刃花

思考のまとめです。CPTSDの治療の一環として書きます。

刃花

思考のまとめです。CPTSDの治療の一環として書きます。

最近の記事

進捗 6回目

先月は本命のワークである、自我状態療法を受けた。それが5回目。 その後、先生への不信感が募り、解決策として対話した。それが6回目である。続けて書くことにする。長くなりそうだ。 自我状態療法とは、自分の中で、自分の様々な部分(パーツと呼ぶ)と、イメージを使って対話し、癒していくという療法である。 人間は誰しも様々なパーツが組み合わさってできており、場面や人によって使い分けて生きている。 しかし、複雑性PTSDではそのパーツのコントロールができなくなっているので、こういったワー

    • 自分の状態についての説明

      このnoteは自分の治療記録として始めて、普通に読んでもらうことを想定していない。そのため診断や心理療法についてまったく説明をしてこなかった。ここで少し自分なりに説明をしておこうかと思う。自分が本などから得た知識であるので、間違っていたら指摘してほしい。 私は現段階で複雑性PTSDとの診断を受けており、転居して治療を受けている。このnoteはその記録である。 以下は自分の状態についての説明のため記載する。 トラウマなんだよね、それトラウマになるわ、と、日常会話で使うことが

      • 進捗 4回目

        調子が悪く、カウンセリングを追加したかったが仕事の調整がつかなかった。そのため休日に、心理士の先生が個人で開いているカウンセリングルームへ行き、ニューロフィードバックを受けた。4回目のカウンセリングだった。 ニューロフィードバックとは機械で脳波を測定しながら修正していく治療だ。正直に言って全く信用していなかったし、こんなことで良くなるわけがないのに、言われるまま遠くまで受けに来て馬鹿みたいだと思い悲しくすらなっていた。 けれど終わってみると眠気と倦怠感があるものの、頭はすっき

        • 物が好き

          物持ちが良いほうだ。 レシートから家計簿をつけるついで、財布の手入れをした。手入れといってもパテントなので、専用のクリームを塗って拭くだけである。なんて楽なんだろう。あっという間に元の光沢を取り戻す。 気に入っている鞄なんかはカーフのため、ブラシをかけ、柔らかい布で拭き、クリームを2種類使い、防水スプレーをかけ、最後にまたブラシをかける。正直言って面倒くさい。でもとても大切な鞄だから、一生懸命手入れしている。 財布はまだ新しくて、2年前に買ったものだ。鞄は確か7年前に買った。

          どこでも行ける

          電車に乗るのがうまくなった。吊革を掴まなくても良くなってきた。 移動手段に電車が増えて、どこへでも行ける。友人と食事をしたり、観劇しに行ったり、長年欲しかった鞄を買ったりした。 最寄りの駅から乗れる路線で、そのまま心理士の先生の所へも行ける。隣の隣の県。少し遠いけれど、1時間ほどだ。これまでと比べたら遥かに自由に思う。 地元の先生から紹介状を貰った病院に、たまたま、トラウマ専門の心理士の先生が非常勤で来てくれていたので、そのまま診てもらっている。 3回、カウンセリングを受け

          どこでも行ける

          穏やかになりたい

          悪夢を見て2~3時間おきに目が覚める。うんざりだ。 休日も4時か5時には目が覚めている。何度ももう一度眠ろうとするけれど、やっぱり眠れない。薬を変えようか悩むけれど、クライエントを小馬鹿にしたような医者に相談したくない。 職場の雰囲気はすこぶる悪くて居心地が悪い。 仕事についていけない人の話を1センテンスごとに否定の言葉で途切れさせ、誰もフォローしようとしない。他人を馬鹿にした言葉がユーモアだとされているし、ガスライティングが横行している。 早く辞めたい。辞めたいけれど、今

          穏やかになりたい

          これから

          トラウマの治療を始めたいと思う。 そのために転職を兼ねて転居もした。今月から知らない町で暮らしている。 初日からきちんと生活できている。必要な家具は前もって注文しておいた。組み立てられそうなものは組み立てておいた。調理器具も、電化製品も揃えた。仕事は、なんとか普通の人間のふりをしてやっている。今日は大切な大好きな友人が遊びに来てくれ、帰っていった。楽しかったし、うれしかった。 信頼している地元の先生は、専攻外にも関わらずACや複雑性PTSDのことを知っていて、私に仄めかし続

          これから

          夕暮れの国

          夕方、海へ行くと、ピンク色に染まった夕焼けが見られる。 この時期、夏至から8月までの景色だ。 印象派の絵画のように美しく、穏やかだ。静かに波の音がする。やがて夕陽が沈み切ると、世界は青く静かになる。それも過ぎ去れば、本当の夜が訪れる。 来月、転居が決まった。 様々な手続きや荷造りで慌ただしく毎日が過ぎていく。 思考や決断を必要とすることがあまりに多く、とても疲れたが、ようやく少しだけ落ち着きそうだ。 最後の1週間はのんびりできるようにしたかったので、一生懸命準備を進めた。大

          夕暮れの国

          花びらが降ってくるみたい

          リソースや自己への理解を深めるため、好きな物事を纏めておくことにする。 ■薔薇園へ行く ■庭(特にイングリッシュガーデン) ■切り花のよい組み合わせを考えて購入し、飾り、世話をする ■花畑 ■野の花を摘む ■野草の観察 ■自然の動き(火や波、草木が風に揺れる様)を眺める ■野苺を摘んでジャムにする ■海や湖 ■散歩 ■異国の風景、遺跡、ヨーロッパの街並み ■映画鑑賞 ■映画を観ながら飲酒する ■漫画を描く(ネームが一番好き) ■漫画を読む ■絵を描く ■飲酒しながらクロッキ

          花びらが降ってくるみたい

          薔薇の庭のまいご

          感性を恥じている。 可愛い物や美しい物が大好きで、吟味して気に入った洋服やアクセサリーや皿を買い集めたり、薔薇園に出掛けたり、野の花を摘んで喜び、野苺を摘んでジャムにし、夕焼けを見て感激する自分を、ずっと恥ずかしいと考えている。 幼い頃、博物館で買ってもらった緑色の宝石を大切にしていた。 黒いケースに敷き詰められた白い綿の上に、宝物のように座っていたその石を、引き出しに仕舞ってよく眺めていた。石に興味を持ち、図鑑を読み、いろいろな天然石について調べてあれもこれも欲しいとわく

          薔薇の庭のまいご

          5月、さくらんぼのケーキ

          今日はさくらんぼのケーキを焼いた。 去年の今日、5月3週目の土曜日に初めて焼いたことを覚えているからだ。何かとても楽しいことを経験すると、1年後の同じ時期に思い出す。聞いた歌、観た映画、作った食事、着た服、行った場所を、また経験したくなる。 私の年間行事はそんなふうにして増えていく。年間行事の遂行に命を懸ける生活は、もうやめようと思った。けれど、やめられない。無理にやめる必要もないのかもしれない。続けたいものは続けていいのかもしれない。 去年の今頃は仕事が立て込んでいた。

          5月、さくらんぼのケーキ

          うれしい夜のお酒とおつまみ

          ついさっき書いた前回に、おいしいつまみを作れることで自己肯定感が一瞬だけ上がるというようなことを書いた。 私は頭のおかしい人間なので、数年間、極端な思考を正すためにチャットアプリで一人芝居をしている(最近はとても減った)。とても辛いことを書いた後で、中庸をとった思考の人物になりきり、チャットを返す。その時に、「でもおいしいパスタを作れるんだから、大丈夫だよ」という言葉が出てきたことがある。するっと出てきたので驚いた。確かに、料理をして食べると、ほっとするし、嬉しくなる。 冗長

          うれしい夜のお酒とおつまみ

          ドーナツは穴あきがおいしい

          自分には大きな穴が空いていて、それは何にも誰にも埋められないのだというとても悲しい事実をようやく理解した。 これまで穴を埋めることばかり考えて生きてきた。 穴の空いた自分は不完全で、空いていない他人は完全だった。不完全な自分は恥ずべき存在で、必死になって穴を埋めようとしてきた。穴を埋めるべく手繰り寄せたのは、ネットだったり、ある体験だったり、死にものぐるいの努力だったり、人間だったりした。特に人間にはなんとかして穴を埋めてもらいたくてむきになった。 そうするとうまくいかない

          ドーナツは穴あきがおいしい

          木曜日の夜は映画の話

          勤めていたころ、木曜日あたりになると金曜日になんの映画を観るか考えた。金曜日の夜、疲れていなければ酒に合うつまみを作り、映画を観るのが楽しみだった。酒もつまみも映画の気分に合わせて作る。だから、木曜日に映画のことを考えて、金曜日の仕事帰りに買い物をする時には何を観るか決めておく必要があった。 近くのレンタルショップで3本の映画を借りるときは、1本をまた観たい好きな映画、2本を新しく観る映画にして、2週間かけて観ていた。サブスクで観ることもあった。 私はあまりたくさん映画を観な

          木曜日の夜は映画の話

          初夏、手の届かない光について

          初夏を思うと泣きたくなる。 桜が散ってから梅雨に入るまでのほんの短い間、風が一等爽やかなころ、眩しい光の中にいる。 まだ目を細めるほどではないけれど、その日差しはこれから来る夏を予感させるから、期待と不安が一緒になって真っすぐ見ることができない。 夏はやがて終わるし、毎年期待が叶えられないことを知っているからだ。 最近は初夏と見紛うほど暖かい日があるので、一足先に初夏のことを考えている。 そうすると、乃木坂46の逃げ水を聴きだす癖がある。 逃げ水は8月中旬から9月、夏の終わ

          初夏、手の届かない光について

          ほんの少しの街の宝石

          街明かりが見たい時、隣の市まで行く。 車で走る田舎道がだんだんと人の住処らしくなると、急に視界が開け、坂の下に少しだけ街明かりが広がる。遠く、真っ暗な中に建物や街灯や信号機の、白やオレンジやエメラルド色をした明かりが浮かびあがり、きらきらと光る。 そこに、いつか都会で見た本物の夜景の記憶を重ね合わせて、フィルタをかけたようにだぶらせ、まるで宝石のようだと喜んでいる。 そのまま走り抜ければすぐに明かりは見えなくなる。ほんの一瞬の輝きだ。 私がいつも見に行くそのほんの少しだけ街め

          ほんの少しの街の宝石