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映画「OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)」 原田真二

 1977年秋、原田真二はフォーライフレコードからデビューした。クシャクシャのカーリーヘアにマッチしたベビーフェイスは、歌を聞くまではそれまでのアイドルと何一つ変わらぬ出で立ちであったが、彼がピアノの前でひとたび歌い出せば、今までに聴いたことの無いポップス感覚に富んだシンガーであることは誰の目にも明らかに映った。そして、それは3ヶ月連続シングル発表という奇想天外なデビュー方法も手伝い一大センセーショナルを生んだ(後述するキャロルは7ヶ月連続シングル発表という例がある)。
 原田真二の出現は、歌謡曲ではない音楽が歌謡番組に進出し始めた先駆けとなり、お茶の間に「ロック」「ニューミュージック」という言葉が認知され始めた事件であった。
   それは、本人達の思いとは別の場所で「ロック御三家」という芸能界的な言葉も生み出されたことも日本の「ロック」の市民権に拍車をかけたことも事実だろう。

    原田真二は、デビューして9か月目の1978年7月24日、デビュー1年目かつ10代で史上初めて日本武道館単独公演に臨んだ。その"SHINJI HOT SUMMER OVER IN BUDOHKAN" コンサートを中心に、直前の 静岡県“つま恋”での合宿風景や舞台裏映像等を収録した映画が『OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)』である。
 当時の日本武道館の存在は、ミュージシャンにとっては特別な場所であった。それは、軽音楽の世界ではビートルズが立ったあのステージに自分もいつかは立ちたいと思わせた魅力的な場所であり、日本武道館に立てるミュージシャンは選ばれし者であった。その武道館に19歳の若者が立つということだけでもセンセーショナルな出来事であったのだ。

 この映画の監督はNHKのディレクター出身でキャロル(矢沢永吉、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎)のドキュメンタリー番組を制作し保守的なNHKと放映に関して揉めに揉めた挙句、NHKを解雇された龍村仁。彼はその後自己資金により映画『キャロル』を完成させ1974年の公開にこぎつけている。もちろん、当時の音楽事情において「ロック」という文化は存在せず、革ジャン、オートバイ、エレキギターは「不良」のレッテルを貼られるもので、保守的なNHKが放映を拒んだことも十分理解できる。瀧村は『キャロル』を日本の音楽のニューウェーブと捉え、音楽面と合わせてカルチャー面で現代の若者像を追っていった。その意味で原田真二のこの映画も原田真二のコンサート映画というより、「原田真二」という人物に焦点を当てた作りとなっている。それはあたかも「NHKスペシャル」のような作りで、音楽映画として見てしまうと、肝心なライブの見せ場を逃している場面も多々あるし、音響も良くない。しかし、歴史の1コマとして見れば、ぶれの多いカメラワークや恐ろしいまでに暗い画面が1970年代という歴史を物語っており、加えて配給先がATGということもあり、ドキュメンタリー臭が濃い。
 そして、よくぞあの天才の若い時間を記録したという事実。これはやはり華美な演出をするよりも生身の音や映像のインパクトで痛烈に私たちに訴えかけてくる。

バンドメンバー・・・( )は年齢。
原田真二(19) ヴォーカル、ギター、キーボード
山田秀俊(26) キーボード
青山徹(25) リードギター
ロバート・P・ブリル(21) ドラムス
関雅夫(23) ベースギター
古田たかし(20) ドラムス
19歳の原田真二を若いバンドメンバーが固める。

    大きな日本武道館というターゲットを自らのものにしようとするひたむきさは、何にも変え難いもので、音楽リゾート施設「つま恋」での合宿風景でもその表情は伺うことができる。19歳の青年が年上のプロミュージシャンに対し、自分の音楽を表現してもらうために必死に世界観を訴える。原田真二の考えたアレンジを楽譜はもとより、口伝えで指示する。そこに遠慮はなく、コンポーザーとプレイヤーの関係が映し出されている。
 あの当時、4歳も5歳も年上の人間に、しかもプロのスタジオミュージシャンに臆することなく、自分の思いを伝えていた光景。そんな天才にバックを固めるミュージシャンも演奏で応える。その化学反応で若いミュージシャンたちの演奏は疾走感が溢れ、日本武道館の舞台でも遺憾無く発揮された。
   このバンドの後に原田真二は、クライシスを結成し、音楽技術的にも更に高くなっていくが、躍動感と勢いはこのバンドメンバーには適わない、と断言できる。

   最近、原田真二を聴き直す事があり、当時のフィルムを再び見た。そして、この記事を思い立ったのだが、中学生の頃に映画館で観た頃の感情にすぐ戻ることができたことに我ながら驚いた。いろいろと突っ込みどころ満載かと思いきや、そういう「うがった見方」は飛んでしまい、集中した103分であった。それは、本当に私の13歳当時の心に深く刻まれた作品なんだということの証であり、自分の中の音楽史の一角を占める作品だったのだと認識した次第だ。
とにかく原田真二の大物感が半端ない作品である。歌謡界と自分の立ち居地。賞取りレースの辞退など19歳の青年から発する言葉にしてはすでに音楽界を達観している。甘いフェイスから発する言葉は辛らつで、現実をよく見ている言葉だ。なんのためにフォーライフレコードという新しく設立されたばかりのレコード会社のオーデションを受けたのかという答えにも頷ける。
 それは自分がデビューするにあたり、自らの事務所を設立し、自分に集中して欲しいとリクエストする。そんな新人が今までいたろうか。何を隠そう今をときめく大手音楽事務所の㈱アミューズは当初原田真二のために作られた企業だ。
その様な将来を見据えた若者の自信も去ることながら有言実行してしまう才能は、映像から音ともに溢れ出てくるのだ。

 そんな映像・・・2005年にはDVDとして発売されたが即完売となり、今ではプレミアのつく作品となっている。・・・高いぞ!
リマスターして再発を切望する。

2018/06/05
花形

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