記事一覧
ヤマガラ物語 従兄弟の話続き
今は手放してしまいましたが、従兄弟は軽井沢に別荘を持っていました。
そこで冬はバードフィーディングしていた時のこと
野鳥の中でもヤマガラは警戒心があまりなくて、我が家のフィーダーでも結構長く止まっていることもあります。
彼の別荘にも頻繁にやってくるようになったヤマガラ。それを自分の手からやってみたいと
なんと雪の日にベランダで気配を殺して3時間てのひらにひまわりの種を乗せること3日間やり続け、つい
福沢諭吉の精神を受け継ぐ孫として
30年ぶりに会った従兄弟の話の続き
我が家系の特性として
どうやら人が集まります。母が若かった頃も家にはいつもいろんな人が遊びに来ていたと聞きますし、私の子供の頃も親戚、友人など人を呼んでご馳走を食べる企画は折々にありました。
今、私もたくさんの友人と繋がり助けられていますが、従兄弟も交友関係は広く高校の同級生やゴルフ仲間、以前別荘のあった軽井沢での友人たちと間をあけずに「飲みに行ってる」と言い
加藤のファミリーヒストリー27
編集後記 2019年記
2018年突然に「加藤の墓じまいをする」という話が持ち上がりました。
お墓という不動産について私は漠然とした管理形態しかイメージしていなくて、将来誰もその管理費を払わなくなれば、無縁仏になって、そのうち将来死んだ誰かの為に明け渡すのだろうくらいにしか思っていませんでした。実際、それを管理していたのは母君枝で、それを自分が受け継ぐ実感などありません。
でもこの「墓じまい
加藤のファミリーヒストリー26 次の世代へ
2018年記
◯◯ちゃん結婚するのよ
◯◯ちゃんのところ赤ちゃん産まれたって
そんな報告を母から聞くだけで、時間はどんどん過ぎて行きました。
誰しも30代から40代の働き盛りは目の前のことで精一杯で親戚付き合いは後回しになるのではないでしょうか?
知らない間に新しい命はすくすくと成長し、自分は日々を生きるだけで、歳を重ねていることすら気づかないでいました。
それでもよく連絡をとる従姉妹はいて、
加藤のファミリーヒストリー25 小さいお姉ちゃん
「あんた、カメラ持って来てよ、イタリア料理おごるから」
母のお達しで今日は祖父母のお墓参り。母が子供のとき住み込みで働いていたお手伝いさんが、祖父母の墓参りをしたいとやってくると言うのです。
今を去ること65年前、貧しい農家に育った彼女の村では機織り(ハタオリ)が女の仕事。
村中の娘は機織り修行をしなければならなかったのですが、それがどうしてもやりたくなかった彼女は先に知り合いのつてで奉公にきてい
加藤のファミリーヒストリー24 尚文
祖母の死から2年後、長男尚文が愛妻幸枝の後を追うように亡くなります。
脳腫瘍が発見され、だんだんに家族のこともわからなくなっていきました。
のちに、特攻隊にいた時、上官からひどく殴られて一時期意識不明になったことがわかります。
当時彼の班にいた兵士が、本来ならば地元の人と交流してはいけないのに、交流したことがわかり、班長だった尚文も責任を問われて罰を受けたという経緯だったようですが、それほどとなる
加藤のファミリーヒストリー23 みつの死
尚文の長女真紀が結婚し、清から数えると4世代目が生まれます。そして登美子の長女陽子も結婚 。加藤ファミリーはその枝を広げながら賑やかに家族が増えていきました
みつにとってはひ孫。その顔を見られて良かったと思います。
祖母みつはとにかく器用でしたし、料理も上手でした。
戦時中は風呂敷から足袋を縫ったりしていたそうです。
料理は町田に来てからもずいぶんやってくれました。
一度、私がクリームコロッケを
加藤のファミリーヒストリー22 同居
祖父清が亡くなって、平井の家は処分することになり、祖母みつは’我が家へ来ることになりました。
その時の日記です
1978年8月31日
私の家なら昼間は誰もいないし、留守番になる
娘の家だから、お嫁さんみたいに気を使わなくていい。
私とパパは前々からおばあちゃんがうちにくることを主張している。
それが一番自然じゃないか?本音を言えば、私は家族が多い方が好きだし、
きっとそうなると思うけど
1
加藤のファミリーヒストリー21 清の死
1978年8月7日 清は85歳の生涯を終えました。
江戸川区平井の小さな家でその生涯を終えられたことは幸せだったと思います。
祖母も高齢。一人で看病するのも大変だったのだと思います。一つ、一つ、できていたことができなくなって、だんだんに衰えて亡くなりました。
まだ高校生だった私は、老いることにまったく無知だったし、人は皆こんな風に消えて行くのか?としか思わなかったけれど、現代の高齢者や支える家族の
加藤のファミリーヒストリー20 町田へ
1975年私が中学1年の夏 いよいよ身体が不自由になった清はみつとともに町田の我が家へやってきました。近所には尚文家もあるし、母君枝がいるから、今後のみつにかかる負担を減らせるだろうと、兄弟が話し合って決めたことだったと思います。
でも清本人は少し認知症もあったのか、平井の家から連れ出すだけで、柱にしがみついて抵抗したと聞いています。
たとえどんなに不自由になっても、「我が家」ほど安心な場所はない