座席に座っていたのですが、あの無残に残されたシーンが走馬灯のように、頭の中でぐるぐる回り、もうどうしていいかわからなくなり、助手席に座っていた、私より年上の女性ディレクターさんに「すみません、車停めていただけますか?」とお願いし、日が暮れかかっている、冷たい北風が吹く大草原に降り立ちました。
そこで私がディレクターさんに「あのシーンを使いますか?」とお聞きしたところ、「はい、使いますよ」という回答。
「いや、絶対に困ります。私は料理のプロとして、あのシーンは耐えられないです。あんな間抜けなシーンが全国に流れたら、私はすべてを失います。どうしてもあのシーンを使うなら、私は番組を降ります」
とまで言いました。
すると、ディレクターさんは、
「ならば、番組制作のプロとして、言わせてもらいます。小暮さんは、料理を残されたあと、とっさの判断でブロッコリーを素揚げして、難局を乗り越えましたね。視聴者が感動するのは、そこなんですよ。成功事例だけ並べて、誰が感動しますか?」
その言葉を最初はにわかには受け入れられませんでしたが、一晩冷静に考えてみたところ、
「料理を少しかじったくらいの自分が南イタリアの食文化を変えてやろうなんて、自惚れも甚だしい。もっと謙虚にならなくてはいけない」
と反省し、翌朝、すべてをディレクターさんにお任せすることをお伝えしました。結局、放送後には「ブロッコリーを素揚げして困難を克服したシーンに感動した」という、視聴者様からのコメントをたくさんいただきました。
あなたも、仕事でもプライベートでも、壁だらけで八方塞がりの状態に陥ることがあるかもしれません。そんなときは深呼吸を2、3回したあと、謙虚になってみてください。
謙虚とは、自分を責めることでも、自己否定することでもありません。辞書で調べてみるとわかると思いますが、「自分を偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持ちがあること」です。
もちろん、自信は必要です。でも、その自信は、時として過剰になることがあります。今回お伝えしたエピソードで言えば、「自分が南イタリアの食文化を変えてやろう」という自惚れです。「南イタリアの方々が歯応えのある野菜は生と感じる」ということをろくに知らず、素直に学ぶ姿勢もなく、自分の勝手な驕りで、自分が考える価値観を一方的に押しつけてしまったわけです。ディレクターさんが指摘してくれた「失敗を隠し、成功事例だけの話には、人の心は動かない」という点も、当時の私に謙虚さがあれば、最初から気づいていたかもしれません。
南イタリアの方々の正直な感想、ディレクターさんの助言、これらは私を料理人としても人間としても成長させてくれたものです。この出来事に感謝しています。
もし、謙虚になる方法がわからなければ、まずはあらゆることに感謝の気持ちを持って「ありがとう」と言ってみてください。それは、人に対してでも出来事に対してでもOKです。その気持ちがあるかないかで、その壁があなたの今後の人生において、単なる嫌な思い出となるか、糧になるかが決まります。
【著者プロフィール】
小暮 剛(こぐれ・つよし)
出張料理人。料理研究家。オリーブオイルソムリエ。1961年、千葉県船橋市生まれ。明治学院大学経済学部卒業後、辻調理師専門学校を首席で卒業。渡仏し、リヨンの有名店「メール・ブラジエ」で修業。帰国後、「南部亭」「KIHACHI」「SELAN」にて研鑽を積み、1991年よりフリーの料理人として活動開始。以後、日本全国、海外95カ国以上で腕をふるう「出張料理人」として注目される。その土地の食材を豊富に使い、和洋テイストを融合させて、シンプルに素材の持ち味を生かす「小暮流料理マジック」に、国内のみならず世界中から注目が集めている。近年は、出張料理人として活躍しながら、地域食材を最大限に生かしたレシピ開発を通じた地方再生や、子どもたちの食育講座などを積極的に行なっている。また、日本におけるオリーブオイルの第一人者としても知られ、2005年には、オリーブオイルの本場・イタリア・シシリアで日本人初の「オリーブオイルソムリエ」の称号を授与している。その唯一無二の活躍ぶりは各メディアでも多く取り上げられており、TBS系「情熱大陸」「クレイジージャーニー」への出演歴も持つ。最終的な夢は、「食を通して世界平和を!」。
▼本連載「唯一無二の『出張料理人』が説く『競わない生き方』」は、下記のサイトで過去回から最新話まですべて読めます。