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どこでも行ける

電車に乗るのがうまくなった。吊革を掴まなくても良くなってきた。
移動手段に電車が増えて、どこへでも行ける。友人と食事をしたり、観劇しに行ったり、長年欲しかった鞄を買ったりした。
最寄りの駅から乗れる路線で、そのまま心理士の先生の所へも行ける。隣の隣の県。少し遠いけれど、1時間ほどだ。これまでと比べたら遥かに自由に思う。

地元の先生から紹介状を貰った病院に、たまたま、トラウマ専門の心理士の先生が非常勤で来てくれていたので、そのまま診てもらっている。
3回、カウンセリングを受けて、TFTとBCTを少しやった。
TFTは毎朝自分でも行っているがあまり効果を感じられない。BCTも軽い部分しかできなかった。
今の私は記憶が揃っているし、自分の状態を説明もできる。日常生活を送る上で以前ほどの混乱はないように思う。けれど、何かを押し込めている感覚もある。いつも緊張しているし、気を抜いた時にショックな出来事があると、声が出なくなる。
自分の状態や感情をいくら説明しても良くならないのだとわかっている。
それでも、診察室を「騒いではならない」というルールが強烈に支配していて、私は取り乱すことができないのだ。

初回のカウンセリングでは、どう治療を進めたいかと状態について話をした。先生は何度も「よくここまで来れたね」「よく来たね」「これだけ言語と動作が離れていたらかなりしんどかったでしょう」「あなたは物凄い努力で適応して社会生活を送れてしまっているんだよね」と声を掛けてくれた。
身体感覚の解離があるらしいこともわかった。怒っても悲しくても身体で何も感じない。頭の中だけで感じる。
「その感情をどこで感じる?」と聞かれた際に、三森みささんの漫画で見た台詞だ!!と思いながら、「わからない」と泣き出してしまった。
最後にTFTをやってもらったが、先生の真似をうまくできず、叩く場所がわからない。動作の低さを思い知って落ち込んだものの、先生が「よく努力している」と褒めてくれたのが嬉しくて、にこにこ帰った。

2回目のカウンセリングでは、リソースを作ろうという話になった。
身体感覚のない状態ではやりたい治療ができないため、まず身体感覚を取り戻さなくてはならない。身体感覚を取り戻してもつぶれないようなリソースが必要になるのだ。
治療の上で必要になるだろうと思い、転居前に描き記していたリソースのリストを持って行ったところ、ここまで書ける人はなかなかいないと言われた。けれども頭で考えるようなリソースが多いので、感覚的なリソースも欲しい、特に誰かにケアされるような感覚が欲しいとのことだった。
「自分をケアしてくれ、安心できる存在」を思い浮かべてと言われ、思い浮かばず、思い浮かんでもこの存在には甘えてはならない、頼れない、と思い何度も中断してしまった。
困り果てて、長年連絡を取りたくてたまらなかった人に連絡を取ってしまった。
するととても安心して、一気に身体感覚が戻り、1週間ほど苦しみ続けて大変だった。その後はおそらく、また感覚が切れている。というか、仕事をしている時には何も感じないが、休日になるとやはり苦しいので、感覚のスイッチが自動オンオフしているのだと思う。これまで強制オフだったスイッチがオンになるようになったのだろう。
このあたりから、自分が何に困っていて何に苦しんでいるのか、うまく言葉に表しきれないことが増えた。なんとなく苦しい、以上。で終わってしまう。回復傾向にあると思うが、自分の気持ちを的確に言葉にできないのは、とても苦しい。

3回目、感覚が戻ったがまた切れたというところから話を始めた。
生身の人間に頼ろう甘えようとはもう思わない、絶対に頼らない、その人を元に想像上の存在を作って自分でなんとかすると話した。
リソースの続きをやろうと思っていたが、先生が棒を持っていた。
「漫画を見ているならわかるよね、やる? ボディコネクトセラピー……、やりたい? やれる状態なのかも知りたくてさ、どうかな?」
漫画で見た棒だ!!!と思いながら、やれるか微妙だがやりたい、必要だと思う、と話した。
しかしながら診察室で嫌なことをあまり思い出せない。物凄い力で抑えつけている感覚がある。先生には安心していて信頼関係も構築し始めているが、空間には安心できないのだと思う。扉を隔ててすぐ、待合室には投薬希望の軽めの症状の患者たちが多く待っている。医師はトラウマに理解がない。取り乱して、大泣きしたり怒鳴ったりすれば、先生以外全員驚くし、どん引きだろう。地元の精神科は大きくて、心理士が常駐していて、相談室の扉も厚く待合室から隔離もされ、防音もしっかりしていたので安心できた。
ボディがコネクトできた感覚はあまりないのだが、怒りの原因が現段階では収まっているので、ひとまず平穏だ。
BCTも、全部を片付けられない、少しずつ軽そうなところからかいつまんでいこうという話になった。
そして、呼吸が下手ということがわかった。1分間に吸って吐くのを1セットとし、12回以下が健康だと言う。私は診察室で17回だった。家で苦しくなった時にもしやと思い測ったら25回も呼吸していた。
呼吸が浅い、トラウマの人はみんな深呼吸が下手なんだよね、横隔膜とか凝り固まってんのよ、ということで、まずは呼吸の練習から始めることになった。
1日15分練習してほしい、できれば2週間続けて、と言われやっているものの、腹式呼吸をすると嫌すぎて涙が出てくる。原因はわかっていて先生にも伝えてある。手強いね、トラウマが一つじゃないんだよねえ……としみじみ言われた。
次回は90分で予約を取った。その後は、予算と調子を見て、先生のところにも直接行こうと思う。

このような感じで治療は進んでいるし、回復の傾向にあると思う。
まだ本格的な治療の前準備をしているところだが、まあ、気長に自分と付き合っていくしかない。自分は最初から最後までずっと自分なのだ。憎々しくも思う。



けれど私は、実はとても運がいいと、最近思う。
ずっと地元の病院で診てもらっていた。学生の頃に1年間、大人になってから4年間。薬しか出さない心療内科から転院した、大きな病院だ。
精神科の先生は専門外なのにACやCPTSDの問題に詳しく、最初から見立ててくれ、私の状態が悪いので診断を告げずに見守ってくれていた。転居前に診断書を見せてくれ、「ここからが本当の治療のスタート」「あなたには回復する力がある」と送り出してくれた。
学生の頃の心理士さんは相性が悪かったが、大人になってから1人目の心理士さんはとても安心できた。傾聴に徹し、私が安心できるよう共感と励ましを沢山くれた。辞めると聞いた時に、「すべてを話す」と反射的に口から出ていた。その後、酷いフラッシュバックに苛まれながら話と、転職活動をした。最後の日にはゆっくりと別れの時間を取ることができた。良い別れだった。

2人目の心理士さんは、1人目の心理士さんが退職されるということで引き継いでもらった。これまで自分の感情を説明し続けてきたから良くなかった、吐露したほうが良いのではと思い、感情的に話をしようと決めていた。
初回はいろいろな指摘をされて敵意のスイッチが入ってしまった。私が直面化した状態なので、はっきり言ってくれたのだと頭でわかっていた。次回以降落ち着いて話せるよう、やっぱり頭で話すことにした。
身体や感覚に目を向けるよう促してくれ、最後に「トラウマの治療を受けてほしい。引っ越したら認知じゃないほうがいいですね」と言ってくれた。
今年の夏に帰省した時、リソースと聞いて思い浮かんだのが心理士さんだったので、今の心理士の先生に許可を取って1回カウンセリングをしてもらった。「感覚に目を向けているんだな~ということが伝わりました」「割と早くに治療に繋がれてますよねえ」「心理士の方、きちんと話を聞いてくれていますね」と、にこにこしてくれた。また来てもいいかと聞いたら、精神科の先生がいいと言えば、いつでもお待ちしていますと言ってくれた。

3人目の心理士さんが、今の先生だ。地元で先生と言うと精神科の先生だったので、心理士の先生は心理士さんと呼んでいたが、今は先生と呼んでいる。気さくで愉快だ。最初からため口なので驚いたけれど、嫌な気持ちはしない。寄り添ってくれながら、一緒に治療方針を考えてくれている。
事あるごとに、よくやっていると言ってくれる。そういわれるととても安心する。
先生たちが治療のバトンをしっかり繋いでくれたので、私はここまで来れた。途中でパーソナリティ障害とか、鬱とか(鬱にもなったが)、誤診されて当然なのに、本当に運が良かった。
この運を手放さない。絶対に回復して、穏やかに生活するんだと、決意している。


週末は図書館でヴァンデアコークの本を読んでいる。
借りて部屋にある状態だとタスクになって落ち着かないから、いったん返して、時間が空いたら読みに行くことにした。
今週は外出の予定がないのでまた続きを読もうと思う。
図書館へは歩いて行ける。私はもうどこでも行ける。自由だ。

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