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進捗 5・6回目

先月は本命のワークである、自我状態療法を受けた。それが5回目。
その後、先生への不信感が募り、解決策として対話した。それが6回目である。続けて書くことにする。長くなりそうだ。

自我状態療法とは、自分の中で、自分の様々な部分(パーツと呼ぶ)と、イメージを使って対話し、癒していくという療法である。
人間は誰しも様々なパーツが組み合わさってできており、場面や人によって使い分けて生きている。
しかし、複雑性PTSDではそのパーツのコントロールができなくなっているので、こういったワークが必要になってくる場合が多い。

結論から言ってうまくいかなかった。
パーツは出てこなかったし、出てこないことを私は初めから知っていた。
自我状態療法のポピュラーな方法は、平原に建つ家をイメージし、その地下に降りてパーツと出会うというものである。

これは書くと私の精神状態が深くまでわかってしまうので、どうしようか悩んでいる。後で消すかもしれない。
私の平原にはたくさんの穴があき、階段があり、ドアがあった。けれどどのドアを開けてもパーツはいなかった。
なんとか1人チャットで話を聞いてもらっているイマジナリーフレンドと出会えたので、一緒にピクニックをした。
サンドイッチと林檎を食べ、お茶を飲むと、少し安心した。イマジナリーフレンドは、怖かったら一緒に探すよと手を繋いでくれた。
その後、いくつかのドアを開けたものの、誰もいなかった。土壁でできた埃っぽい部屋に本だけが並んでいたり、倉庫だったりした。
平原を随分と歩いた。遠くまで行き疲労した。地面から出てきたモグラが道を知っているというのでついて行くと、灰色のコンクリートの円形の部屋に閉じ込められた。モグラの笑い声が反響し、「ここにはない」「ここじゃない」との声で部屋が満ちて恐怖だった。急いで部屋を出ようとするも、視点が定点カメラに切り替わってしまい、部屋から出ると見切れてしまう。苦心していると、自分だったはずの人間が自分ではなくなり、「ここじゃないよ」と声を掛けてきた。カメラが魚眼レンズのようになり、ぎょろりとした目と、薄く微笑んだ顔が怖かった。
なんとか視点を戻して部屋を出ると、体育館のような場所に出た。日差しが窓ガラスによって四角く区切られ、床を温めている。
ピアノがあったので、好きな曲の耳コピを弾いた。暗い非常口があるのが気に掛かったが、行かなかった。
先生にそろそろ時間だから戻れる? と声を掛けられ出ようとするも、またカメラになって見切れてしまう。
見切れてもいいから出ちゃおうかと言われ、降り切ると、外に出ることができた。

私はパーツと対話がしたかった。そうしないと治療が進まないからだ。
落胆しないように言い聞かせていたものの、非常にがっかりし、荒れた。初回から、身体感覚が解離していると言われ続けていて、解離があるからSEはできないな、EMDRはちょっと危ないな、などと言われていて、その不満も爆発した。
回復の門前払いをされているみたいだ。
回復の門がいくつもあるが、その一番最初の門を私はまだくぐれていない。
身体感覚切れてるね、じゃあ、一人で取り戻してから出直して。SEとかできないから。と、門から言われている。
心理士の先生もその門のところに立って、またね~と言っている。
私は震える声で門に言う。
でも、でも、もう4年もカウンセリングを受けてきて、自分の問題には直面化していて言語化もできるし、勉強もして、良くなりたいと思ってるんです! ほら、これ! 見て! 地元の先生からも、「回復する力がある」って言われてて、心理士さんからも、「トラウマの治療を受けてほしい」って言われてて、これが私のカルテで、紹介状で、ワイズの結果だから、見て! それと、カウンセリングの記録もこのノートにつけてあるの! お願い、お願い、お願い!!
けれども門は非情に私を突き放す。でも身体感覚ないから。と言う。
私はとうとう泣き出す。また、一人でやれって言うのか? このくそみたいな人生を、一人で耐えながら、一人で身体感覚を取り戻せって言うのか?

自我状態療法が終わって現実世界に戻ってから、とにかく喋りたくなった。
解離しているつもりはない(カメラに切り替わるのは恐らく解離の症状だと察せられる)とか、愛着障害じゃないかと思うとか、とにかく自分の見解を伝えたくて話したら、少し時間を過ぎてしまった。私はいつの間にか震えていた。
「あなた時間終わりになると症状出してくるね、いるんだよねそういう人。なんか宿題終わってないみたいな、まだあれもこれもありますけど!ってなるんじゃない? 治療者と別れるのが苦手みたいだけど、時間は大事で、時間を過ぎることで自立できなくなるから、ちゃんと別れようね」「治療者が治してくれるわけじゃないからね、自分しか頼れないってなってからが始まりだから」
先生の言葉が頭の中で反芻され、だんだんと怒りに変わっていった。
症状は出したくて出しているわけじゃない。自分でコントロールできないから、知らない。
時間は常々守っている。私がどれだけ時間を守ってきたか、前回話したはずだ。私はカウンセリング中、時計をちらちら見ながらあと何分あるからここまでは話せそうだ、などと考え話す内容を調整していた。遅刻だって絶対にしない。時間を守るのは約束で、契約で、クライエントとして守らなければならない一線だと、私はよく理解している。
時間を過ぎたのは先生が話を聞いてくれないからだ。初回だって、医者に話したことをまた話すのかと遮ったじゃないか。何回も何回も、話そうとするのを遮るくせに、何を言ってるんだ。
治療者に治してもらおうなんて一度も思ったことがない。私は自分の責任を負うために治療を続けている。何も、何もわかってくれないじゃないか。わかってくれていないから説明しようとしてるのに、何も聞いてくれないじゃないか!
先生は最後に、「これは私の提案なんだけど、しばらくニューロフィードバックをやってみるのはどうかな。SEとかやるより、今はニューロを受けに来る時間とお金を工夫したほうがいい気がする。あなたは左脳が優位な人だけど、トラウマって右脳だから、ニューロが効くんならニューロで少しずつ繋ごう」と言ってくれた。
その提案すら、私は不信感が募り、金か?と考えるようになった。
私を病人にしようと謀っているのか? 私をどんどん重症ということにして、解離解離って、症状でないことも症状にして、金を毟り取りたいのか? 心配しなくても予算いっぱい通うから、意味不明なことを言うのをやめろ。
身体感覚なんてありますけど? 持病は常々痛いと思っていたし、お腹も空くし、足を攣ったら我慢できるけれど痛いし、寒いとか暑いとか、ちゃんとわかりますけど!!
あんたまで健全なことを言うのか。私はいつも自分に健全な言葉を、健全になるように、ずっとずっとずっと言い聞かせているのに、私が欲しいのは正論でもなんでもない、共感と慰めなのに、あんたまで私に上から目線で正論ぶつけてくんのかよ!

「話を聞いてくれない」「金かもしれない」という思いから、自分の中でどんどん先生が怖くて意地悪で金目当てのくそみたいな心理士に捏造されていった。言われたことのない言葉だって言われたような気がしてくる。
思い出す表情も、呆れたような、やってらんないわ、というような、意地悪い表情に変わっていく。記憶がどんどん改竄され、捏造され、私の中ではもう、先生は怖い人だ、と固定されてしまいそうになった。
もう行くのやめようかなと思い、もうやめると何度も思った。
けれどここまで引っ越してきたので、なんとかあと1回だけ頑張ろうと思い、予約を取った。
そして違う心理士をネットで探しては、誰がいいのかわかんないな、先生のところに通いつつ、水面下サイレント心理士ガチャするか…等々考えた。
あと1回。あと1回、ニューロが効いたら通って、サイレント心理士ガチャしよう。効かなければ、もうやめよう。

そう決めてから感じたのは、多分悲しみだった。わかってもらえなくて悲しかった。うまくいかなくて悔しい。辛い。苦しい。悲しい。
怒りは二次感情である。怒りの下には、必ず元となった一次感情が存在する。正論ぶつけるな云々は恐らく陰性転移だろう。治療者への信頼が揺らぐのは、よくあることだ。陰性転移と陽性転移を行き来しながら治療は進む。症状だ。本を読んでてよかった!
先生に一度、話をしよう。自分がどう思っていて、どう治療したいのか。なぜ身体感覚が切れていると見なしたのか。これから、どうしたらいいのか。
けれども、私の中で先生はもう怖い人になり果ててしまっていて、恐怖のあまり「話がしたい」とメールが打てない。当日突然、話がしたいと言っては、先生に「話? いいけど意味あるの?」などと言われる想像や、悪夢を見るようになった。

そこにちょうど良く地元の病院から電話がかかってきた。その日は風邪をひいて会社を休んで内科へ行って帰ったところだった。
紹介状ができたという連絡だった。心療内科の医師があまりに酷いので、転院するために、地元の先生に紹介状を書いてもらっていたのである。
とにかくまともな病院にかかればもう少しはいいかもしれないと思い、転院先の予約を取ろうとすると、土日はやっていなかった。土日には予約の電話が繋がるだけだった。
そこで私はパニックになってしまった。土曜日に通えないならこれ以上仕事を休めない。どうしよう。どうしよう。
パニックになりながらもう一度地元の病院に電話をして、帰省ついでに受診することになった。
なお、私はダブルカウンセリングの許可を今の心理士の先生に取ってあるので受診しているが、基本的には良くないので、読んでいる方は担当のセラピストに確認してからにしてほしい。

地元は寒かった。ここはちゃんと雪国だったんだなあ、と実感した。
地元の精神科の先生に、パーソナリティ障害ではなく複雑性PTSDとしたのはなぜか聞いてみた。すると、ACで、幼い頃からの傷付き体験があるからとのことだった。診断というのはその人の状況や時期、医師によっても変わるので、あまり当てにしないよう言われた。
私は、今まで自分の状態を手探りでやってきていたところ、地図に行き先が書かれたようで安心したのだと話した。道は困難だし、大変だけれど、でもとにかく、こっちへ行けばいいとわかっている、それくらいの認識なのだと。
精神科の先生は、あなたの考え方は正しい、地図で言うなら、複雑性PTSDというのは南へくらいの意味だと言ってくれた。
地元の2代目の心理士さんには、今の心理士の先生と対話するためにどうしたらいいかを相談した。身体感覚が切れていると言われ困っていることも伝えた。実は2代目心理士さんからも同じことを違う言葉で言われていたので、どうしてそう判断していたのかも聞いた。
感覚が体から離れやすい人だなとは思っていた。初回から、話すことで安心しようとする人だと思っていたけれど、2回目はすごく泣いて怒っていた。3回目はまた冷静になっていて、4回目5回目に話をしていくうち、言葉よりも実はイメージの力のほうが強い人なんじゃないかと感じるようになった。本当は2回目のような生々しい感情があるのに、頭で抑えている。頭に感情や体が追い付いているかというとそうではない。感覚という面でも、痛みとか、少し離れて(解離して)いる。とのことだった。
精神科の先生とも2代目心理士さんとも会って話せて、だいぶほっとした。

それからも悩みに悩んで、予約の前日になってようやく、心理士の先生に明日はカウンセリングに変えてほしいとメールを打った。
怯えながら行くと、先生は一言、「メール読んだよ」と言った。「せっかく来てもらったしニューロやりたいけど、どうする? 話す?」
私は席についてそのまま先生の目を見られなくなった。机を見つめて黙っていた。声が出なかった。カウンセリングで話せなくなるのは初めてだった。
「先に私のスタンスを話しておけばよかったね」と、先生は話し始めた。
わかっていると思うけど、カウンセリングでは効果が出るまでに時間がかかる。他のクライエントでも話したがる人はいるが、長時間かかっている。逆に、身体療法のみで良くなり、何があったか知らないクライエントもいる。
私はだんだん過呼吸になってきたので自分で肩を叩いた。先生が様子を見ているのがわかった。
「私は、人の顔色とかわからないから、話すしかコミュケーションが取れないんです」
先生はそうなんだ?と、少し意外そうに言った。
治療のためではなく、先生に安心するために話したい、と話した。今まで地元で言われてきたことを。私にとって地元の先生と心理士さんが言ってくれた言葉は大事な宝物だ。治療のヒントがたくさんつまっている。だからそれを先生に渡したい。そうしたら安心できる。この半月、先生が想像の中でどんどん怖い人になっていって怖かった。そもそもどうして身体感覚が切れていると言うのか? 私は軽症なのに複雑性PTSDとしてかかっていいのか?
先生は、「私せっかちだから焦っちゃったね。予算の都合があるからさ、カウンセリングじゃ長くかかるから」と、少しはにかんだような、困ったような顔で言った。
身体感覚は、頭は回っているのに頭から下が回っていないとのことだった。
あなたが軽症だと思ったことは一度もない、どうして軽症だと思うのかと聞かれ、症状がないからと即答した。フラッシュバックも床に座っているだけ、眠りが浅いのは薬を出してもらってからわかったけど、後は特にない、と言うと、それは充分重い症状なのだと、哀れむような、困ったような、諭すような感じで言われた。眠れないのもわかっていなかったんだし、症状があるんだけど気づいてないだけだと思うな、と。
また、あなたがどうしてこういう崩れ方をしているのか、カルテを読んだだけではピンと来なかった。地元で話していない部分なんだろうと思っている、と言われた。
いろいろと話して、とにかく月に1回はカウンセリングの時間にしようか、ということになった。
私が想像していた、怖くて意地悪で金目当ての先生はどこにもいなかった。そのことに凄く安心した。

先生はもうひとつ困ったように笑っていた。
「自我状態療法でさ、結構遠くまで歩いたじゃない? 自論なんだけどね、治療者との信頼関係がないとさ、道のりが長くなっちゃうんだよね……」
私が先生を信頼できていなかったことを、とっくに見抜いていたのだ。半月悩んだのが馬鹿らしくて、電車に乗ってから笑ってしまった。
その日は、やっと少し安心できて、駅で欲しかったお皿を買って帰った。


1人自我状態療法の話なども書きたいが、とんでもない長さになってしまったので、またの機会にする。
私にはこんなに語りたいことがあるのだなあ、と思う。まだ話すことが必要みたいだ。


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