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『フルハウス』 ウェス・モンゴメリ
何もいきなりマイルスから聴いたわけじゃない。ビル・エバンスは死ぬ直前までピアノと歌っていた。ガレスビーは狂気だ。セロニアス・モンクは静寂の嵐を表現する。チャーリー・パーカーの流れるような旋律やソニー・ロリンズの轟くようなメロディーは人間の生き様だ。チャーリー・クリスチャンやケニー・バレルまで突き詰めるとギターの可能性が見えてくる・・・。グズグズと酒を飲みながらジャズの話を始めると、最後に決まって思うことがある。何故ジャズを聴き始めたのか。
中学3年の夏休み、友達と吉祥寺のジャズ喫茶に行ったことが僕のジャズデビューである。その時はクーラーの効いた喫茶店でアイスコーヒーかなんかを飲みながら、一服したかっただけだった。吉祥寺の中古レコード屋廻りをして、クタクタだったこともあり、適当に喫茶店を選んでしまった。
そこは、壁一面に黒人のポスターが貼られ、昼でも真っ暗。タバコの煙が霞となり、“中学生が入ってはいけない空間”ということが瞬時に読み取れた。でも、外の暑い日差しに出る勇気も無く、そのまま奥のテーブルに落ち着いた。
しっかし、うるさい。耳をつんざくサックスの音が、僕の神経を逆撫でする。噂に聞いていたが、これがジャズ喫茶ってえもんか・・・周りを見るとみんな押し黙り、聞き入っている。中にはテーブルの一点を見つめて動かない人や、勝手にビートを刻んでいる人など・・・それぞれのワールドに入り込んでいた。
僕はちょっとだけドキドキしながら、周りに溶け込もうとし、アイスコーヒーにシロップを入れなかった。
友達のT君はタバコを吹かしながら「これ、ロリンズだよ。」と言った。その時、いつもツェッペリンの話題しかしなかったT君がちょっとだけ大人に見えた。
僕はその後、ロック喫茶に行くより、ジャズ喫茶に行く回数が増えていった。なぜか大人の仲間入りがしたかった15歳の夏であった。
ジャズ喫茶でかかっていた音楽で、僕が少なからず影響を受けたミュージシャンにウェス・モンゴメリがいる。オクターブ奏法、コード奏法を駆使し、ピックを使わずに、親指で弦をはじいて演奏するジャズ・ギタリストだ。
ウェスはジャズミュージシャンの中でも比較的新しいロックを取り入れることが多く、聞きやすかった。『夢のカリフォルニア』(1966)や『ア・ディ・イン・ザ・ライフ』(1967)はウェスのロックへの解釈が見事に表現されており、モダン・ジャズを代表する作品としてロックしか聴いていない人への架け橋になった作品なのではないか。
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でも、聞き込んでいくにつれ、ウェスのガチンコジャズは『フルハウス』(1968)ということを喫茶店のマスターから教えてもらった。ジョニー・グリフィンのテナーサックスとの掛け合いが非常にマッチしており、ウェスもメンバーも波に乗っていた1962年6月の録音だ。
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ウェスを聴き、オクターブ奏法の虜になった僕はギターを弾いていても無意識にその奏法をするようになっていく。現在もアコースティックギターのリードパートを取る時はオクターブ奏法を多用する。ウェスの影響大だ。
僕は、ウェスから派生しながらジャズにのめりこんでいった。そしてジャズ喫茶に満足できなくなり、ライブに足を運ぶようになるには、そんなに時間はかからなかった。
“新宿Pit inn”の昼ステージは値段も安く、よく見に行った。ビッグバンドからトリオまで満遍なく見ることができるとても上質なライブハウスだった。
あれ、そういえば、昼ステージを見ていた時って学校の授業はどうしていたんだろうか。
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2005年10月13日
花形