PTSDを発症したけど……
14歳、私には絶望だけがあった。
自身の発達障害からの偏見から「自分は少年事件を犯した彼らと同じではないか」と強烈な恐怖感に駆られ、あの日から少年犯罪関連の本はほぼすべて読みつくした。
読むたびに吐き気がしてきた。
読んでいてちっとも面白くはなかった。
世界が反転する。世界が雪崩れ落ちていく。
ヘイトで満ちたその本やネット上の書き込みを見て、具合が悪くなり、少女だった私は撃墜された。
高校も何度も変わった。
閉鎖病棟で17歳の誕生日を迎えた。
東京大学の正門の前で起きた哀しい事件。
犯人の少年は「東大に行けないのならば、道連れにして死のうとした」と供述した。
かつてない事件に日本中が衝撃を受け、激震が走った。
私は皮肉なことに少年犯罪で悩んだからこそ、今、愛読している生涯で最愛の本に出会った。
アルチュールランボーの『地獄の季節』、小林秀雄の作品、三島由紀夫の『午後の曳航』、リルケの『マルテの手記』、ドストエフスキーの『地下室の手記』、ダンテの『神曲』、福永武彦の『草の花』など数えきれない古典に救われた。
少年犯罪を調べていくうちにその本の中で引用されていたから手に取った本だった。
三島由紀夫や福永武彦、小林秀雄は東京大学の出身であり、名だたる文豪だ。
学歴と無縁だった私でも、恩人のような文豪を育ててくださった東京大学には感謝しているし、叶うならば、私自身も学問を追及したかった。
そんな夢のようなところで凄惨な事件は起きた。
その少年とかつての少女だった私を比較してみる。
事件さえなければ、少年と私は雲泥の差の境遇だった。
学歴と無縁な私だが、唯一、東京大学と縁が一つだけある。
それは東京大学でいちばん読まれたという『思考の整理学』のエッセイ賞を受賞したことだ。
まさか、入選するとは思っていなかったので今でも夢のように感じている。
あの東京大学の正門の前で起きた事件は、私の中でも亀裂が走った。
東大の学生や卒業生にもこれからの受験生にも、PTSDを発症する人がいる可能性がある。
PTSDは一度発症すると、底を這うような苦しみが待っていると経験上で知っているから、この事件のせいで多くの人が苦しむとなると何か、しなければいけない、と思う。
この文章を書いた数か月後、安倍元総理大臣が凶弾に倒れた。
ああ、多くの政府関係者がPTSDになるだろう……と思うと胸が痛い。
あのPTSDや解離の苦しみは一筋縄ではいかないからだ。
複雑性PTSDの治療をしている私自身ができることは、最先端のトラウマ治療の『EMDR』を普及できるよう、この拙いエッセイを発信することくらいだ。
学歴だけが社会ではない、と口にするのは簡単だし、私自身が恵まれない環境下で苦労したから、学歴社会の厳しさも十分知っている。
ただ、『学び』は誰もが否定されるものではないし、人はどんな理由であっても他者を傷つけてはいけない。
人の命を奪う行為は絶対に許してはいけない。
大変な時代で、目を覆うような出来事がある世界、私は誰かの肩をそっと押せるような人になりたい。