見出し画像

加藤のファミリーヒストリー27

編集後記 2019年記

2018年突然に「加藤の墓じまいをする」という話が持ち上がりました。

お墓という不動産について私は漠然とした管理形態しかイメージしていなくて、将来誰もその管理費を払わなくなれば、無縁仏になって、そのうち将来死んだ誰かの為に明け渡すのだろうくらいにしか思っていませんでした。実際、それを管理していたのは母君枝で、それを自分が受け継ぐ実感などありません。

でもこの「墓じまい」という響きを聞いて、改めて人が墓を通して遺したいものはなんなのか?考えたときにそれは

記憶ではないか?

と思いつき、今生きている私の中にある加藤家の記憶をまとめておこうと決めました。そして、叔父や伯母、普段はあまり連絡を取っていない従兄弟にも連絡して、集められるだけの資料を集めてみると、想像通り登美子さんはかつての「加藤の兄弟新聞」や手紙の資料を送ってくださるし、同居していた祖母みつが保管していた写真も出てきました。

加藤家は書くのが好きな一族らしく、兄弟新聞を発行するアイデアもそれに同意して投稿する家族もまさに加藤のカラーなのでしょう。それぞれ本業でも「書くこと」に縁があり、今回集まった書物は膨大。その中から清氏の愛情と願いを込めて作った家族像が感じられる文を、私の独断で載せました。

そして、母から一つ一つ祖父母の話を聞いているうちにさらにその前の曽祖父の時代まで遡ると、明治維新→関東大震災→第二次世界大戦→60年安保闘争と加藤家を通して日本の歴史を辿ることになり、曽祖父や祖父たちが務めた東芝や沖電気が開発してきたものがまさにこの2019年に私がカチカチとクリックして情報を得る検索社会に繋がるという感動がありました。

この写真集は、加藤清が遺した家とはどんな家だったのか?その魂がそれぞれの中に遺されていることを感じてもらいたいと思って作りました。

墓は生きているものたちにとって家族と交信するアイテムです。それぞれの対し方があるでしょう。でも殊更に守ろうとしなくても、遺伝子は受け継がれていくもので、もし、この写真集を読んだ、私たちの子や孫たちが、自分の特技や生きる姿勢について、ああ、これはこの人から受け継がれたものなんだと感じることがあれば、そこに清の魂が生きているのだと思います

どんな世も前向きに明るく生きぬき、それを書き綴れる才能に溢れた一族の一人に生まれてきたことはなんと幸せなことでしょう

私は、自分が死んだ後のことはどうでもいいです。子供もいないし、続けて欲しいものは何一つありません。でも生きている間は、このたくましく生き抜いてきた遺伝子を精一杯使い切って死にたいと思います。そう考えている私がこれを編集後記に書こうと考えていたときに、祖父の文章にその遺伝子を見つけました最後にこの文を載せます

一大哲学を信じて より

一家6人がそれぞれ別業に励んでいる。ありがたいことと感謝しておるが、自己満足になるかいかがか。

尚文が大卒労働者から離脱して大祖先田原藤太秀郷が書け、万民が手を打って喜ぶ時代がくるかどうか。

尚武がウワバミでなく鉄人秀郷を偲ぶを作れるや否や。私は夢のような心地よい気持ちで考えている

自分の家柄を自慢するのじゃないが、良い方が悪い方よりは良い。でも考えてみれば、我が加藤家も小暮家と合体、私の父も横浜の新井家と合体、だんだんと考えれば、考えるほど祖先なんて自分よりはるかに遠ざかる。わからなくなる。

ホントに離れる。結局は一人生きている

自分だけになる。自分だけが祖先である。また、子孫である気になる。秀郷、いや、それ以前にも幾多

の秀郷があったはず。その何万分の一つが生きていて自己を誇示する

日本人種とし、人類と広がる。宇宙人なんて想像もつかない。

人間はこの単位として永遠に生き続けるだろう。 

墓はここに一個の人間の終の標である。

昭和46年6月8日    加藤清 トポスとしての家より

*加藤の先祖が田原藤太秀郷とわかった話から




2024年10月13日 加藤清132回目の誕生日
ここに2回目のヒストリーを完結する

そしてこの先の加藤のファミリーヒストリーはひっそりと誰かに受け継がれていくことでしょう。



いいなと思ったら応援しよう!