怒っていたアイツが正しかったのかもしれない
2024年12月10日(火)朝の6:00になりました。
どうも、高倉大希です。
小学生のころ、ドッジボールが大嫌いでした。
なぜなら、怒りはじめるヤツが必ずひとりはいるからです。
誰かが怒りはじめたせいで、ほかの誰かが萎縮して。
ほかの誰かが萎縮したせいで、またほかの誰かが怒りはじめて。
一体全体、これは誰のための何の時間なんだ?
ずっと、そう思っていました。
6年ほど続けていたサッカーを、高校ではやらないと決めた理由も同じでした。
とてもおもしろいスポーツなのに、絶対に怒るヤツがいるのです。
勝つために怒りが必要だというのなら、まだわからなくはないけれど。
怒ってプレーが荒くなっても、よいことなんてひとつたりともありゃしません。
それなのに、チームメイトも監督もみんなぷんすか怒ります。
怒りが生まれる団体競技に、嫌気がさしてしまったわけです。
どうやら、怒りたくて仕方がない人が一定数いるっぽい。
歳を重ねるにつれて、気づいたことのひとつです。
まったく理解はできないけれど、怒りたい人というのが間違いなく存在します。
ところが日常生活では、なかなか思い切って怒れる場面がありません。
怒りたいのに、怒れない。
そんな不満が、ストレスに繋がっているパターンも多いのだろうなと思うのです。
そう考えると、ドッジやサッカーは「怒ってもよい場」だったのかもしれません。
試合という形式の中で、怒りを発散させるわけです。
スポーツが、怒りの受け皿として機能しているのではないかという仮説です。
暴力ではなくスポーツで発散してもらった方が、間違いなく平和です。
いずれにせよ、怒りから離れるという選択は間違っていなかったと思います。
ただ団体競技においては、怒っていたアイツの方が正しかったのかもしれません。
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